糸魚川ロングブログ

爆速ツイッター話題脊髄反射拳

今、ゲームの分岐点

幸運にも(?)、中学・高校と共学の学校に通うことができた。

 

僕はスポーツやテレビ(お笑い)とは極北のオタク野郎だったので、中学の頃の同級生の男子たちとの会話のネタはもっぱらゲームの話。ゲームの話ができるならガリ勉ともヤンキー(シンナー吸ってない人に限る)とも話せる、ゲームって本当に偉大ですね。

 

ただ、当時の福岡というのは「ゲームは中学生で卒業するもんだよな」ぐらいのムードがある場所でもあった。地理的な要因というよりは時代的な要因だと思う。ちょうど、僕らが高校生になった時に現世の支配者『携帯電話』が普及したからだ。高校生は、部活と(携帯電話を使った)恋に煮えたぎっていたのだ。

 

高校の入学祝いで携帯電話を買ってもらった同級生は多かった。入学時で所持率は5割ぐらいだったと思う。部活に入った時、3年生の先輩たちの方が所持率が低かったのを覚えている。その携帯電話所持率は高1が終わる頃には8割程度にまで登っていただろう。

「あんなもん、毎月高いし、いらん」「おお、同士よ!」と言っていた多くの男女高校生が、コロリと購入を明かす場面に僕は何度も立ち会ってきた。僕は高校を卒業するまで持っていなかったラスト・ワンにしてちょっと痛いやつ。見ろ、面構えが違う。

 

携帯を手にした高校生男女は、気になる異性のメールアドレスを聞き出すのに必死で、「〇〇は大してかわいくないだろ~」「〇〇はちょっとな~」なんて昼休みは言っておきながら、放課後には密かにその相手に熱っぽいメールを送りまくって抜け駆けしまくる、本気の遊びが流行ったのだ。

メールは受信する側が料金を負担する。そしてパケット定額制がまだ無い時代だったので、大変モテる我が幼なじみは、男子共からメールを送りつけられるだけでとんでもない月額を請求され、ご両親に怒られるという、自然発生した「モテ税」に苦しめられていた。

彼女は「何人も何人も、無視しても毎日きもいメール送りつけてきおって、さっさと告ってこいやーッ! 告ってこんと振れんのじゃー! 金払いたくないんじゃー!」と強烈なことを僕にこぼしていた。振られたことの方がずっと多い僕からすると、もうスーパーサイヤ人の超絶バトルである。

 

今ではちょっと想像がつきにくいかもしれないが「携帯電話があり、SNSが無かった」という、2002年~2005年ぐらいのエアポケットのような3年間が僕の高校時代の青春だ。もしその時にSNSがあったなら、今のようにゲーム文化も併存していたのだと思うけど。とにかく、そういう「携帯電話があり、SNSが無かった」地方の高校生活においては、ゲームは話題の主流からは大きく遠ざかった。mixiというSNSが生まれ(というか画像表示に数分もかからないブロードバンド回線が生まれ)、さらにニンテンドーDSが出てゲームの裾野が大きく広がるのは、僕が大学に入ってからだ。

 

恐ろしく長い前置きになったが、つまり僕は高校時代、同世代の男子と会話のネタがとことん無かった。ワールドカップが急に日本で話題になったが、サッカーはわからん。テレビをつけない人間なのでお笑いもわからん。ゲームの話題をすればガキ扱い、携帯電話は持ってない……卵が先か鶏が先か、僕も高校の頃は部活(美術部)漬けで、最もゲームをしなかった3年間だろう。中古で買ったドリキャスサクラ大戦3ぐらいしかやってない。(兄貴が大学の下宿にゲーム機を全部持っていったのもでかい)

 

何が言いたいかと言うと、そんな僕でも話せる相手がいた。それは男子では先輩や後輩であり、さらに年齢関係なく女子であった。同質性を確かめあう友情から離れて、異質性に驚きあう友情なら成立したのだ。そんなわけで、けっこう女子の友達はいた。

たぶん高校3年間では、男子と会話した回数よりも女子と話した回数の方がかなり多い。が、その中でもとんとゲームの話は出てこなかった。美術部という、いかにもオタクチックな傾向がはびこりそうな部活に拠点をおいていてなお、である。

 

しかし。

思い返すと、高校までだけで考えても色々な違和感がある。

 

小学生の頃、僕はポケモンカードで「カイリュー」を引き当てた。うおあおおおおおカイリュー、キングオブポケモン(異論は認める)! 帝王…帝王のカードや…! とテンションをあげるも、その進化前の必須カード「ハクリュウ」を持っておらず使えなかった僕に、ハクリュウを交換してくれたのは誰か? それはクラスの静かな女子であるKさんだった。ハクリュウは1進化目でありながらレアカードという凄いカードで(しかも大抵の状況で進化先であるカイリューよりも強い。カイリューいらない説)、当時の僕の地域では幻のカードだったのだ。

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「……ハクリュウ、ほしいの? あるよ。キュウコンとなら交換してあげる」

「え……お兄さんか弟さんのカード? それは悪いよ……」

「いや。わたしのだから。いいよ」

 

これが、一つ目の違和感。

 

次は、中3の頃だが、とあるギャルっぽい女子Uが

 

「フィギュア……ぐるぐるぐる……フィギュア……」

 

と、机に沈みながら赤い長方形のタイルをダイヤのように立ててくるくる回していたのを見た時だ。

(何やってんだ……)

と僕はそれを眺めていたものの

「フィギュア……バシューン。ゲット」

とUが赤いタルを倒した時に、全身に電流がかけめぐった。

「そ、そ、そ、それ、もしかして、スーファミのミスティックアーク!?」

「えーーー!? わかるーーー!?」

 

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スーファミのミスティックアークと言えば野心的な雰囲気RPGの傑作オブ傑作なのだが、自分の身内以外ではプレイしていた人を全く見たことがない。当時すでに出て6、7年が経過しているゲームだ。当時の僕の認識としてはドラクエ5をクリアした女子ですら大変珍しかったのに、ミスティックアークとは。ミスティックアークをプレイしており、しかも6、7年経ってなお思い返す女子はいたのだ。これが、二つ目の違和感。

 

次は高校1年の頃だ。

モテる我が幼なじみとは別に、クラスで非常にかわいいと噂になっている女子Hさんがいた。男子だけでなく女子からの人気もあるカリスマ的なキャラだった。ギャルとかオタクとかカテゴライズできない子で、あえて言うなら不思議ちゃん。ポップな絵がくそうまい。というか、HさんはHさんという名前でジャンルが成立しそうな素敵な宇宙を持っていた。国語の詩歌のレポート発表で、与謝野晶子」を貼り付けてサインペンで髪型を魔改造したレポートを出し、女の先生から本気で吊るし上げられていたのを覚えている。レポートの内容自体は非常に良かった。Hさんは怒られているときに泣くでも笑うでもなく「?」とキョトンとしていた。

 

僕はそんな裏表のないはずのカリスマ、Hさんの「闇取引」の現場に遭遇してしまったのだ。

 

朝、まだ教室にほとんど人がいない頃、

Hさんは教室の隅で、友人のKさんにあるものを渡していた。

 

エリーのアトリエ』だった。

 

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僕は教室の左端一番奥という最高の席だったので、Hさんの鞄からチラリと出てKさんに手渡されたそれを見てしまったのだった。もちろんプレイしていたから、そのパッケージが何であるか一瞬でわかった。

(Hさんが……エリーのアトリエ……!? あの、全然ギャルゲーではないのに大人たちからはギャルゲーと勘違いされがちな購入に若干リスクのあるゲーム……しかも、エリー、エリーか!? マリーでなく、エリー……!? 一作目のマリーは非常に簡単で誰でも面白いが、二作目のエリーはなぜか難易度が跳ね上がっていて、大抵の人はベストエンドに行かず投げるようなゲーム……良さに辿り着く前にノーマルエンドで『そこそこのゲームだったな』となりがちなエリー……! エリーを人に勧めるほど楽しめるとしたら……Hさんは間違いなくゲーマーだ!)

モンスターファームモンスターファーム2になって難易度が10倍ぐらいになったことに似て、アトリエシリーズも一作目のマリーから二作目のエリーになった時に難易度が跳ね上がったのだ。だが、その難易度をクリアできる人なら、マリーよりもエリーの方が『沼』にハマりやすい、生粋のゲーマーリトマス紙と言えるゲームだろう。

HさんとKさんは僕の視線に気づき、二人は(見られた!)という顔をした。

 

僕は目があったHさんに

「……エリー。エリー、いいよね」

「……!」

「マリーより、めっちゃむずいよね」

「……うん。糸魚川くんも?」

「めっちゃ好き。金、2個作った」

「あれ、驚くよね」

(究めすぎて賢者の石を超える最高難度の生成物『金』を2個作ると、『富豪にはなったが、錬金術師としての初志や他の大切なものを失った』孤独バッドエンドになるのだ。最高ランクのエンドを目指すなら、図鑑を埋めるために1個は作らないといけないのだけど)

 

しかし、会話はそれだけだった。

なんというか、彼女がクラスの男女の不思議なカリスマであるために、「エリーのアトリエをやり尽くすほどのハイクラスゲーマー」という属性はタブーな気がしたからだ。というか、こそこそ朝に貸し借りしている時点で、HさんとKさんにはタブーという自覚があるのだろう。僕とてHさんに嫌われたくは無かったから、話はそこで打ち切った。そして、彼女が朝にエリーのアトリエを取引していた事実は、高校を卒業するまで誰にも言わなかった。これが、三つ目の違和感。

 

フェルミ推定』という考え方がある。

数の分布状況から、別の数のだいたいの「アタリ」をつける推定方法らしいのだけど(日本には何台の自販機があるか、みたいなのを身近な範囲の数値から考えて近似値を叩き出したりする)そのフェルミ推定をメジャーにしたフェルミさんからすると「絶対に、宇宙のどこかには宇宙人がいる」ことになるらしい。

そのフェルミさんのお言葉らしいのが

 

「みんな、どこにいるのだろう?」

 

……っていうのはハルチカシリーズの『惑星カロン』で知った。

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余談だけどこの本が↑アニメ化するとこう↓なる。アニメファンが実写化のたびにガヤガヤしてるのを、小説沼の亡霊たちは静かに見守っている。見ろ、面構えが違う。

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話を元に戻すと、

「みんな、どこにいるのだろう」の「みんな」というのは、宇宙人のことだ。

フェルミさん的には)この宇宙の中に必ずいるはずなのだ。

だが、全然出会えない。

みんな、今、どこで生きているのだろう?

 

その後SNSが現在まで続く隆盛となり、同好の趣味人たちでコミュニティが形成されるようになった。

僕もゲームファンのフォロワーさんたちと仲良くしていただいているが、昔のゲームをぽんぽこ語れる女性フォロワーさんたちはとても多い。私より詳しい人、ザラ。その、女性陣たちが当然にエニックススクウェアの作品、他社の作品を語れている様相を見て、僕は思わざるを得ないのだ。

「女の子でゲーム好きな人は、どこにいるのだろう?」の答えは

「すぐ側にも、いたのだろう。だけど、みんな隠していたのだろう」ということを。

漫画研究部とかイラスト研究部とかに所属していない女子でも、普通に幼少期からゲームファンだった人たち。当時は一人っ子がレアなぐらいだったので、兄や弟がいれば一緒に遊んでいるうちにハマることだって今以上に自然だろう。もちろん、インベーダー~ドラクエⅢ世代を上がったお父さんたちが娘にゲームを斡旋していても何の不思議もない。そもそも僕が10歳の頃には、ポケットモンスター赤緑が出て、その一年後にはアニメ化によって男女を問わないブームとなっている。漫画やアニメや小説とは別軸として、人生にゲームが寄り添っていた女性は多いはずなのだ。

だが、様々な理由で名乗りを上げられなかったのだろう。

 

話が前後するが、中学2年生の時にはクラスでドラゴンクエスト7が流行っていた。

僕は進めるのが早い方だったので「糸魚川~~~次の石版どこ~~~」と男子たちから頼られていた。そのときに「お兄ちゃんが進むの詰まってて聞いて欲しいって頼まれたんだけど……」と、僕に次の石版の在処を尋ねてくる女子がいた。

あれはもしかしたら、困っていたのはお兄ちゃんじゃなくて……

 

すごく間を端折ると、SNSの登場によって、様々なタブーの内情が暴かれた。

SNS以前の「しっかりした大人」とは、漫画を買って読むことすら隠すべき趣味であったぐらいだ。「うちのお兄ちゃん、大人になってもジャンプ買ってるし……」が褒め言葉の逆の意味として使われていたのは普通だった。今もネット世界が見えていない人の多い地域では、そういう目でのレッテル貼りはあるだろう。

逆に、

「うちの親父、毎週初年マガジン買ってるんだよね。自分が読むために」

「ええ~!! 自腹で買わなくていいの!? いいなぁ~!!」

という会話も、僕の青春からすると普通だった。

中学の頃、クラスのお嬢様的な女子が「哲也~雀聖と呼ばれた男~」「無頼伝 涯」の話に入って来た時は大いに驚いたものだ。

お兄さんが買ってるのか?と聞くと「うちのお父さん漫画好きで、マガジン買ってるから」とさらに驚きの返事。彼女のお父さんは一部上場企業のお偉いさん、ザ・厳格という話だったから。事実は、厳格ではありつつ漫画ファンという、漫画やテレビドラマで描かれる「一部上場企業のお偉いさん」の像とはあまりに違っていた。なお彼女は、弟が買っているというあずまんが大王も読んでいて「オタクとか萌えとか関係なくあれは面白いやん」と、こっそり僕に語ってきたこともある。「やん」は博多弁でもよく使う。

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↑話してみると、このトークを十全にこなすお嬢様の真実。

 

SNSによって、女性もゲームが大好きなこと、大人のおっさんも漫画が大好きなことは、もはや驚くべきことではなくなった。

そのような属性を趣味として紹介したときに、レッテル貼りから「うえ~」って引かれることは少なくなったと言えるだろう。ゲームや漫画の地位が向上したとも言えるし、ゲーム好きな女性や漫画好きなおっさんの地位が向上したとも言える。

 

しかしSNSの登場で全てが寛容の方向に向かったわけではない。

むしろ逆に、SNS文化と融合したせいで、「趣味」についてかつては無かった形の嫌な思いをすることも登場してきた……

その「嫌な思い」を個人や業界がどう位置づけるか、どう処理するか。

ゲーム文化は今、未来数十年を決める岐路に立っているんじゃないか……

あ、ゲームとeスポーツ絡みの話です。

というのが、今回の記事シリーズの趣旨。

 

ここまでが本当の前置きだ……

これ、序文や。巻頭言や。(教本や参考書の巻頭言読むの大好き夫)

私はあと三回変身を残している……

 

つづくゥ!!!

今になってわかる言葉2

新年特有の意識高いテンションでお送りする

「子供の頃はなんとなくわかった気になっていたけど、三十路を超えたら実感を伴って意味が理解できた漫画やゲームの言葉2」

なんか長くなってる気がするけど気にしない。

 

・その4

「走れる2m選手といってもそれは日本でのこと。自分より大きくて速い選手を彼は何度も目の当たりにした。さらに高校時代、能力に任せたプレイで基礎をおろそかにしていた彼には、自身が期待していたほどの急成長は望むべくもなかった」

 

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(『スラムダンク』より)

長っ!

長い、長い……けど、いろいろな『真実』が隠されている、3回は声に出して読みたい日本語です。

奇しくも、今回も『スラムダンク』からのスタート。

湘北高校バスケ部の監督をしている安西先生は、昔は大学で教えていた名監督でした。今では仏のようですが、その頃は鬼・悪魔のような超怖い系の指導者だった。

その頃に大いに期待をかけていた谷沢という教え子がいたのですが、彼は安西先生のガチガチにストリクトな指導に反発し、単身でバスケの本場・米国に移住。バスケの本場で揉まれれば、自分は安西先生の元にいるよりもずっと伸びる……と思っての渡米でした。

が、しばらくして送られてきたビデオを観た安西監督は

 

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(まるで成長していない……)

 

そして今回の言葉に繋がるわけです。

子供の頃の自分には「高校時代、能力に任せたプレイで基礎を疎かにしていたから、伸びなかった」というナレーションを、なんとなくわかった気になりながら、しかし実はさっぱりわからないまま、読んでいたものです。

今なら、なんか……スポーツ以外でもいろいろと身に沁みるお言葉……

 

この文を現代文的に解釈してみましょう。

「走れる2m選手といっても日本でのこと」

「高校時代、能力に任せたプレイで」

ここから、ここで言う能力=長身&速さ&敏捷さ というぐらいにアタリが尽きます。

身長の高低はトレーニングではどうにもなりませんから、「才能」と言い換えることもできるでしょう。

……2007年に徳島まで世界バスケアジア選手権)を観に行ったことがあるのですが、2m33㎝の中東の選手がいました。2mという普通なら「巨人」たちが、彼がコートにいると小人に見えるんですね。その彼は相手のゴール下に突っ立っているだけで、誰よりも高い位置でパスを受け、ジャンプもせずダンクを決める係でした。ボール運びなどには一切参加していなかったので、丸っきりバスケの素人なのでは……? とすら思えた。しかし世界各国の代表選手を大いに苦しめていました(しかしスタメンではなかったな)。

あ、あと、高校の頃のバスケ部部長をしていた友人が「スラムダンクの湘北は、県立なのに赤城197cm、三井184cm、流川187cm、桜木189cmだろ。もうそれだけでクソ強い」と言っていたのを思い出します。高さは正義。

つまり、谷沢は「持って生まれた身長とスピードで、それだけで高校まではトッププレイヤーでいられた」感じの書かれ方なのかな、と。

しかし後の文に続くように渡米後は「自分より大きくて速い選手を何度も目の当たりにした」。

「能力(=才能)に任せたプレイで基礎をおろそかにしていたから、本人が思っていたほどはその環境で伸びなかった」となるわけです。

 

若い頃の私は、この一コマがよくわからなかった。

才能は全ての扉を開ける万能の鍵に思えていました。チートアイテム。

初めて取りかかったことなのに、明らかに反応がいいセンス持ち(才能持ち)の人っていますよね。「打てば響く」というやつ。上手いから褒められて、もっと褒められたいからもっとやって、もっと上手くなって、もっともっと褒められる……こういった好循環は確実にありますので、才能があるかないかがその道で上手くいくかどうかを決めるってのは真だと思います。大抵のイラスト教本のクリエイターインタビューも「小さい頃から絵を書くのが好きで……」と8割方書いてあります。好循環に乗れると、疲れすら忘れて没頭できるので、やがて傑出するのは当然のこととも言えるでしょう。

 

が、中年手前ともなった私は『才能=好循環=成功は、半分ほど真』ぐらいまで、好循環の評価をやや下方修正するのです。順調≠成功。

 

というのも、色々な対戦ゲームをやっていると「中級者までは圧勝できるけど、上級者以上にはさっぱり通用しない(勝てない)、基礎技術不要の特殊戦術」というのとたびたび出会うからです。

lovで言ったら長く幅を効かせていた「全凸」とか。三国志大戦なら「開幕乙」。ぷよぷよなら「最速5連鎖」。などなど。

ぷよぷよが一番わかりやすいだろうから、ぷよぷよを例にして話します。

 

「5連鎖」というのは、横一段で組める最も大きい連鎖です。

特に何も考えないでも、中級者ならパターンにそって脳死状態で組めます。

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↑わかりやすい型を使った5連鎖はこういうやつ。

しかしこれ以上の連鎖、「6連鎖以上」を組もうとすると「2段目」を仕込まないといけなくなり、構築のハードルは一気に上がります。

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↑わかりやすい型を使った6連鎖以上はこういうやつ。

今、3人のプレイヤーがいるとして

A:初心者。5連鎖を組むのが遅い

B:中級者。5連鎖を組むのが速い

C:上級者。6連鎖以上を組むのが速い

の3人が戦うとします。ここでBは「Aに必勝、Cに必敗」という状況になります。

ぷよぷよは連鎖が消えて飛んでいくまで時間がかかるので、Bが最速5連鎖を決めようが、Cはその消化中に6連鎖以上を組んでカウンター、必勝となるわけです。

もしBがCにいつか勝ちたいと思うのなら、「最速で5連鎖を撃つ」というスタイルを捨てて、頭を使う必要があり難しいけど「2段目を組み、6連鎖以上を撃てる人になる」練習が必要なのです。しかしもしBが「速攻!最速5連鎖が俺のプレイスタイルだから」と開き直れば、Bは永遠にCに勝てません。

 

スラダンの言葉と対応させるならば「6連鎖以上を組むために二段目を素早く組めるようになる」が基礎練習という所でしょう。最速5連鎖ぶっぱだと、初心者相手には無双できるのですが上級者たちからはさっぱりライバルと認めてもらえません。手応えの無い相手、です。

 

こういう「基礎的な技能が成長しないが、そこそこ勝ててしまうプレイスタイル」というのは、怖い。「一定ラインまではだいたい勝てるが、一定ライン以上には確実に負ける」未来のないプレイスタイルなのです。

とくに、バージョンアップなどでゲームルールの仕様変更が起きてその特殊戦術が封じられた時は、悲惨です。基礎的な技能がないままに中の上リーグまでは上がっているため、基礎がしっかりできているマッチング相手に一方的にボコボコにされ続けるしかありません。対戦の中で基礎技能を練習し直す余裕もなく、詰みです。

『エアギア』でもあったな。

シャーロットがアギトに「どうしてあなたが弱いかわかる? あなた、自分より弱い人とばかり戦ってきたからよ」みたいなセリフがある。ひぃ~。

 

……じつはけっこう、文芸とかアニメでもあるな、なんて思ったり。

10作書けば9作駄作で1作がたまたま傑作という時に、その1作が最初に来てデビューということがあります。だいたいそういう時のデビューというのは、文体や扱ったテーマがセンセーショナルで、その奇抜さを評価されてのことです。

が、奇抜さというのは1回使い切り、使い回しが効かないものです。焚き火にくべる新聞紙のようによく燃えるけどすぐ燃え尽きる。炭火のようにじわじわと長く強く燃え続ける火力ではありません。

しかし1作目がヒットしたのだから、2作目3作目も出さなければならない。

となると、その1回使い切りのはずの奇抜芸を二度目、三度目と使用してしまうのです。

「これが自分の作風(プレイスタイル)なんだ」と自らを信じ込ませて。

基本ステータスは低いけど強力な必殺技で敵を倒す、みたいなやり方です。

しかし基本ステータスを上げないまま、毎回同じ必殺技を頼みとして撃っていると、そのうち敵に攻略されちゃいますよね。そしてそういう戦い方をしている限り、いくらキャリアを積もうとステータス(基礎・地力)は上がりません。文芸なら、構成、表現、演出、キャラクターの腕前は、得意分野以外は初期値のままということです。そうなると、成長し続けることを選んだライバルたちに数年で大きな溝をつけられます。

 

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(才能頼みで)そこそこ勝ててしまう(評価されてしまう)ことが、その基礎おざなりのプレイスタイルを放棄できない理由となり、実は未来を閉ざしている。

そんな落とし穴というか袋小路というかには、たくさん遭遇してきました。

なんだっけか。

暖かいお湯のはった鍋にカエルが飛び込むと、「熱!やばい!死ぬ!」とすぐに飛び出ると。

しかし水をはった鍋にカエルを入れて、同程度の温度までじわじわ温めていくと、カエルは鍋を出ることなくそのまま茹で殺されてしまうそうです。

残酷な例ですが、何かの本に書いてあった。

 

たぶん、スラムダンクの谷沢について書かれていたのはそういうことなのではないかな、と。

日本だったら2mでバスケをしている若者というのは希有で(1990年なら尚更でしょう)、練習を半端に取り組んだり、合理を疎かにして感覚だけでプレイしても結果として勝ててしまっていた。勝ててるんだからいいじゃん。俺は間違ってねえ、と。

しかし人口3倍・バスケ比率はもっと高いアメリカに行き、同程度の身体スペックがたくさんいるとなると、採用不採用を決めるのは基礎技術を含めた完成度の高さです。

絵描きも字書きも慣れが一定レベルまで来ると「手癖で描ける(書ける)」オートメーションが可能になるのですが、工夫の意思もなく手癖で何年量産しても、創作力の向上には繋がりません。私も最近、長年使っているグラフィックソフトの本を読んで「そんな便利な機能あったの!?」と自らの甘さを痛感しました。基礎を疎かにせずちゃんと教本で勉強を続けていれば、過去のあんな作業やあーんな作業はもっと一瞬で終わっていたんだな、って。そしてそれができた人と比べると私は遅い人だったんやな、って。うごごご……

 

いや、ほんと、手癖創作モードに入っちゃって改善や改良の意思がなくなってしまうと、本当にそこで能力ストップです。何年やろうと。「今できてるからいいじゃん」は「未来も同様の評価を得られている保証」には全くならないのです。人生は数学とは違うから、演繹は不可能。赤の女王仮説”「同じ場所に留まるためには、全力で進み続けなければならない」の方が真です。だからこそ、進む先に落とし穴があったり袋小路がないかは慎重に考えたいですね。すげえ……意識が東京スカイツリー並に高い……

 

なお、詰んでしまった(と感じたであろう)谷沢は、ヤク中になって高速道路を暴走して事故で死にます。仏・安西先生の抱えるトラウマの一つです。スラムダンク、読んでない人は読んでーーー!

 

才能(と思えるもの)は簡単に裏切るけど、基礎力は裏切らない。

裏切らないどころか急成長の何よりの土壌になる。

基礎を得たなら一財産得たも同じ。磨き続けるならなおのこと。

基礎技能MAXにすると、漫画で言ったら

「なんだこいつ……隙が無え……(ゴクリ)」って言われるタイプのキャラになれる

我々は忘れてはいけない、“あの”テニスの王子様でも、準決勝で当たる四天宝寺の№2白石は「強み:基礎力MAX」という投げやりにすら思える設定だけで、“あの”天才・不二周助に勝つのだ。円卓ショット?そんなものは知らん(ファンブック系は読まない人)

 

目指せマスター・オブ・基礎。

イッツマスター。

マスター・オブ・基礎と言われたら誰が思いつくかなぁ。

その分野では浅田次郎先生かなぁ。

浅田次郎先生は、もうベッタベタに使い古された何の奇抜性もない誰でも考え着くごく普通のプロットを、そのありあまる地力で葛藤、寂寥、矜持、人情、義侠、感動……で名品へと変えてしまうスーパー作家です。浅田次郎先生が『異世界転生ハーレムチート無双』を書いたら、たぶん「ぐぐぐ……たしかに、めっちゃ面白い……」って五体投地するものが出来上がる気がします。たぶん主人公がすごい任侠でかっこいいんだよ。

 

谷沢先輩の受難を無駄にしてはいけない。

 

今回はここまで!

新年のご挨拶と今になってわかる言葉1

糸魚川水族館です。まず新年のご挨拶を。

喪中だからあけましておめでとうは言えない! ご勘弁を!

 

昨年ブログをお読みいただいた方、ありがとうございました。

また、年末のコミックマーケット95でご来場の上「ブログ読んでます」と新刊を買っていってくださった皆様方、本当にありがとうございました。

会場でのお約束通り、ブログも書いていくぜ!

だから新刊の感想、タイトル入れてエゴサにひっかかるように呟いてくれたら嬉しいぜ!

 

次いで個人的なことですが、今年の個人事業は

・プロゲーマーズを2ヶ月に1冊(といっても150~200Pぐらい)のスピード感で、電子書籍でポンポカ出して電子財産にする

・ブログもなんかシリーズ化してお布施可能な収益コンテンツ化する(noteとかに移動するかも)

を目指して頑張ります。

ゲーム屋さんからいただいているお仕事はもちろん頑張る。

 

そんな、新年特有の意識高い気分で回想しているといろいろと「子供の頃、わかった気になっていたけど実際は違う意味だった・もっと深い意味だった言葉」がけっこうあるなぁと思った次第でありました。漫画とかゲームとかの中に。

私もそろそろアラサーと言うのが辛い、「中年」という幅広な括りに突入しそうなのでそれらをふりかえってみたいと思います。

 

 

・その1

「なぜオレはあんなムダな時間を……」

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いきなり重い。

スラムダンク』のミッチー(三井寿の言葉です。

ミッチーはバスケを離れて不良になっていた期間が一年以上あるのですが、そのせいでスタミナ不足という弱点を抱えています。全国大会出場を争う陵南戦で、彼から滲み出たのがこの言葉。

 

ミッチーは「スポーツマン」に戻った後も、不良時代の友人テツオと街中で会ったら軽く会話するぐらいの仲ではあるんですね。そのやや距離が生まれた友情を含めてなお、勝負の世界に来た彼は過去を回想し「ムダな時間」と後悔するのでした。

 

命題、「人生に、無駄な時間はあるか?」

無いと思いたい。無いと思いたいからこそ、J-POPや感涙系の映画ではよく「無駄な時間なんて無い」って言葉が投入されます。入れるだけで良作級が名作級になりかねないパワーフレーズです。ミッチーも、広い意味では若い内に後悔の意味を知ることができたという点で不良時代は無駄な時間ではなかった……と言えるのかもしれませんが、そんなことをベンチで休むミッチーに言ったらめっちゃ怒られそう。

 

たぶん「人生、何が無駄になるか無駄にならないか(不幸か幸か)はわからない」はあると思う。その瞬間はマジでついてない絶望だ自分はなんて不幸なんだ~と思ったけど、後々振り返ってみると結果として良かったなというのはけっこうありませんか? 私はめっちゃあります。高3の頃に第一志望の大学に落ちた時は「人生でいいことなんて何もねえ……」ぐらいに思いましたが、浪人したらもっと難しい県外の大学を受けられるようになりましたし。逆に就活で希望の企業から内定もらった時は世界が輝いて見えましたが、その企業はまったく合わなくて一年で辞めてしまいました。何も身にならなかった一年です。他のところに入って頑張ればよかった。

そんな風に「人生、何が無駄になるか無駄にならないか(不幸か幸か)はわからない」はあると思うんです。高校の頃の部活や、私のゲーム趣味なんかは、私の親からすると「ザ・無駄」に見えていたことでしょう。私自身だって、国語、日本史、世界史、どれも役に立たないと思って「学者になりたい人だけ勉強すりゃいいのに」とよくこぼしてしました。しかしなぁ、今それらの頃に得た技能をフル活用して飯食ってるからなぁ。ほんと、人間万事塞翁が馬です。

しかし「人生、何が無駄になるか無駄にならないか(不幸か幸か)はわからない」は「人生に無駄な時間なんて無い」とはイコールでは繋がりません。

人生に、限りなく無駄な時間(行動選択)はあってしまう。

その事を認めた上で、時間の浪費をして後悔しないように行動を選んで行く……ってのはシミュレーションゲームでは当然の行動ですね。ときメモの一年目は、デートは避けてひたすらトレーニングをするように。能力値が低いとどれだけデートしても好感度が上がらないシビアなゲームなのです。ときメモは。

生活が安定している人は、無駄を楽しむ人生粋人プレイも全然アリだと思います。ただ崖っぷちフリーランス街道をゆく自分としては、なるべく有効打を取っていかないと文章書く余裕すら無くなるな……って感じなので、今年一年はなるべく「限りなく無駄」を踏み抜かないようにしたい。意識高っ!

 

 

・その2

「波紋の力を一点集中!」

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ジョジョの奇妙な冒険』第二部のシーザーの教えより。

ジョジョォーッ 貴様の波紋は手の平から垂れ流しているだけだッ!

波紋の力を指先に一点集中!

くっつく波紋! これがヘルクライムピラーの登り方(略)……」

みたいなやつ。原文ママではない。

 

「力の垂れ流しは良くない」「一点突破の方が効果がある」理論ですね。

少年漫画ではけっこう出てくる。

烈火の炎』でも、手から火を出せる主人公烈火に対して、崩さんが「炎を垂れ流すよりも、火球にして撃ち放った方が威力が高い」と教える場面があったように思います。

 

これはまさに、漫画家さんの魂の寓話でしょう。

優れた能力がある。それは素晴らしいことです。が、「大事なのはその力の使い方」という視点です。

例えば、絵や漫画の超上手い人が散発的にSNSに落書きを上げていても、大抵の場合はヒットチャンスには繋がりません。しかしそれを20ページぐらいの漫画として完成させて一気にSNSに上げれば、いわゆるバズる可能性はあるでしょう。編集者が「うちで書籍化しませんかー」と声をかけてきて、人生変わるかも。

30ページ書けば新人賞に応募でき、そこで編集者の目に止まればデビューしたりSNSで編集者からフォロー(ツバつけ)されたりします。

同じ絵をX枚書くという作業でも、力の垂れ流しより力の一点集中の方が夢が広がりんぐ!

似たようなので、「戦力の逐次投入は愚の骨頂」みたいな話もありますね。仮面ライダーを倒すために毎週怪人を一人ずつ送り込んでも、倒され続けるだけ。物語の序盤だとか気にせず、全怪人・全幹部で一気に襲いかかれば勝利ってやつです。ドラクエの勇者だって、序盤にいきなりラストダンジョンのモンスターの大半を動員して襲いかかればいいのです。合い言葉は「一点集中、一点突破!」。意識高っ!!

 

 

・その3

「やっと力の使い方に慣れてきたぜ」

いろんな漫画に出てくるセリフです。

強大な力を得た・自覚した主人公が、それの意識的な活用方法を自覚していく時のやつ。

若い頃の私なんかは「そんな凄い力があるなら、ひたすら暴走させておけばいいじゃん」と思っていましたが……人生は、それでは回らない!(悲鳴)

 

例えば去年……

私も息抜きとして、遊んだ様々なゲームのwikiを編集してたのですが……編集できますが……たぶん見る人の役に立ってますが……ただあれは、力の使い方が間違っていたかな、と。

匿名のwikiなので、いくらクオリティのある文を上げても、無限年間自分の評価に繋がらないんですね。そして誰でも編集できるものだから、数日後に見に行くと、あまり文章を書いたことがない感じの人の、浅くてわかりにくい文に上書きされて「無」になったりする。

私は文章を書くのは速くて得意ですが、だからといって手当たり次第なんでも目についたものを書けばいいのではないな、と思いました。あの時間をプロゲマ2巻のような作品作りにあてた方が「力の垂れ流し」ではなく「一点突破」だったように思います。今年は力の使い方を……考えていくぜ? 意識高ァーー!!!!!

 

 

 

東京の大学に出てきたときに、「でたでた~地方出身者特有の意識の高さ~」って、関東出身組からめっちゃ言われたんすよね。

なんで地方出身者が意識高いか、成果に貪欲か考えたことはあるかえ?

それはね、僕たちは

デ デ ー ン

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ファイナルファンタジータクティクス1章より)

(芸能人も都会に出てきた地方出身者が多いよね。そもそも都内に家がある人は芸能人を目指さないやつ)

 

これ以上は長いか。

あと3つぐらいそういう「大人になって本当の意味(?)がわかる、漫画やゲームの名言」みたいなのがあるのですが、読みやすさを考えてもう1回に分けたいと思います。次回更新は近日中を予定。

……

近日中に……書く……書くとは言ったが……

今はまだその時を指定していない

そのことを諸君らも 思い出して欲しい

つまり 我々がその気になれば

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いや、たぶんすぐに書きます。衝動的に、

発作的に。そういうものだから。

 

とりあえず、今年もよろしくです!!

d(^o^)b

コミックマーケット95新刊の宣伝

お疲れ様です。

今年は人生で一番忙しい12月な気がする……ってぐらい目が回っています。

お仕事と、引っ越しと、毎年恒例のコミケです。

今回はコミケの宣伝になります。

 

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平成最後のコミックマーケット! プレミアム感!

12月29日 土曜日(1日目)

東京ビッグサイトで行われるコミックマーケット95

に席をいただいております。

サークル名は「MQ文庫」。

スペース番号は西“の”07a。お誕生日席いただけました。西館なので注意。

 

新刊は、コメディタッチの近未来・社会派・eスポーツ勝負師小説。全年齢対象。

210ページ、1000円。口絵1枚挿絵3枚。挿絵はケリーさん。

 

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https://twitter.com/itoi_s/status/1072300942882684

ラノベか?と言われたら「今の」ラノベとはちょっと違うと思います。角川文庫「ハルチカシリーズ」とか東京創元推理文庫「裏染天馬シリーズ」とかそこらへんのノリに近い気がする。笑えて熱くてたまにしっとりするやつです。ラノベならGA文庫りゅうおうのおしごと!』とか好きな人なら好んでくれそう。ロリ成分やハーレム成分はありませんが。

 

「雰囲気見ないとなんともな……」という人は、↓のコミケwebカタログで104ページまで見本誌公開していますので、チェックしてみてください。ごもっともな懸念だ。

 

webcatalog.circle.ms

完全に一般文芸系で私のガチなのを読みたい人は昨年の本『黒春』がおすすめです。黒春も在庫が大量にあるので持っていきます。宮部みゆき先生とか湊かなえ先生とか好きな人はたぶん好き。

 

ちょっとは興味が出てきた……

けどコミックマーケットって、アレでしょ?

アレで……ああいう場でしょ?

だからちょっと……

 

という人の心配を、今から取り除く!

 

・アニメとか漫画の無許諾二次創作のお祭でしょ?

基本的にはそうです。

が、今回私がいる1日目西館はオリジナルのマンガ・小説・雑貨など「元ネタ無し」が集まっている空間です! あとは芸能とか特撮とか音楽とか。 アニメとか漫画とかさっぱり興味が無い「普通の人」であることに自信を持つあなたでも大丈夫! 1日目の東館に行けば、女性向けの薔薇い花園が待っているぞ! オタク=男が主流 みたいな完全に誤った価値観はボロボロに崩れ去るでしょう。世界を広げる、正しい認識を持ち受け止めるのが、大人ってもんじゃないかい……?

 

・エロ本の祭典でしょ?

ぐう……安直に思える認識ですが、そういう側面も多少あると言っておきます。

ですがそれは東館とか別の日に行われています。あとうちの本は全年齢OKです。たぶん1日目の西館は、3日間でもかなり全年齢向けな空間となっているでしょう。オリジナルはエロ少ない傾向にあるので。無いとは言いませんが、入門者が目のやり場に困るような空間ではありません。本が置いてあるフリーマーケット感です。

 

・どこにどうやって行けばいいの?

まずはなんとかして東京に辿り着いてくれ!

そしてJRりんかい線の「国際展示場駅

新交通ゆりかもめの「国際展示情正門駅」に降りて

あとは人の流れについていってくれ!

コミケウェブカタログで事前に会場の全体図・周辺図を見ておいたいいぞ。

開催期間は10:00~16:00だ! でも15:30からはたぶん撤収準備始めてる!

 

・込みまくってて死ぬって聞いたけど……

大丈夫! 1日目の西館の参加ジャンルを見る限り、たぶん(悲しいかな)めっちゃ快適! 並んだりすることなくすいすい移動できると思います。2日目の東館とかはfate刀剣乱舞、東方、スクエニと人気ジャンル(の同人誌)が集まるので地獄でしょうね。

あと大抵のサークル(うち含め)は一日中のんびりやってるので、12時~1時ごろに会場着でも全然間に合います。2時ぐらいになると帰っちゃうサークルもけっこう出てくるので、安全かつコミケの雰囲気を味わいたいなら12時着ぐらいがおすすめ。

 

・頑張って辿り着いたのに売り切れてる、とかありませんか?

自営業ライターにとって、新刊は使いやすい名刺代わりなのです。こういうの〇日で書けます~って。かなり多く刷ってるので、このブログが奇跡を呼ばない限りは期間中に完売ということはないでしょう。人生で初お披露目で完売したことはないです。

 

・入場料は? SF大会みたいに2万円近くするんじゃないの?

やけに詳しい人が来たな……

大丈夫、コミックマーケットは入場無料です。1ドリンクチャージもお通し代もいらないぞ。次からカタログが入場券になるんだっけ。次から。今回までは無料! 何も買わない様子見・見学コースなら交通費だけでOK!

 

・カードゲームショップみたいに臭くない?

1日目西館ならたぶん大丈夫だ!

 

・めっちゃ寒いって聞いたけど

冬は外に出たら寒いぞ!

 

・行きます!徹夜して朝一で突撃します!

ダメ、絶対。

コミックマーケットは徹夜を禁止しています。

徹夜組が起こす様々な問題を排除するために、私らはわりとお高いサークル参加費を払っています。ずばり申込み書あわせて1万円。これ、徹夜が発生しない地方のイベントだとスペース代3000円とかなんだよな……

徹夜並びされちゃうと気持ちよくお話できない間柄になってしまうので、それは勘弁してください。どんなに早くから参加してみたくても関東圏の人は最寄り駅から始発で、遠方からの人も宿泊先から始発でお願いします。

 

・通販受け付けていますか?

会場に足を運んでくれた人(そこそこ大変)優先でいきたいので、イベントが終わって在庫が発生したら通販の告知をさせていただきます。

あと、いつか電子書籍版で出すと思います。年末は家族でほのぼのするのも大事なことなので、無理して来場しなくてOKよ!

 

・新刊、面白いですか?

きっと。

仕事で書いたやつじゃないから、自分で面白いと思えないものは完成しても出さないよ~

上のウェブカタログで途中まで読めるので、地雷チェッカーに使ってみてください。

 

・完結してますか?

全然続けられる話ですし続ける気満々ですが、1巻で1つのお話としては完結してます。

 

・どこかの賞に出したやつ?

これはどこの小説賞にも出してないやつです。どこか出そうかしら。来年4月の電撃メディアワークスとか? kindleに電書で置いて権利100%握ってた方が良さそうな気もしてる。

 

・萌えられますか?

キャラクターは男も女も老若男女いっぱい登場します。みんな何かしら魅力的になるようには作りましたが、「萌えさしたる!」って意気込みでは書いてないです。

 

・言葉遊び系とかラジオトーク系ですか?

いや、それ系では全くないです。普通に小説です。うちの父や母でも「題材がわしらにはちょっと遠いなぁ」と言いながらも、ちゃんと読めると思います。題材を描くんじゃない、それに関わる「人間」を描くんだ(キリッ キリキリッ キリッ キリリッ

 

・買ってもすぐ読まないから申し訳ない

全然気にしないでください。本なんて、読みたいなーと思ったときに読みたいだけ読めばいいんです。私自身、積ん読は多いし。感想も好評も義務じゃありません。買ってくれたら応援していただけているということだから、それだけでめっちゃ感謝をしています。マジです。

 

・読みたいけど好きになれないかも

もう全然気にしないでください。私は書いて、出した。それでもう終わってるんです。それをお金払って手に入れた人が、気にいってくれようと時間の無駄だったと思おうと、それが真なる感想です。作者は常に、読者の感想を答え合わせできません。完全にトンチンカンな誤読の上の感想みたいなのとか、悪意たっぷりに読んだ感想とか、そういうのはこっちで見なかったことにしますし。その取捨選択は「作り手側のスキル」です。誤読でない上で「面白くなかった」だったら、それはそれで貴重なデータとしてありがたいのです。もちろん、そう思われないように技と時間をかけて頑張って書いてはいますが。でもほんと、それはそれ。

 

 

 

以上!

コミケウェブカタログに行くのもめんどくせえ!という人のために、新刊のあとがきをのっけておきます。元が縦書きのやつをコピペしただけだから見にくいかもだけど、許して! 改変してるエネルギーはゼロよ! ネタバレは無いから大丈夫だ!

じゃあ、会場で会えたら会いましょう! このブログ見て来てくれた人は一言でいいので「ブログ見て来ました」って言ってくれると嬉しい。

 

 

 

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    平成最後のあとがき(プレミアム感マシマシ)

 

 中学生までで時間を忘れてハマった趣味と言えば、もちろんゲーム。ただ、それに唯一匹敵しえた趣味が読書でありました。年がら年中何かを読んでいたわけではないけど、読み出すとゲームをする時間も忘れて没頭したものです。図書室にあった少年探偵団とか、その後はスレイヤーズやフォーチュンクエストのようなライトノベルとか。

 

 そんなこんなで高校生になった頃にはそれなりに本好きな少年だったのですが、その私に大衝撃を与えた小説が、父母の本棚にあった山崎豊子先生の小説です。『沈まぬ太陽』とか『大地の子』とかですね。どういう小説かと言うと、サラリーマンが主人公で、企業内部での暗闘や家庭での苦労がメインの「大人の世界の話」です。


 もう、完全に異世界の話でした。当時はインターネットも機能しておらず、SNSだって無い。大人たちはお互いや若い世代を牽制しあうように、公私共に恥を晒さず、夏休みが三日でも平気なふりをして、『無欠で立派な大人』を演じていました。情報が閉ざされ、まだその建前が機能していた時代だったとも言えるでしょう。子供からすると、あまりにも理解しがたい謎の存在……それが「大人」で、だからこそ「大人の世界」は幻想世界やSF世界よりもわからない謎が渦巻く世界でした。


沈まぬ太陽』では、主人公はJALっぽい企業の労働組合の組合長になって、待遇改善を要求したストライキをしたがゆえに上から睨まれ、親友と思っていた同僚から売られ、アフリカに単身で飛ばされ、ヤクザのような取締役と娼姫のような愛人がどこからか入り込んできて、あの大事故が起きて、同僚は副社長にまで登りつめて……お、おいおい……マジかよ!? っていう衝撃の展開、恐るべき『ダークファンタジー』の世界でした。「この作品は、事実を元にしたフィクションです」どっちやねん! たしかJALから訴訟起こされたんだっけか。


 とにかく、「欲望やだらしなさを持つサラリーマンの男の世界」は、私にとって「完全未知の新世界」だった。新鮮すぎて、ハマりました。もっとこの世界について知りたい、冒険してみたいと思いました。そこからな気がします。ライトノベルは一旦置いといて、推理小説とか、警察小説とか歴史小説を読むようになったのは。


 今は「異世界転生」が流行りですが、私は若者こそ、お金や大人の社会の文法が書かれたフィクションを読むといいと思います。勉強になるとかそういうのより、単純に、面白いから。若者は、必ず来るいつか、自分が大人になって夏休み3日の世界を爽やかにタフに生きないといけないことを恐怖しています。見て見ぬふりをしています。でもそれは騙されているというか、幽霊を恐れているというかで、未知からくる恐怖です。さっさと「へえー、こういう感じなんだ」と大人たちの弱さ・大人社会のテキトーさを知ってしまえば、今の自分たちの延長なんだと見えてくれば、少しはホッとする。何より「異世界」の連続ですし、想像を上回る刺激にドキドキが尽きません。


 そんなわけで、本書は「大人世代はもちろん、子供世代が読んでも楽しい社会小説」を目標に書きました。前作「黒春」が「親世代だけ読めばいいや」ぐらい割り切っていたのと、真逆の試みです。


 だから、超頑張ってルビ(ふりがな)を振りました。これ、自動でできることじゃないんですよ……全部、手打ちですよ……楽しいかって言われたら超つまらない、しんどい作業です。だって、自分だと全部読めるんだもん! 中学一年生以上に見える単語には全部ふりがなをふっておいたつもりです。やったね、小学六年生から読めるぞ。


 ……内容的に小六が読みたがる内容か? というのはルビふり中に100回ぐらい疑問に思いましたが、小学生向けの角川つばさ文庫が「ハルチカシリーズ」を角川文庫からそのまま移植して出しているのを見て、勇気がもらえました。「本気かよ……」って目を疑ったとも言います。あれこそ、考えるのが好きな大学3~4年生レベルの内容だと思うので。絵をかわいくしてふりがなを打てばいいってもんじゃなくないか、角川さん!?

 このあとがきを書いているのが年末だから「一年を振り返って」みたいなあとがきになってしまいますが、今年もいろいろありました。
 昨年から複数のゲームの会社さん(どれも名前出しNG)で文章のお仕事をさせていただいているのですが、今年それらのお仕事もかなり増えました。このような同人作業で画像編集も習熟していたので、テキスト業務に付随して、そっち周りの仕事もぼんぼこもらえる。思っていた数倍忙しくなり、「夏から毎月一冊電子書籍」を予定していた本シリーズは、冬のコミケが初出・電子版は手が空いた時に頑張ってやる、という具合に。


 本シリーズは電子書籍出版をメインに考えています。コーディングさえできればアマゾンに簡単に、半永久的に置いてもらえる時代で、ぶっちゃけ「印刷費がかからない」のは滅茶苦茶ありがたい。紙の本をめくる楽しさは何より私が好きなことなのですが、ブログやらツイートやらがバズった時に「この人の本、読んでみよう」と、お手軽アクセスのインフラを個人構築できるのはDL販売だと思うのです。だから2巻以降が「物理本として出るかどうか」は……私自身にもまったくわからん! 2巻以降はDL版のみになるかもしれないけど、読んでいただけたら幸いです。そもそもこの物理版1巻だって、「コミケは何度も出てきたし、平成最後のコミケだけ出ないっていうのもね?」という、自意識というかミーハー根性からの産物です。わしはのう、平成最後のコミケで本を売ってたんじゃよ……って数十年後に言いたいじゃないですか。本当に便利だ、何でもプレミアム感が増すぞ、「平成最後」。

 

 平成最後の表紙絵・挿絵はケリーさんに描いていただきました。
 そう言えば、本に挿絵を入れたのは「アニオ探偵アニタ」以来かもしれない。
 これも、少年少女に読んでもらいたいゆえです。
 ギャグあり、シャープで緊張感のある場面もアリ、そういう複雑な方向性の発注でしたが、ケリーさんは絶技をもって想像以上のものを描いてくださいました。大変感謝。2巻以降も、私のキャラクターをケリーさんに描いてもらえることをモチベーションに頑張ります。

 

 本当は関わったゲームのテキストこれこれこれだから見てね、って言いたいんだけど、契約上言えない。なんでやねん、なんでやねん、なんでやねーん! おかしかないかゲーム業界!? 言えたらコミケでももっと人たくさん来てくれるやーん!!


 そういうあれこれが「プロゲーマー’ズ」の原動力です。
 タイトルは「ゲームに関わってお金を稼ぐ人たちの」です。「の」何でしょうね。プライド、生活、勝負、悩み、未来……いろいろあるんでしょう。このプロゲーマーというのは広義のプロ(お金を稼ぐ人)であって、だから勝多や文七だけではなく、新聞記者の九眠やマネージャーの楠田さんも主人公的な、社会派群像劇エンタメです。2巻以降も、ゲームに様々な形で関わるいろいろな人が出てくる予定です。バーチャルユーチューバーとか。


 あ、最後に。
 ゲームは詳しいけど将棋は頑張って調べた程度です。本当の将棋人からすると「プギャー!」って指差して笑っちゃう描写もあるでしょうが、許してつかぁーさい。こ、これ……そもそも、未来の将棋界だし(ボソッ)。将棋の複雑な呼称とかはわざと変更しています。


「私はまだ三級ですが、師匠はB級2組で七段です」みたいなのを
「私はまだ三級ですが、師匠はB組二部で七段です」みたいに。
 何も知らないで間違ってるんじゃないよ、って言いたかっただけ。

 

 ツイッターに「糸魚川水族館」で常駐しています。
 一言でも感想いただけると、執筆速度が上がります。
 面白かったら宣伝してくださいまし。執筆速度が超超超上がります。
 
 では、本文・あとがきともに最後まで読んでくださってありがとうございました。
 今まで応援してくださっている方々も、本当にありがとう。文章が続き、飯が食えるようになったのはみなさんの暖かい励ましのおかげです。
 次の元号が何なのか、これを書いている時点ではさっぱり知りませんが、
「〇〇最初の年」も、その後も、読者の皆様と私にとっていい年でありますように。
 またお会いしましょう!

                                糸魚川水族館

ゲームを楽しむハードル

大きな書き物が終わったので、雑文を書きたい気分です。

今回はがっつりゲームについて。

読んでやってもいいぜって人はお付き合いくださいませ。

 

格闘ゲームは楽しむハードルが高いから衰退した」

 

みたいな、数年に一度はぶりかえす話題がまたぶりかえしていました。

本当にハードルが高いままなのか?

本当に衰退したのか?

スマブラポッ拳はその話題内での格闘ゲームに含まれるのか?

いろいろと気になるところはありますが、長らくゲーセンに通っているものの格闘ゲームへの食指は動かなかった身としては、少しだけ「新たにチャレンジするのは、(時間とコイン的な意味で)勇気がいるな」という実感も持ってはいます。

 

家用の格ゲーなら10年ぐらい前まではけっこうやってまして、ダブルサマソー、瞬獄殺、ジャンプしないでザンギエフの2回転投げ、DIOのザ・ワールドまで思ったタイミングでほいっと出せるぐらいの格ゲー嗜みティはあります。家用のストⅤでベガの人と延々と連戦して、50連敗したけど。付き合ってくれた名も知らぬベガの人、ありがとう。

 

……

やっべえええ

もう結論出ちゃったじゃん……

「斜め後タメ斜め前斜め後ろ斜め上BA」を思ったタイミングで出せても、「それ↑が2回含まれてるけどどうしてコマンド中にジャンプしないの?」とつっこまれたら上手く説明できない「2回転投げ」が任意のタイミングで出せても、50連敗するわけです。

みてみて、今、昇竜拳が出せたよ、やったー!なんて程度では500連敗はするでしょう。

 

でも

 

ストリートファイター系は

 

まだ優しい

 

瞬発力や判断力に加えて、距離ゲー間合いゲーだからです

 

封殺されるのは楽しくないですが、相手の攻め手や間合い調整が自分よりも全然上手いんだなーっていうのは理解できる。

「強いやつっていうのは、自分の拳が届く距離・届かない距離を実に正確に把握しているもんだ。自分を大きいぞと錯覚してもいないし、自分を小さいぞと過小評価してもいない。今の自分にできること・できないことが正確に見えてるやつが、強いやつの条件だ」

みたいな話は……本で読んだ記憶も誰かから聞いた記憶もないな。私が勝手に作り出した創作上の格闘家の言葉でしょう。仕事してるとそう思うことが多いし。

できるぞできるぞー言ってできない人とか、できるのにできないできない言ってチャレンジしない人っていうのは、ゴルゴみたいな客観性の鬼に仕事取られちゃいますよね。

とにかく、ストリートファイター系って実に格闘家らしいゲームだと思います。格闘技やったこと全然ないけど。

 

コンボゲー系だと、もっとハードルが高いと思うんです。

私が始めてコンボに触れたのは「ストリートファイター ZERO」のゼロコンボでしたが、要は「初撃が入ったあと、タイミング良く押せば(正解を入力すれば)ここまでは確実に繋がるよ」という設計です。格闘ゲームの中にビートマニアのような超ミクロな音ゲーを入れて、さらに深みを増やした感じ。

カプコンvsマーブル」の頃には、エリアルレイヴっていう上にあげてビシドシバシドシドカッっていう長いコンボを出せてなんぼの世界になっていました。

 

コンボゲーが楽しい人はコンボゲーをすればいいと全然思うし、ただ格闘ゲームがコンボ化したことによる「演出面でのハードルの高さ」はあまり語られていないと思ったので、それについて書いてみたい。

 

1、格闘ゲームに触れる動機

 

格闘ゲームがしたくて格闘ゲームを始める新規さんって、あまりいないと思うんです。

何かのきっかけで見たキャラクターを「いいな」と思って、そのキャラを自分の分身のように自由自在に操作して、かっこよく活躍させて、スカッとしたい。

そういうのが「その格闘ゲームに触れてみた」動機ではないだろうか。

いきなり「ねえ、このゲームで強者になりたいから、扱いやすくて伸びしろのある、大抵のキャラにダイヤ有利な強キャラ教えてよ」って言って始める人、どれぐらいいる?

私の兄が『闘神伝』を買ってきたのはデモプレイのエリスを見て自分も「うっきゃー」したかったかららしいし、私がストEX+αで迷うことなくホクトを選んで小賢しい攻めを続けていたのはホクトが美しかったからだ。ホクトみたいな美しいキャラがいなかったらストEX+α触ってないと思う……対戦ゲームは他にもいろいろあるのだし……

 

とにかく、キャラに惹かれて「自在に動かしてみたい」「かっこよく活躍させたい」という感じでレバーや十字キーを握るのが、その格闘ゲームとのファーストコンタクトなのではないかと思う。スポーティーな競技的対戦まで覚悟してやってきた人は、言葉通り「覚悟完了」している小数の適性者だろう。

 

で、コンボゲーって、綺麗にコンボつなげる(=自在に動かしてる感を得る)までにけっこう練習が必要だ。コンボは「コンボ『ミス』」で語られるように、できるのが中級者以上の最低条件、失敗すればミスという減点法で見られる。「追撃の機会を操作ミスで逃した」文脈にあり厳しい。

それだけならいいのだけど、コンボをつなげて地上空中でビシビシやっている時間も長ければ、ビシビシやられている時間も長い

単純にダメージの総量で言えば、全コンボを入れてもストリートファイター系のしゃがみ強パンチ→昇竜より全然ダメージがなかったりするんだけど、とにかくダメージをやりとりするまでに壁や地面にドッジボールやゴム毬のように叩きつけられたりビシビシビシと殴られ蹴られ切られ続けている時間が長い。

「1試合中に 自他キャラが 苦悶の表情を浮かべている時間が長い」のだ。当然だけど北斗の拳やひがんかくはネタとして理解しています

 

これ、上に書いた「新規の動機面」と相性が良くない、齟齬があるような気がするのだ

 

私が名も知らぬベガ兄貴に50数連敗したとき、「はぁーこの人なんでこんなに上手いの……完封されるんだけど……」と思いつつも、悪あがきはずっとさせてもらえた。当たると思ったわたしの攻撃をすんでのところでかわし、矢のようにベガの長い足で立ち中キックを入れてくるのだ。ビシッ。いてえ!

だったら、これならどうだ……ひょいっ ビシッ いてえ!

それなら、これなら……ひょいっ ビシッ ちきしょう~~~!!!

 

これがもし「体力の五分の1を持っていく長いコンボ」の猛攻でいてこまされていたら、どうなるだろう。

ビシッ→ビシビシビシドスドスドスドバババ、バ

ビシッ→ビシビシビシドスドスドスドバババ、バ

ビシッ→ビシビシビシドスドスドスドバババ、バ

ビシッ→ビシビシビシドスドスドスドバババ、バ 

ビシッ→ビシビシビシドスドスドスドバババ、バ

K.O.

 

『ビシビシビシドスドスドスドバババ、バ』の間は私は操作不能で、ゴム毬のようにベコベコにされる「自在に動かしたかった」「かっこよく活躍させたかった」マイキャラの無残な姿を見続けるしかない。

こ、こんなはずじゃ、なかった……というか、マイキャラに対してなんか申し訳なくすら思えてくる。うーん……俺が触らない方が、このキャラの凜々しい姿を目にする機会が多いのではないか? ファンとして応援はするし上手い人のプレイ動画は観るけど、自分自身でプレイするのはやめよっかな……みたいな。ひがんかくは笑えるからそのままでいいです

 

スマブラ格闘ゲームかというのは議論があるけど(高機動・短射程・低パワータイプのキャラたちはアイテムの出現率設定で評価が大きく変わるよね)、とりあえずあれは「誰もが、すぐに思った通りに動かしやすい」「スマッシュ攻撃で死ぬときはギャグ漫画のように吹っ飛び一瞬」という明解さがある。マリオのドゥルルルルとPKファイア連打は反省してください

 

「初心者用にコンボ練習モードを作りました!」

 

気持ちはわかる。実際打てる手ではそれだと思う。

だがそもそもコンボによって発生するビジュアル面自体が、「ゲームをすぐにそこそこ楽しみたい」ライトプレイヤーの動機と相反するハードル要素だったら?

もしそうなら、格闘ゲームはハードルが高いと言えるだろう。

極論私たちは、立ち絵で表情がちょっと変わるだけのゲームを、同人誌描きまくるほどにどっぷり愛せる脳か心の回路を持っているのだ。本家格ゲー「デッドオアアライブ」は全く触ってないけどそのセクシーゲー「ヴィーナス バケーション」にハマってる知り合いは普通にいる

 

 

もうひとつ。

 

2、勝てないから楽しくない、の本当の意味

 

もし初心者をゲームに根付かせたくないならば簡単で「わけもわからんままに敗北させるを延々と繰り返す」だけでいい。

ぷよぷよのガチ初心者、挟み込みや階段などの「こうすれば連鎖ができるよ」という型すら知らない人を、中級者以上が最速の6連鎖で延々と倒し続ける。

型を知って考えながら「こう……でいいかな?」「こう……かな?」という段階の人に、最速の6連鎖を浴びせて練習できないまま倒す。

10回も繰り返せば「ねえ、別のゲームしない?」と言ってくるだろう。

相当タフで性格までいい人でも20回も繰り返せば「……俺、このゲームは向いてないっぽいわ」と怒りや不満を抑え込みながら言ってくるはず。

初心者相手にそんなことしちゃダメだぞ、ゲームは楽しい時間を共有するためにあるんだから。

 

命題

「わけもわからんまま自分が負け続ける→初心者は根付かない」……真

 

対偶

「初心者が根付くには→わけがわかる中で相手に勝ち続ける」

 

命題と待遇の真偽は一致するから、これも真だ! ヤッター! 数学的勝利ッ

 

ただこれは、わけがわからん大混乱が常な対戦だと「勝ったか」「負けたか」が自分の「上手く操作できたか」「自己実現できたか」の指標になりやすいってだけだと思うんですよ。

実際は、「上手く操作できた実感」「達成感」がグッとあれば、負け続けてもそれほど嫌な気分にはならないと思うんですよね。

 

私はぷよぷよシリーズが大好きで、開発がセガになりキャラが一新され「死ね」とまで言われた「ぷよぷよフィーバー」時代も休むこと無く遊んでいたユーザーであります。自称お嬢様であるラフィーナの「ふん、へそで茶が沸かせますわっ!」は名言。ぷよeのアイコン眺めてて、ホホウドリの存在が抹消されたのも気づいてしまうレベル。

 

ぷよぷよで初心者をハマらせる方法はけっこう簡単で、

 

1、まず基本的な連鎖の組み方(特に3連鎖まで)を、絵を書いて教える

2、それが完成するまで待つ

3、その1つ上の連鎖を撃って私が勝つ

 

4、慣れてきたら「4連鎖にするにはどうしたらいいでしょう?」と聞く

5、大抵答える

6、じゃあやってみようと対戦開始

7、完成するまで待つ

8、その1つ上の連鎖を撃って私が勝つ

 

9、「5連鎖いってみよう。5連鎖できたら町内会3位レベル」とやや大げさに勧める

10、待ってあげて、5連鎖を撃たせる

11、5連鎖で相殺するか5連鎖の一つ上の連鎖を撃って私が勝つ

12、延々と5連鎖の練習に付き合う

13、5連鎖でCPUをボコらせる

14、実際慣れてくるので「組むの速くなったね」などと褒める

15、6連鎖を勧める

……

の繰り返し。

ここで重要なポイントは、「べつに、わざと負けてあげる必要はない」ことです。

無理だと思ってた5連鎖が組めた!

5連鎖までならかなり早く組めるようになった!

今までは5連鎖までだったのに、6連鎖が組めるようになった!

7連鎖が意識的に組めた、自分、すごいのでは?

8連鎖出た! もう中級者以上なのでは? これ、友達に見せたら尊敬されちゃうのでは?

そういう「事実」だけで、勝手に自分とぷよを一体化させていく。

初めて意識的に8連鎖が組めた時に、先輩から9連鎖で倒されても、勝敗なんて頭の外です。興奮して、「はやく、もういっかい早く!」と再戦をせがんでいるでしょう。気持ちは「この感じなら9連鎖も、いけるかも」です。

 

やろうと思ってたことが、やってみたら、意識的にできた。

大げさな言い方をすれば「なりたい自分に、なれた(変われた)。手応えあり!」なわけです。

これ、めっちゃ嬉しいですよね。

そういうなりたい自分への変革を続けていける希望があるなら、いつか先輩ともガチ勝負で張り合えるだろう……

その希望の前には、30連敗とかどうでもいいんです。

「へへ、先輩……下キー封印して付き合ってもらって悪いっすね。この3時間で成長したのは……正直、先輩より圧倒的にオレっすよね?」

「うるせー そういうのは一回でもオレに勝ってから言え。……でもまあ、そうかもな……」

 

イイハナシダナー(AA略)

 

前述の通り、突き放す方法も簡単で。

最速6連鎖で何もさせてあげないのももちろん、考えながら組んでる人に3連鎖で意地悪するだけでクソデカため息、うんざり、他のゲームしよーってなります。

もし本当にぷよぷよeスポーツしたいのなら、相手からの3連鎖への対処法は身に付けないといけないのですが、そんなのはうんと後でいいんです。大事なのは学ぶ内容ではなくて順番。

「オレは、自由にさせてもらえれば10連鎖だって撃てるんだぜ!」という自信が構築されていれば、それを活かすために対3連鎖……「相手の画面を見ながら自分のぷよを積む」「本線とは別に副線を延ばす」なんて人外魔境の修羅道にも耐えられるはずです。やべーよeスポーツ

 

 

 

3、ちょっと整理

 

Aパート

・わけもわからんで負けたーは最低

・わけはわかるけど得るものの少ないまま負け続けるーは悪手

・やりたいことができずに負けるのも悪手

・やりたいことができて負けたは別にいい

・僕は今ッ 成長しているッ って思えると続きやすい

・CPUでもいいから、倒せる相手が増えていくと続きやすい

---

ここまで来ると、あとは実力伯仲の相手とマッチングさせれば、沼へいらっしゃい。

Bパート開始。

 

 

 

……大変だなぁ、対戦ゲーム(対戦競技)を好きになってもらうのって。

Aパートでは成果が実感しやすい効果的な練習メニューを提示してくれる軍師、さらに根気よく弟子の成長を見守ってくれる精神的アニキが必要。

 

そしてBパートでは同じぐらいの実力の対戦相手が必要。

 

どっちも、幸運や自他の努力がないと手に入らなくて普通の存在。

テニススクールとか週1で通うとお金かかるけど、それは「普通は手に入らない、AパートとBパートの人材を集めて貸してくれているから」なんですね。ハマらせてくれるコーチや対戦相手というのは、古来、お金を払って求めて当然のものであった……

 

なんでこんなことを言うかというと、先日始まったぷよぷよeスポーツはレートバトルのマッチング幅が広すぎて、Bパートが残念な仕上がりになっているからです。

私は全世界順位7000位ぐらいなのですが、全世界順位500より上、地域順位1~3位クラスとどんどこ当たります。実戦でホイホイと10連鎖出せる私で40勝140敗ぐらい。勝利のほとんどは、開始時レートが高いためにマッチしてしまったかわいそうな初級者~中級者たちです。実力伯仲の相手と当たれた記憶が180戦で10回ぐらいしかない。

私のぷよeプレイを見ていた兄が言ったことは

「……こんな感じだからさ、ぷよぷよは上手すぎる人しか残らないんだよ。オレ、お前すら負け続けて心折れかかってるの見て、絶対やろうって気にならないもん。はやく変わってボーダーブレイクやらせろ」

です。うん、そう思う。

 

ぷよeのマッチング(Bパート)は完全にマッチング幅調整の甘さだと思いますが(マッチしない~過疎ってる~と評判が立つのを恐れすぎたのでしょう)、オンライン対戦をするゲームは家庭用であれアーケードゲームであれ「よいB環境の提供」には10年以上苦労されて続けているのを見てきています。

狭いレート幅でマッチングを行うことが大正義なのはその通りなのですが、そのためには潤沢なユーザー数が必要です。

そのために、この過当競争の時代において「面白いゲームを作り」さらに「魅力的なアピールを成功させる」ことは針の穴を通す超絶技巧です。

それができて狭いレート幅でのマッチが可能になったと思ったら、今度は「サブカ」や「初心者狩り」という超しょうもないお客さんに対処、それらが入り込まない・居座らないシステム作りを頑張るしかない。

先ほどのテニススクールの例で例えるなら「未経験者専用テニス対戦交流会」に「気持ちよくなりたいから」という理由で10年来のテニスプレイヤーが混ざって、対面していないのをいいことに「ヒャハハハ、雑魚雑魚-!」って台無しにして気持ちよくなってる感じです。「あんまりだ」と指摘されても「未経験者かどうか審査する仕組みを用意してなかった主催側が悪いんでーす!」って言いながらやるケースがほとんど。魂がしょうもない。

 

なんかまとまりがなくなったけど、満足したからここまで。

とりあえず、もしゲームが流行る可能性を上げたいのなら、前述の

 

Aパート

・わけもわからんで負けたーは最低

・わけはわかるけど得るものの少ないまま負け続けるーは悪手

・やりたいことができずに負けるのも悪手

・やりたいことができて負けたは別にいい

・僕は今ッ 成長しているッ って思えると続きやすい

・CPUでもいいから、倒せる相手が増えていくと続きやすい

(補足)

前段階として、

わけもわからん、やりたいことも見えてこん、みたいな複雑性はネガティブ要素。

---

Bパート

・実力が同じぐらいの相手と対戦できる

・そのためには膨大なユーザーが必要

・そのためにはキャッチーな要素と広告が必要

 

そもそもけっこう大変だな

っていう感じ。

 

あなたが全く新しい運動スポーツを考えついて、

その教室を開いて、

ブーム作って大会開く並に大変。

その競技自体の駆け引きが面白いのはもちろん、コーチが示し方上手・待ち上手・褒め上手であるのはもちろん、さらにコーチが美人やイケメンであるとか、学校の人気者がハマってるとか、なんかもう「新規が居着く条件」は本当に大変。

 

格闘ゲームは衰退したんじゃなくて、90年代にゲーセンや家庭用格闘ゲームにそれらが揃っていたという奇跡があったのではないだろうか。

60年代や70年代に、みんながボウリングしているボウリングがブームであったらしいけど、今さすがに「プロボウラー」って聞かないよなってぐらいに。

 

とにかく、漫然ととりあえず作ってみるのでは無く、狙いと試みと時間をもって作らないと、触れる情報も多く選択肢も多い現代、ハマってくれる物づくりというのは大変だろうなぁって思いました。

「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない」

進化論における“赤の女王仮説”って言うらしいのですが、なんかかっこいいですよね。

レッドクィーンには一生ルームランナー走らせたい。

オンライン時代となり、ゲームも「開発」だけでなくリリース後の「運営」の比重が増えた今にますます刺さる言葉に思います。

 

 

 

ぷよeは、本気で流行らせたかったらはよマッチング幅改善して☆

中級者がなんとかして勝つために大連鎖狙わないで3連鎖即撃ちみたいなのでレート維持しちゃってるよ。楽しさと未来切り売りな癖つけちゃってるよ。初心者はいない。

 

よしなに。 

子供に本を読ませる方法

エクストラステージ

「そんなこと言っても、本を読む子供に育ってほしい」

 

 

ええんか?

ほんまに、ええんか?

 

息抜きに、10歳で、15歳で、20歳で、こういうブログの長文を何時間もかけてドバーッて書くような感じの子供になってもええんか?

もしそうなった時に

「理解できない」「気味が悪い」「どうしてこうなった」

なんて思わないで、

「やるなあ」

って笑顔で頷いてられる親でいられるんか?

その覚悟はあるんか……!!!?

 

以前ツイッターで見かけたけど、フィギュアスケートだったかな。テレビで大きな大会が取り上げられるたびに、それを子供に習わせたいという親御さんはけっこういるそうや。自分の子が羽生君になってくれたら最高やからな。で、コーチに相談に来るらしい。

「うちの子供にフィギュアスケートを習わせてみたいが、果たして続くだろうか……?」と。

でもコーチは

続かなかったらどうしよう、は心配しなくていいです。別の趣味や特技を見つければいいだけですから。でも、お子さんが、予想以上にハマりすぎた時のことを最初に心配してください。才能もあり人一倍努力もでき、五輪を目指せるというのが見えてきてしまったときに、その専門的なトレーニングを子供が『どうしても受けたい』と言った時にどうするか見当をつけてから、門を叩いてください」

みたいにお返事するのだと。

よくわかる。

マイナーで険しい道の習い事や、学問分野っていうのはそっちの方……「できすぎるようになったから、うちの子供が遠く理解できなくなってしまった」「子供が自分に理解できない言葉で喋る」「なんか、かわいくなくなった」「相手にして疲れる」「こんなはずじゃなかったのに」という方での軋轢をよく見てきたなぁ。

つまり「子は親を超えられない、この子は自分がいないと生きて行けない」っていう、弱者に頼られるのが好きというか(教員には堂々と「頼られるのが好き」を志望動機に言う人がたくさんいるぞ)、子供を愛玩動物的に望んだというか、そういう一方的な理想像でスタートした親子関係は「お望み通り、子供が強くなると」軋み出すんやな。

 

「うちの子を、なんとか本読みにしてください!」

「やってみせましょう。契約完了です」

 

で、子供が学力偏差値75ぐらいの「普通じゃない」逸脱者になると

 

「うちの子、気味が悪い……こんなはずじゃなかった」

「お望み通り、お子さんを本読みにしましたよ? クックック……ではこれにて失礼」

 

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天使というのは「何も心配しなくていいのですよ。何も考えなくていいのですよ。神の無限の慈悲は全てをお救いになる……」って「考えなくていいよ」と迫ってくるのですが、決まって悪魔は知恵者という設定なわけです。そして常識を超えた強大な力を授けると同時に、ありがた迷惑で不幸を呼び込む実行者である。これがムラ社会における「悪魔との契約」の本質なのではないか……って、私の妄想ですけど。

 

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子供がスーパー本読みになって、10代前半で親よりもぜんぜん利発になって、ちょっと理解できない遠い存在になってしまっても全然喜べるという方のみ、以下の内容を読むといいぞ!

 

 

  

1、読み聞かせをする

面倒くさいかもしれませんが、まず入り口としてこれの効果は絶大です。

子供は、勝手に字が読めるようにはなりません。勝手に読書が楽しめるようにはなりません。読書を面白いと思う心の基本ソフトは、他者からダウンロードするのが早くて確実です。

小学1年生は算数よりも国語の授業の方がコマ数が遙かに多いのですが、2学期の半ばまで「ひらがな・カタカナ」をずっとやっていたりします。2学期の後半からやっと漢字に入ります。

「あれ? 自分、幼稚園年長でひらがなは読めたぞ?」と思ったあなた、それは親御さんによる何か個人的な手ほどきがあったのでしょう。読み聞かせとか、字の練習とか。一緒に文字が表示されるゲームで遊んでたとか。そういう体験が無かった家庭の子というのは、小1の二学期まで当然にひらがな・カタカナが書けない、読むのもバキバキに肩が凝って大変だというものなのです。

小1入学時点で「先生の音読に合わせて、教科書の文字列が終える子」と「そうでない子」というのは、授業(ほぼイコールで学校)の楽しさ・理解度という面でけっこう差がついてしまいます。

お疲れのところ大変しんどいと思いますが、豪華声優さんになったつもりで、恥を捨てて、ヤケクソで、何度も何度も、読み聞かせには応じてやりましょう。小1~小2は音読の宿題もよく出ますが、それは「楽しい宿題」として「お母さんならこう読むな」「お父さんならこう読むぞ」と付き合ってあげましょう。ここで頑張るだけで、生涯の教育費が数百万円浮くかもしれませんよ。

「ママ、かちかち山読んで~」

「昨日も読んだじゃない」

「読んで読んで読んでええええええええ読んでええええええ」

「……そうね。じゃあママ、普通に読むの飽きちゃったから、今回はボトムズの次回予告(cv銀河万丈)風に読むね。圧倒的、圧倒的火力に、たぬきの背中が燃える

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「ママ、そんなこと書いてないよ……」

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「来週も、たぬきと地獄に付き合ってもらう」

読み聞かせを「教育的に、やらないといけない作業」にするのはもったいない。子供よりも親(自分)が楽しむつもりで、一人劇場をやりましょう。元気にノリノリで発声することはストレス解消にもなりますし、何気に高カロリー技なのでダイエットにもなります。たぶん。

「今日は綺麗な能登麻美子さん風にチャレンジ」

「今日はダークな能登麻美子さん風にチャレンジ」

「今日は美森すずこさん風にチャレンジ。ひどいよぉ~~シルちゃん~~」

「今日は小林ゆうさんのおばあちゃん&コメ粒坊や風にチャレンジ」

「今日は輝夜月ちゃん風にチャレンジ。おやすみおきてえええええ」

七色ボイスで家の中に物語があふれるようにしましょう。テレビでベッ〇ーの不倫反省会見(なぜ人前で反省する必要があるんだ)を口開けながら見てる場合じゃないですよ。「ありがとう」の1セリフで100通りのキャラを演じ分けられるようになったら、あなたはもう子供から慕われるいい親です。「ママー! 綺麗な櫻井さんで『ありがとう』やってー!」「ありがとう」「……今のは実は綺麗じゃない櫻井さんでしょ」

小2の終わりまではとにかく読み聞かせ。

子供は楽しそうにしている大人の真似が大好きなので、そのうち勝手に「読んで遊ぶ」「キャラの声真似して遊ぶ」ようになります。

こう……「小説を読んでいると、キャラの声が自動的に理想の声で再生される人」がいる……というか、私と兄はそうで、みんなそういうものだと思っていたのですが(だから小説の初のアニメ化のときに「原作と声が違う」みたいなことを言う私らオタクがいるのです)、聞こえない人もいるそうです。案外「文字に当たり前に音が付随する」読み聞かせが行われたかどうかが関係あるのかもしれません。黙読時に脳内で音が聞こえている……たとえばお兄さんの声が石田彰さん的な声で再生されているとすれば、それは逆説的に「信用できないお兄さんキャラ」と無意識下で察知しているわけで、ほぼ読解できているのです。国語の勉強は何もしないでも6割は取れる(漢字以外)ってタイプの中高生は、音が聞こえてる勢なのかも。

私は思い返すと、かなり母が音読してくれていました。「こんな子いるかな」シリーズ、「かちかち山」、機関車ピッポーとおばけの山……私の母は怖いシーンを本当に怖く読むのが上手くて「ひぃ!」となっていたものです。

 

2、本を物理的に近くに置く

小3~小4ぐらいとなると、さすがに読み聞かせという歳でもなくなります。

ここが勝負です。

家に本……絵本や小説が全くない状態で、子供がいきなり「ぼく、本読みたい!」と言い出すなんてことは有り得ません。それはジャンヌ・ダルクが村外れで神の声を聞くぐらい奇跡的な出来事です。

だから

「手を伸ばせば届く距離に本があった。だから開いてみた」

という体験を作る、そういう環境を作ることが大事です。孟母三遷は真です。

 

学校も読書には協力的なので、朝読書や読書週間、夏休みの読書課題などが提示されたら、それをきっかけにして「面白そうな本(小説)」を数冊仕入れましょう。一緒に選びに行くのが手っ取り早いですが、そういうきっかけがこない場合は親側から積極的に動く必要があります。

 

まず本は、「今の子供が興味を持ちそうな小説」であること。

俗っぽくていい。系列で言えば「学校の怪談」系とかでいい。

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本はよくわからないから、名作と呼ばれるものを買ってきた……というのは、だいたい空振りに終わります。十五少年漂流記」とか「トム・ソーヤの冒険」とか「ロビン・フッドの冒険」とかは、刺激にあふれた現代の子供にとって、(場所・時代が違うことから)わかりにくく、地味で退屈な内容に映ってしまいます。トム・ソーヤは子供ながらに大冒険をした少年ですが、今の子は日曜朝の仮面ライダーを見て育ってきた子なのです。それらは今や、毎話出てくる怪人をライダーキックで倒すというような一本調子ではありません。高度にSF的な物語のプロットを、たくらみもあり裏切りもありつつバリバリのCGを駆使して戦っている……そういうフィクションで育っているのです。今の子らは。

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だから詳しそうな書店員さんに子供の年齢、性格傾向、学力状況を伝えて、ジャンル違いで3パターンぐらい見繕ってもらうというのがベストでしょう。「~という感じのうちの子を本好きにしたいのだが、おすすめの本を数冊見繕っていただけないだろうか。俗っぽいのでも全然構わないから」と素直に言えば、協力しない本屋さんは絶対にいません。私たち地底人……じゃなくて、本屋の歴戦の店員さんは全ての人類を本好き沼に引き込みたいと考えています。

この段階では、小説にこだわらず世界の偉人漫画とか歴史漫画とかでも十分です。ただそれらは、「親が子に買って与えた、教材」ではいけない。親が子より先駆けて楽しそうに読むことが何よりも大事です。それ系の漫画は、傍でちょっとした解説をする人がいた方がずっと楽しめる。遠い場所・違う時代のお話が内容網羅的(=山場に対するノイズ多め)に漫画化されているわけですから、児童書や少年誌少女誌の漫画よりはキャッチーさで負けるのは当然なのです。子供はすでに漫画経験等があり、心中で比較できる年頃になっているので、偉人漫画や歴史漫画を買って与えた「だけ」では「親が、ツマンナイ漫画買ってきた……センス無い……」と思われるだけ。傍で遠い場所・違う時代に実際に生きた人のお話で「へえー、8人兄弟! 今の日本と違うわねえ」「アメリカの一軒家は大農場がセットなのねえ」とか言いながら「こう見ると面白い」というのを解説してあげましょう。親が子供の心に戻って率先して楽しむのがコツ。

あと、それ系の漫画は肝心なところがササッと大急ぎで感覚的に流される傾向があります。子供達との家庭内不和とか、不倫とか。子供は「なんで結婚してるのに、他の人を好きになっちゃったの?」と、めちゃくちゃ気になっています。そういう疑問に答えるのは偉人伝でも学校の先生でもなくて、傍にいる親の役割です。はぐらかすのはいいことではないですよ。早めに、どの人間にも起こりうる事象として「そういうこともあるのよね~人間って」って教えておいた方がいい。「好き合って結婚してもね、ママもパパも一人の人間だからね、お互い努力しないと恋が冷めちゃったりするのね。恋って努力が大事なのよ。で、人って孤独だから、寂しいと結婚してても他の人に惹かれていくものなの。逆に、好き合っていても結婚しないって関係だってあるのよ……」みたいに。「子供だから知らなくていい」みたいなのは、何の訳にも立ちません。有害な知識? それじゃあ「キュリー夫人」一つ読めませんぜ。と、悪魔は囁いておく。

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荒木飛呂彦先生のアシスタントさんたちが書いた「変人偏屈列伝」より エジソンとテスラ)

子供に賢くなってほしいという願いは、子供をかわいいかわいいペットのような状態から抜け出させ、社会を見つめられる一人の独立した人格にするという覚悟を要します。

 

買って家に置いておく本は、1冊だけというのはやめましょう。

ジャンルが違う本で3冊ぐらい置いて、自分で黙々と読み、子供が手を伸ばすのを待ちましょう。

クリエイティブなお仕事も3案提示して1案選んでもらう、というのがお互い安心できるところです。1案だけだと、話はなかなか前に進みません。

ただ、本を家に持ち帰ったときに「誘導の仕方」はあります。

 「古本屋で安かったから、あんたのために買ってきた。ほら、読みなさい」

なんて絶対に言っちゃダメ。

子供は強制されるのがとにかく嫌いです。

「古本屋で安かったから、買っちゃった。うふふ、私、前から読みたかったのよねえ」

みたいなのが強い。

あんたのために買ったわけじゃない、って明言するのです。

私が私の楽しみのために買ったと言って、目につく所に置いておくのです。

10歳以下の子供というのは自分がプリンスorプリンセスというのを疑っていません。一人っ子なら、家の中では自分が絶対の中心だと確信しているレベルです。

親なんて自分の補助装置・召使いぐらいに思っています。なんだかんだ、泣いて騒げば言うことを聞いてくれる。ちょろい。どれだけ悪いことをしても、最後の最後には絶対に自分の味方になってくれる。なんだかんだ親は僕・私に嫌われたくないのだ……なんせ僕・私は親が辛い現実を生き続ける「生きがい」なのだから……そう確信しています。大人はクレヨンしんちゃんの劇場版を見て「家族っていいなぁ」と思うのですが、子供は冷静に「ひろしもみさえも、結局はしんちゃんを心から愛しているんだ」の部分をこそ学び取とり、自分に当てはめているのです。 

なので

お、おかあさんが……

ぼ、ぼくのことを放っておいて……

「自分のために買ってきた」「本を」「楽しそうに読んでる」んだけど!?

というこの光景は、ショックです。ガツーンと来ます。

長男や長女が弟や妹ができたときに「愛が奪われる」危機を感じて下の子に意地悪をするように、「や、やべえ」って思います。そして本は「なんなんだ、あれは……本というのは……」という興味の対象になります。

しかもそれが江戸川乱歩の「青銅の魔人」だったらどうでしょう。

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完全にヤバそうな、だけどどこか笑いが込み上げてくる表紙です。ひりつくアート。

子供が男児なら、興味を持つなという方が難しい!!

 

買ってきた本に子供が興味がないふりをしても、実際に興味がなくても、全然OKです。

小学生の子供は夜中じゅう家の中を走り回っている猫のようなものなので、そのうち本にぶつかって、本に手を伸ばします。

ぱらぱらとめくっていたら「釣り針に獲物がかかった」って感じで放っておいてください。「あらぁ、本なんてよんで〇〇くんは良い子ね!」なんて言っちゃダメ。子供は褒められたいとは思っていますが、べつに良い子にはなりたくないのです。ウルトラマンでも、怪獣の方を応援するでしょ。仮面ライダーでも癖のあるライバルや敵幹部の怪人を応援したり。だから自分でしばらく読ませた後に

「へえ……あんた、あれ読めるんだ。……思ってたより、やるわね」

って、本気で驚き感心している顔をしてボソッと言う。

はい勝利。もう、脇目も振らず読みまくりますよ。で、勝手にはまっていきます。

……たまに現場のプロにもいてしまうのが悩みの種ですが「あらぁボクぅ、良い子ね~」という褒め方は子供をキレさせる全ての要素が入っています。「子供扱い」と、「良い子」ですね。例えば注射で泣かなかった男児に「あらぁボクぅ良い子ね~」と言うか「あら、強い。あんた、大したものね」と言うか、それだけで子供からの気に入られ方は天と地です。

もし買ってきた本について「……これさ、何が面白いの?」なんて子供が聞いて来たら、それはそれでよし。

それがどうして、いかにおもしろいか、楽しみ方や面白みを解説してやりましょう。

冒険者たち(ガンバの冒険)」だったら「イカサマがかっこすぎるでしょ……イカサマはお母さんの初恋の人なのよ……(初めて描いた同人誌はイカサマ中心オールキャラ本だったわ……)」

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イカサマ……? ネズミじゃん!?」

「わかってないわね。ネズミだけど、誰よりも男気があるわ」

「そうかな……僕はイタチのノロイの方が好きだな。強いし」

ノロイも敵ながらかっこいいわよねえ。でもその圧倒的“暴”をガンバたちが知恵と勇気で克服していくところにロマンがあるわよねえ。オイボレが実は凄いキャラだったっていうのも……」

 

親と、本の話題だったら、仲良くできる

 

ゲームはやりすぎると怒られるけど

本はどれだけ読んでも嫌な顔をされない

むしろ話題的に盛り上がっていく

 

そういう「読書という娯楽」に対する「安心感」を絶対のものとしましょう。

だから「あんた、本ばっかり読んで……ちょっとは外で遊んだら?」とか、ダメ。

なんだ、結局ゲームと同じで、親によって限度が設けられてて、それを超えるとお小言を言われる娯楽なんだ、と思われたら台無しに近いです。

本屋に連れて行って「これ読みたい」と言ったものを、恩着せがましくなくスッと買ってあげましょう。角川つばさ文庫とか。青い鳥文庫とか。若おかみは小学生。最近は小学生も大変だな。しかし子供は飽きっぽいので、表紙に引かれて買ったものの途中で放り出すことがよくあります。その時「お前はどうせ最後まで読まないから、次のは買ってやらん!」なんてしちゃダメ。道理的にはそう言いたくなるものですが、「前のはまだちょっと難しかったか……ま、じゃあ次のに行こう。でも来年また読んでみるといいぞ。お父さんはあれ面白かったからな。たぶん〇年生になったら面白く感じるだろう」って感じに。

とにかく、読書を「課題」や「罰」にしてはいけません。

今のを読み終えない限り、次のは買ってやらん!」と言ったが最後、へそを曲げて「じゃあもう、次のもいらない」と食いついてこないのが子供です。とにかくいっぱい触れさせて、その中からお気に入りシリーズが一つ出てきたならOKという心構えでいきましょう。お気に入りシリーズは「こわいもの係」かもしれないし「若おかみは小学生!」かもしれないし「逆転裁判」かもしれない。「シートン動物記」かもしれないし「少年探偵団」か「ハリー・ポッター」かもしれない。

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1シリーズにでもはまれば、もう本が疎遠となるルートは無くなります。いったん離れても、必ず人生のどこかで帰ってこられます。

ほいほい本を買ってあげるというのは、行うべき投資です。それを許すか許さないかで、生涯の学費や塾代が数百万円以上変わると思えば、全然安いでしょう。

 

3、親が読んでいる姿を見せる

子供というのは、「口だけの大人」が大嫌いです。

もし子供に嫌われたいという親がいるのなら、その方法は簡単。

・自分にはできないことを、子供に子供の義務としてやらせる、やれて当然だ、なぜできないのだと叱る

これで一発で嫌われることができます。

上司が部下に嫌われるのも大体このパターンですよね。

 さらに子供に見限られるレベルまで行く方法もあって

・自分にはできないことを、子供に子供の義務としてやらせる、やれて当然だ、なぜできないのだと叱る。自分はできるとバレバレの嘘をつく。自分は若い頃はできたとバレバレの嘘をつく

これでもう、すっごい冷めた目で見られるようになります。惨めだもの。

……

「中学生は反抗期」なんて言葉がありますが、あれって、だいたい「全知全能と認識させてきた親像が、勉強が難しくなるにつれて崩壊し、そのフォローを嘘をついたり苦しい言い訳をしたりしてミスって見限られ始めた」っていうだけだったり。

「中学生の定期テストは甘くないんだから! 勉強しなさい!」

「仕方ない、するかぁ……。ねえ、この数学の文章題教えてよ」

「あ、こ、これね~。これはまあ、簡単ね……え、えーと、えーと……」

「(……あれ? その前段階もわかってない?)」

「あーいけない、ど忘れしちゃった。あんたももう中学生なんだから一人で教科書読んでやりなさい! 私は中学時代、90点以下なんて取ったことないんだからね! 県トップ高にも余裕で行けたんだけど、家から近い高校に行っただけなんだから!」

「……(うちの親、寒ぃ)」

 

反 抗 期 突 入

 

まあ、叱り飛ばしてくる上司が、自分未満の能力しかない、それをバレバレの嘘ついて隠したまま叱り飛ばしてくるっていう構造に、苛立ちややるせなさを感じない部下の方が少ないでしょう。そして中学では親が取り繕えないキラーコンテンツ「英語」の本格登場により、この問題は表面化していくのです……

いや、最初から「あたし昔から勉強苦手だったからねー。もう無理。あんたよくついていけるねえ、すごいわー」ぐらいフランクな関係だったら大丈夫なのですけど。

「反抗期」なんていう子供側に瑕疵があるかのような命名より、 「子にとって無敵のヒーローでありたかった親の、理想と現実の危機」みたいな名前をつけたいですね。

 

前置きが長くなった。

何にでも言えることですが

「本を読めと親は言う。だが親が本を読んでいる姿を見たことがない。俺が居間で宿題をしているその時、ベッ〇ーの不倫謝罪会見を口を開けながら観てた」

 という状況では、子供にとって読書も勉強も「なんで私だけ……」です。

子供を本読みにしたかったら、親が黙々と、しっとりと、本を読んでいる背中を見せるのが必要不可欠です。

これはタブーに触れるかもしれないけど……

中学生以上の子供になぜ個室を与えるか、ですよね。個室問題。

プライバシーが~とかはもちろんなのですが、ぶっちゃけ、大抵の家が、「中学となると通知表も大事だから、子供には勉強して欲しい。だけど私はテレビを観たい」。

その本音と建て前に「プライバシーが~」と言っているだけで、「私はテレビを観たいから、子供には個室で集中して勉強してもらう」という構図を譲れないで、子供を個室に押し込め勉強しろと言い、子供は個室で延々とネット動画・LINE・モン〇ト・パズ〇ラをやっていて崩壊していくという……

我が子をどれだけ信じたって、隙があるなら人は簡単に不正に染まります。チョロイって程度に思われてます。

個室は与えてもいいのですが、「勉強するときは居間で。スマホは預けて」の約束はあった方がいいです。塾に100万円以上ぶっぱなしたくないなら中1の最初にそういうルールを作りましょう。

で、子が居間で宿題なりテスト勉強してるなりの時は、親もテレビは我慢して、静かに子の視界の隅に背中が映るように本を読みましょう。子供の勉強見てあげる必要なんてないです。そんなの過保護だし、難しいから普通の親は見てもわかりません。でも「あたしもテレビを我慢して、頑張って本を読むから」なんて言っちゃダメ。そんなの恩着せがましいし、まるで読書を苦行のように言っている。あくまで能動的に黙々と静かに本を読んで癒されている姿を見せるのが大事です。「う゛、う゛えええぇぇあたし本読むの苦手だよ~楽しんで読むなんて無理だよぉ~」という親御さんには、まずは故さくらももこ先生のエッセイをオススメします。めちゃくちゃ面白いですよ。

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子が勉強しているときは親も仕事のテキストを開いて勉強しておく……というも効果はあるのですが、「うちの親、たしかにしっとり楽しそうに本を読んでるな」という印象づけの方が優先的に思います。勉強が終わったら、子供は個室に引っ込んじゃう可能性高いですからね。もちろん、小学生の頃から「居間で、子は勉強、親は静かに読書」というのは効果的ですよ。一つの同じ宇宙船に乗っている仕事人的な信頼関係が生まれます。

 

4、どんな本を読ませればいい?

まず親は、読書に高尚や低俗という考え方があることを捨てて下さい。

本人が楽しく文字の羅列を読んでいる、それだけで内容がなんであろうと喜びましょう。ライトノベルなんか読んでるから心配だ、もっと世界の名作文学や日本の文豪の作品を読んで欲しい……というのは大人のエゴ100%です。

世界の名作文学が書かれた時代にはスマートフォンもユーチューブもなく、バーチャルユーチューバー輝夜月も月ノ美兎もいません。昔の時代の子供と今の時代の子供が興味を持つ内容が違うのは、環境的に言って必然です。

 

・子供が小2~4

小学校はさすがにスマホ持ち込みOKではありません。すぐ盗難が起きるので。つまり、未だに電子書籍=漫画類持ち込み不可な聖域なのです。

だからこそ「学校に持って行ける漫画的なもの」としての小説に、子供は魅力を感じます。

この現状をわかりきった上で特化させてる恐ろしいレーベルが、角川つばさ文庫です。特に女子に人気です。「なんやこれ、漫画やん!? こんなんいい効果あるんかいな……」と思った親御さんは、中を読んでみてください。普通に、中高生向けのライトノベルより使用されている語彙(ことわざとか故事成語とか比喩とか)は広く、行間も読まされます……ふりがなは打ってあるけど、さりげないエリート教育ですよこれは……

男子向けの読み物が不足してるのがちょっと残念な現状。アニメ化されている作品の原作や、漫画のノベライズなどがおすすめしやすいでしょう。ただ、男の子は「(かっこいいと思ったものなら)テンプレ以外のものにもハマる」傾向があるので、「シートン動物記」のやたらと無慈悲でクールな世界観や、「少年探偵団」ぐらいの怪奇&推理小説とかがいいのかもしれません。

 

・子供が小5後半~中1

子供側から、いかにも子供っぽい表紙のものは避けるようになる可能性があります。楽しく角川つばさを読み続ける子もいるけど。読んでいいんですよ。大学生以上向けのビブリアとかがレーベル内にあるぐらいですから。本人の気持ちの問題です。

で、もし子供が「次」を望むのなら……

女子ならメディアワークス文庫、新潮NEX、冨士見L辺りの沼にズボォッっとハマる可能性が高いです。近隣領域として角川文庫(角川スニーカー文庫ではない)も強い。アニメ化もされましたが「古典部シリーズ」「ハルチカシリーズ」は角川文庫ですし(原作はアニメよりもやや硬派です)、この前映画になった「ペンギン・ハイウェイ」だって角川文庫です(角川つばさ文庫でも出ています)。角川文庫の「万能鑑定士Q」シリーズもハマる子は大変多い。安牌というか当たり牌です。すごい子は京極堂シリーズにハマる。

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男子ならエロいものに対する嫌悪と興味がつりあってくる頃なので、「君の名は。」のスピンオフ小説とかを渡しましょう。本心ではJKが主人公の話を読みたがっている小~中学生男子は星の数ほどいます。

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このスピンオフ小説では、三葉の体になった瀧くんが、自分についてるおっぱいを揉んだときの「……これは……意外と……」からの素直な戸惑いと驚きの感想が、詳細に語られています。もう勝ちです。以後なんだかんだ理由をつけて小説を買ってほしいとせがむようになるでしょう(ぶん投げ)

 

男女ともにあまりおすすめしないのは、重松清先生の小説です(塾の先生はすすめる人が多いのですが)。重松先生の小説は中学入試の小説問題に延々と出続ける鉄板ですが、あれは「大人が見たい、子供の理想の姿」「大人が子供に読ませたいと思う、子供の話」に特化した小説で、生身の子供が読んで面白いと思う可能性は低いです。むしろ、自分たちが俯瞰されつつ未熟さをヨシヨシと愛でられているような、「本ってなんか、微妙だなぁ」「こんな小学生いねー」という感じになるでしょう。重松先生の本は、大人が読むととても楽しいのだけど。それよりは、小学生というのは中学生以上が主人公の、一つ上の思考を摂取したがっているものです。

 

・子供が中学~高校

小学生のときに本読み的な嗜好になっている子なら、放っておいてかまいません。勝手に、学校の図書室や本屋で興味を広げて行きます。

そうでなく「中学から本読みにさせたい」場合は、中学生にとって興味のある本をトスする必要があります。「お前は読書癖が無いんだから、小学生が読むものから読め!」みたいなのは間違い、絶対にダメ。それは多感な年頃の子に屈辱ですし面倒です。

 

女子の場合……若干オタク的なフィクション許容力があるのなら、前述のメディアワークス文庫・新潮NEX・冨士見L・角川文庫辺りの沼にズボォッとハマれる可能性があります。そうでなく実に健全に育ってきているのなら、住野よる先生の「君の膵臓を食べたい」「また、同じ夢を見ていた」など「泣ける!」……綺麗な涙を出させるために全力特化した本たちが強いです。メディアワークス文庫の「君僕系」と呼ばれるタイプの本もこの系譜です(タイトルに超高確率で「君」と「僕」が入ってることから、君僕系という俗称でカテゴライズされるようになりました)。ドラマチックで、運命的な、少しの苦さと澄み切った綺麗な涙が出る話に自身を投影してハマれます。

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男子の場合……ド健全な男子なら住野よる先生の作品でもいいのですが、大抵の男子はド健全ではないので、「デスゲームもの」や「異能力バトル・ロボットバトル」や「ちょいエロいやつ」の引力に真っ逆さまに落ちていきます。上3つを全て満たしている作品も、ライトノベルにはいっぱいありますね。今の子は運動部だろうと深夜アニメの話題に通じているのが普通なので、アニメとして話題になっているライトノベルは、グッズ感覚でもいいから買ってあげるとよいでしょう。けっこう最終防衛ライン、勝負どころです。スマホと個室を手にした子供は、暇のつぶし方を「部屋の中にある物の中から考える」ようになります。スマホで無料ゲームをダウンロードし続けたり、面白い動画を検索したりです。エロいものだってネットで無限に手に入るので、「エロ動画やゲームより、本を読む方が楽しいや」と上回らせる、小学生の頃よりも高いハードルを超えなければなりません。

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5、新書はどうなの?

でも小説なんて架空のお話でしょ? うちはもっと実用的な……大人も読んでいる新書を読ませるわ! そうすれば2倍3倍賢くなるはず!

「決断力」「鈍感力」「捨てる勇気」「バカの壁」「サラリーマンは年収300万で家を買え」「捨てる勇気」「PDCAサイクル」!

うぐ、うぐぐぐ……

あれらは、かなり玉石混淆です。

もちろん面白い内容のものはありますが、中には感情論フルバースト、ちゃんとした論のお手本としてしまったら後遺症を残すようなものもあります。案外、ネットで普通に言われている程度のことが超もったいぶった文体やインモラルな例でどや、どや!と書かれているだけのものすらあります。

だから子供が読みたいと言ったら全然読ませていいと思うのですが、それを「小説以上の進んだもの」として読ませて、妙なプライドをつけさせてしまうことはおすすめしません。不思議な感じですが、架空の物語にすぎない小説の方こそいろいろな物を抽出できる超高密度の物体かなとは思います。

例えばサラリーマン道を熱く語った新書よりは、「壬生義士伝」の上下巻にのめり込んだ方が、「サラリーマンの人生」ってものが実感としてわかると思う。あれは新撰組のお話ですが、その実サラリーマンお父さん小説の大傑作です。だからあくまで新書は子供に希望があれば導入するぐらいのオプションで、親が小説を排してまで率先して渡す物のようには思いません。

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 壬生義士伝マジ最高。「お金にこだわるのが最もみっともない時代に、方言丸出しでお金にこだわる、『脱藩者』にして新撰組吉村貫一郎。普段は穏やか、だがあまりにもみっともない彼の姿は、他の血の気の多い新撰組隊員を激怒させる。が、穏やかで田舎者のその技の冴えは……そして彼がみっともなく銭にこだわる理由とは……」最の高。

 

 

そんなところ。以上、まとめますと

1、読み聞かせをする

2、本を物理的に近くに置く

3、親が本を読んでいる姿を見せる

4、本に低俗も高尚もない。年相応に読みたいといったものを与える

5、新書は小説の“上”とは限らない

 という感じでした。

 

一つ前の記事にも書きましたが、とにかく絶対忘れちゃいけないのは

「子どもを本好きにしたいのなら、子どもが本嫌いになる可能性がある行為をとことん避ける」

という点です。攻めの姿勢よりも守りの姿勢が大事。

本は、元よりフリークがたくさんいるほどに「そもそも面白いもの」なのです。

こっちだって、面白く読んでもらえるようにって、工夫して頑張って書いてるし。

だから年齢経過と共にどこかのタイミングで「自然と好きになる」可能性は常にあります。

今回の記事は「そのきっかけを、少し誘導してみよう」みたいなものです。

本人がさっぱり興味を持っていないもの、レベルにあっていないもの、そもそも親がその本を楽しいと思えていないもの、そういうのを強制して与えるようでは、確実に「本嫌い」になります。「その本を読み終えない限りはゲームを買ってあげないぞ」とか、「お前は本を読まないからダメなんだ」とか「お前は本さえ読めばなあ」みたいなお小言もNG。本に対する敵愾心しか生まれません。

子どもが学校の授業で、図書室で本を借りてきたとしたら「へえ……私もそれ、読んでいい?」ぐらい言う。で、実際読んでしまう。そして子どもが読み終わったら感想を言い合う。子どもが月に3冊も読んだら「すごいねえ。大人でもそんな読まないもんよ」と褒めて自信をつけさせる。そんな風に、上から下に与える「啓蒙行為」ではなく、家の中に当然に存在する娯楽の1つとして本を扱うと、本好きな子どもは増えるのではないでしょうか。本に限ったことでもないかもしれない。

 

以上です。

悪魔はクールに去るぜ

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画像はロード・オブ・ヴァーミリオンⅢの悪魔、バフォメットだぜ

 

お わ り

小説とゾーニング3

小説とゾーニング最終章。

今回は小説という娯楽そのものがメイン。

 

「人前で小説を読むなんて、嫌味なやつだ」

 

と言われたことがある。

社会人になってからのことで、当然業務時間中に読んでいたわけではなく、昼休みに読んでいた。

それも食堂で昼食と歓談を済ませた後、仮眠室扱いになっていた空き会議室で読んでいた。

だから厳密には人前じゃないんだけどな……

「人が入ってくる可能性がある場所で小説を読んでいるなんて、嫌味なやつだ」ということだったらしい。

私が読んでいたのは、たぶん東野圭吾先生の「容疑者Xの献身」あたりだったか。

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探偵ガリレオシリーズ初長編、映画化もされた面白いやつだ。主人公湯川の認める友人である犯人が、ある目的のために驚天動地のトリックをしかける推理小説だ。

 

先輩の言は、どういう意味だったかわかるだろうか。

なぜ、人の目につく可能性があるところで小説を読むと、嫌味なやつになるのだろう?

この先輩は脳筋(脳味噌筋肉)で、中高と超きついスポーツをしてきて、大学はそのスポーツの推薦で入り、この会社にもそのスポーツ部のOBの口利きで入って来たという、根っからのマッスルな人だった。私が入ったその会社はそういうタイプの営業の人を「兵隊」と呼んでいた。「だっておまえらは……頭いいタイプじゃなくて、兵隊だろ?」という言葉が普通に飲み会や研修の席で言われる会社だった。私のような見るからに軟弱なのは「うまくいけば参謀」なのだろうか。どのみち私はすぐに辞めてしまったけど。

 

その、脳味噌まで筋肉で固めたまったく勉強というものに触れてこなかった先輩からすると「読書=勉強」だったらしい。つまり「昼休み、人の入ってくる可能性のある場所で勉強するな。みんなが焦るだろうが。もっと人の気持ちを考えられる人間になれ」という話だったそうだ。

い、いや~……「容疑者Xの献身」なんだけどな……もし翌日だったら銀河帝国弘法も筆の誤り」だったかもしれないし、翌々日ならFate/zeroだったかもしれない。勉強では……ないけどなぁ……漫画読んでるのと同じ感覚というか……

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先輩、どこまでコンプ持ちなんだよ!?

 

 

 

ただ、けっこう世の中には、読書という娯楽をそういう風に「勉強」「大人のたしなみ」みたいに捉えていて、「自分はそれができていないから、その話題になると頭が痛い……」みたいにコンプレックスを感じている人がいる、というのも、あれから10年ほど経ってわかってきた。

あの先輩は本当にスポーツ一本で進路を得てきた人だったので、勉強という行為をしたことがなかったらしい。新入社員なら最初に取らされる国家資格をけっこう落としてしまっていて「営業マン入社なのに営業が許されない」という立場に苦しんでいた。一番泣きたいのは「まさか、あれに落ちるとは……」と想定を大きく下回られた会社の方だったろうけど。「スポーツ専攻を人生のギャンブルにしてはいけない」とは超一流アスリートが発信した言葉だが、正直そう思う。

他にも、私は電車通勤の暇に対するお薬として鞄の中に入れているのだが、あるとき鞄の中をチラ見したお客さんから「まあ! 糸魚川さん、そんなぶ厚い本を! いつも勉強されていて……さすがですわあ……」みたいに驚嘆されたことがある。うむ、う……その本は350ページほどだから特別厚いというわけでもなく、カバーをかけていてばれなかっただけで、中身は「りゅうおうのおしごと!6巻」だった。女子小学生ロリコンハーレムの要素も少しは持つエンターテイメント小説である。なんだか真面目であるかのように、驚嘆されてしまった。勉強……?

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数年前、「電車内で本を読んでいるふりができるスマホケース」というものが、ツイッターで話題になった。数ヶ月前に出たギャグっぽいやつではなく、その時のは本当に「電車内で、他人から本を読んでいる人に見られたい」人用のガチな製品・広告だった。それほどまでに「本を読んでいないこと」にプレッシャーを感じ、「本を読んでいる人に見られたい」願望を持つ人がいるということだろう。当然だが、そのカバーをつけても1文字も本を読んでいることにはならないのだが……

それでもいいという人がいるのだろう……

少なくとも企画を通した人はそう思っていたのだろう……

売れたのかな、あれ……

この世はわけがわからない、不思議なことばかり……

 

「この世には、不思議なことなどないのだよ、糸魚川くん――」

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京極堂――――!?」

 

「舞台は整いました。さあ、憑物落としを始めましょう――

現代の怪異……

読書=勉強という憑物を祓いましょう」

 

 

 

・読書は勉強?

これは、「食事は栄養補給?」という問いに似ていると思います。

あなたがおすすめのお店にパートナーをお食事に連れて行ったとして、そこでパートナーに「どう? このお店素敵じゃない?」と尋ねたとする。

するとパートナーは満足な笑顔を見せて「うん、栄養バランスが最高で、栄養バランスが素晴らしくて、栄養バランスが特に良くて最高だね」と言ったとする。

(なんか、変だ……)ゾクッ

と思いませんか。

「ちょっとパートナーくん(さん)、あなたは何のために食事をするの?

そりゃ栄養補給だよ。食事は栄養補給のためにするものだろう?」

ゾクゾクッ

え、いや、まあ……

生理的に言うとそうかもしれないけど……

でもこの飽食の時代、デートなら「おいしいものを食べたい」が最初に来ない……?

おいしい体験をするついでに、お腹も満たされる」が第一義であって

「栄養補給のために食事をする」が優先度トップだと、ちょっと怖いというか。

味自慢のレストランに行ってそういう「栄養になったからいい体験だった」が感想の主軸だと、なんか、その、間違いすぎてない? パートナー、ゴルゴ13?

この「栄養補給」を「勉強」に、「食事」を「読書」に置き換えて読み直してくれると、私の言いたいことがわかると思います。

 

×栄養があるからいい料理 ついでにおいしい

〇おいしいからいい料理 空腹も満たされる

 

×勉強になったからいい小説 ついでに楽しい

〇楽しかったからいい小説 雑学も増えた気がする

 

美食家にとっての食事が、美味しさ一番で栄養バランスは些事であるように、本読みにとっての読書は楽しむことが一番で勉強と思ってやっていることではないというか……

もちろん、グルメ料理だろうと食事をすれば食品の栄養は体内に吸収されます。

読書も、おいしくいただいてさえしまえば体内に知識やら世界観やらは吸収されます。頭がいろんな水を吸い込む柔らかスポンジになる、ぎゅっと絞ればドバッと混ざり物の泡が立つスポンジになる、そういう側面はあります。

グルメ料理が贅沢品なように、読書は(自分のレベルにあったものを選ぶ限りは)お楽しみです。娯楽です。ゲームや漫画や映画や演劇と同じ、刺激的な娯楽。大枠で言うならエロゲーやアダルトビデオと同じとも言えます。ストーリー性のあるAVと、濡れ場が執拗な一般小説は一体何が違うのでしょう? 雑食で浴びるように読んできた私は、よくわからない。

だから「読書=勉強のためが第一、娯楽は第二」の構図を固持し続けようとする人・親は、「君、このエロゲー未プレイなの? ダメだね……このエロゲーで人生を勉強しておいで。絶対勉強になるから」というような、大学の文化部にいがちな先輩と同じ事をしていると思います。

ゲームは楽しむためにやるものでしょう。楽しんだ上で、他いろいろも印象深く残るっていうだけで。グルメも然り。読書も然り。楽しんだ上で、楽しい以外のいろいろが体内に残る。

 

・読書という反則

ただ、読書に「楽しい」以外のメリットがある、ありすぎてしまうことは否定しません。

神様がこの世界の設計で、これだけはバランス調整ミスったなというのが読書です。

もし「世界一おいしくて、一生飽きなくて、世界一栄養がある料理」が格安で売られていたら、どうしますか。世界一美味ですよ。しかも飽きない。安い。「もう、それだけ食べていればいいじゃないか」ですよね。その通り。読書っていうのはハマれば「楽しい上に、汎用的な経験値も高め」というチート趣味なのです。引きこもって読書三昧などというのは毒な気もしますが、普通に外出て仕事しながら読書趣味ってのは相当強い生活構築に思います。

普通、人間って、生死と関わらない「現実(仕事や学校等)とは無関係・無意味なことをすると癒される」ようにプログラムされていると思うのですが、読書は「別世界体験(逃避)であり」「近隣世界(実用)の知識を得られる」という調整ミス、バグがあるのです。戦国時代の冒険譚は私らにとっては異世界ですが、日本の過去という意味では近隣世界ですね。仕事中、どこかで人に面白がられる話のネタになったり。

別に小説に限ったことではなく、漫画だって読書です。

最近ハマっている漫画に「解体屋ゲン」というお仕事漫画があるのですが、これもまた読書。

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解体工事の世界の小さくも明るい工務店の切り盛りの話なのですが、私にとって「工事現場やゼネコン」というのは異世界であり、しかし「フリーランスの下請け・孫請け」という意味では近隣世界でもあります。私はゲンさんを読んでいる間、実生活からはかけ離れた工事現場やゼネコンの世界に浸って癒されながら、しかし下請け業者であるゲンさんや他の職人たちが時に見せる技や矜持に「ああ~~わかるわ~~」「やっぱそうだよなぁ」「どこもこんな感じかあ」「なるほど、こうすればいいのか」と共感したり驚嘆したり、時に学んでいます。

小説に限らず、映画や漫画だって浴びるように雑食して楽しめば、気がつけばいろんな栄養をもらっていると思います。映画観まくるタイプの絵描きさんは、漫画のストーリーというよりも、演出(1つのコマの見せ方)が上手いんですよね。明らかに。小説読みまくるタイプの絵描きさんって会ったことないや(絵描きさん、これは頭一つ二つ抜きんでるチャンスだぞ)

というわけで、はっきり言って読書は趣味としては「割のいい趣味」ではあると思う。

楽しい、だからズブズブ沼にはまるように楽しめる、電車の移動時間一時間ぐらいならあっという間に時間が経ってる、そしてなんだか頭も柔らかスポンジ的な?

幕末が舞台の小説を読めば江戸時代の空気が、

戦後が舞台の博徒の小説を読めば戦後の空気が、

冷戦時代のスパイ小説を読めば冷戦時代の空気が、

80年代なら80年代の空気が、

90年代なら90年代の空気が……

激しいナワバリ争いの警察小説を読めば警察のイメージ(?)が、

医局ミステリーを読めば病院内部のイメージ(?)が、

人事を握って倍返しなサラリーマン小説を読めばサラリーマンのイメージが。

それらの舞台が現実で話題に持ち上がったときに「なんとなく、あのお話の感じだ」とぼんやりイメージが浮かぶ。

それができるだけでその人は「打てばすぐに音が鳴る楽器」になっているのです。

各ジャンル1冊ずつだと何がフィクションで何がリアルなのかわかりませんが、各3作者ずつ読んでみたりすると「共通すること」が出てきているわけで、「ああ、警察って県警と所轄でやっぱちょっと力関係があるんだな」みたいなリアルっぽいことも見えてきます。あくまでぽい、ですが。でもその可能性が考えつくことが有用というか。

人間、ドノーマルの初期状態では「知らないステージの話」は何も思い浮かびません。子供の方が(初期状態で)想像力があるなんてのは、ひでえ嘘っぱち。蜜柑の絵を気分で青色に塗るようなことはしますが、ドノーマルの未入力状態では小学生は中学校生活のことを全く思い浮かべられないし、中学生は高校を、高校生は社会や大学を全く思い浮かべられません。小説や漫画や映画やゲームでそれらを舞台にしたものに触れていれば、なんとなく雰囲気はわかりますよね。ペルソナ4か5をやっている中学生と、やっていない中学生とでは、後の高校生活に対する解像度がずいぶん違うでしょう。

 

そんなこんなで、「頭に浮かぶイメージが多い」というのは、それを土台に様々な知識を吸収する土台となります。映画「300」を観ていれば古代ギリシャのスパルタが、「グラディエータ-」「ベン・ハー」「テルマエ・ロマエ」を観ていれば古代ローマが、授業で習ったときに「あ、なんな服装と街並と世界観の頃のお話だ」とスッと入り込めます。海外ドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」を観ていれば中世ヨーロッパの世界観がなんとなくつかめるでしょう(モンスター的なのも出てきますが)。

観ていなかったら……?

なかなか大変です。

私たちの世代はドラクエナイトガンダムがあったために「剣と魔法のファンタジー」(中世ヨーロッパ)の雰囲気がとても身近でした。王様がいて、教会があって、森には妖精が住んでいて……

完全に注入ゼロの小学生というのは、海外も日本と同じ街並が広がっていると思っているし、300年前も今と同じ街並が広がっていると思っています。以前、「2000年頃ってどんな生活だったと思う?」って小学生に尋ねたら「……白黒テレビ?」と言われたことがありました。携帯電話はまだ無かったんだぞーって言うつもりの問いだったんだけど、さすがにショックだった。でも知らないって、そういうことです。

話を世界史に戻すと、前述の娯楽(それに近いもの)を観ていなかったら、

「古代のローマでは、市民は『パンと見世物』が求め、コロッセウムで剣闘士が戦わされることを楽しみとする衆愚政治へと陥っていた」

という教科書の一文が、完全に「謎の文字の羅列」として立ちはだかります。もう何のイメージも沸かない。図説を見て、検索して、ついてこられるならいいのですが……心折れる子供の方が多いでしょう。「過去のことなんて今と関係ないし。勉強するなんて無意味!」って言いたくなる、そりゃ。

しかし「グラディエータ-」と「テルマエ・ロマエ」をどこかで観た子はパッと頭に映像が浮かび、すぐに「暴君ネロ」が教科書に登場すると「FGO」で遊んできた子は目を輝かせるのである……みたいな。

 

・なぜか小説を読むと、気づけば知的になって(?)いる?

そんな風に、たくさんの雑多な娯楽に触れていると知識が染みこむみずみずしい土壌が形成されるわけですが、特に小説というのは土壌形成が進みやすいようです。

それについて、 三つの要員を考えています。

 

1、納得ラインの高さ

映画は映像の強さがありますが、小説は地の文という強さがあります。

地の文とは「心の声」であり「設定の声」だったりもします。

小説原作の映画化のときに、心の声がナーレションで入ることは少ないです。

小説なら「僕は怒りに震えていたが、拳を握りしめこらえるしかなかった」と書かれている場面が、映像化すると「震えている顔」と「拳を握るシーン」で表現されることになります。つまり「怒りに」と「こらえる」が抜け落ちている。役者さんの演技が下手で撮り直す時間もなければ、「恐怖で震えているのか?」「拳を握るも、怖じ気づいて殴れなかったのか?」というような不明瞭なシーンのまま流れてしまうことがあります。

また、映画というのは映画館で見る限りは「映画のスピードに、自分が合わせる」ことになります。パッ、パッとスピーディに場面が切り替わるような場面では、観客にとって「全ての情報が拾えないのは当たり前」「提示されたものの、よくわからないまま次のシーンに行くのは当たり前」の文化です。なんかよくわからんけど、わからんまま付き合うというのが映像の文化。そういえば、知り合いの女子高生と友人3人が「君の名は。」を見に行ったものの、その友人3人はさっぱりあの話がわからなかったと言っていたなあ。私はめっちゃ楽しめたけど。対して小説というのは、読むスピードは自分に委ねられています。よくわからなかったところはすぐに2回3回読んでいいし、一瞬の剣撃で勝負が決まるページなんかは「ああ、もう、一瞬で……!」と5分間余韻に浸ってもいい。つまり「納得しながら追いかけていく」感が映像娯楽よりは強めなのでしょう。納得感(追体験感?)が高いぶん、体内に残りやすいというか。

また、子供にとって大人は未知の怪物です。まともに話したことがある大人なんて両親だけ、あとはちょっとだけ学校の先生と習い事の先生……というのが、小中高の大多数の子供たちです(高校生でバイトでもしていない限りは)。だから、大人なんて何考えてるかわからん。何に喜ぶのかも、何に悲しむのかもわからん。夏休みが3日で大丈夫って同じ人間やないやろ。ぼくら40日でも少ない思うてるのに。本当に、自分らと同じ生き物なのかと疑いたくなる……忙しくしている父や母も、そんなもんです。毎日カイシャでシゴトしてるらしいけど、シゴトってなんなんやろ……って。そんな子供にとって「大人の心の声」がキャラクターとして描かれている小説は、もんのっっっっっっすごい栄養です。世界の根幹の仕組みに十年以上抜け駆けして触れていると言ってもいい。そりゃ、「ちょっと感じが違う子」になっていくものです。

 

2、大人との対話

前述の理由から、子供を賢くしたいなら簡単で、落ち着いている知的な大人に友達になってもらえばいい……っていう真理があります。子供は味のある大人と定期的に雑談しているだけで、どんどん抜きんでていきます。両親がそういうことができるなら、してあげるといいです。できなくても恥じることはない、普通は能力的にも余裕的にも無理です。

しかし落ち着いてる知的な大人を呼んで何時間相手させるなんて無理だろ。何そのハードルの高さ。落ち着いている知的な大人が、子供一人のために何時間もかけて雑談する訳に着くことは非現実的です。おっさんもおばさんも、自分のお仕事でひっぱりだこなのだ。

そこで本という強力なブツの出番です。

本……小説というのは、当然ながら大の大人が渾身の力で書ききっているものです。もちろん物語は架空のものですが、それでも大人が全身全霊をかけて完結させた話であり、そこに本人のエッセンスが宿っていないわけがありません。だいたい、プロット(本筋)や設定よりも、作者が枝葉末節で語らずにはいられなかったことに本人が出ていますね。このブログもそんな気がします。

小説っていうのは「大人が真剣に語っている物語」なのです。しかもよくわからない箇所は、何度繰り返し尋ねて(読み返して)もいい。繰り返し読んでもわからなかったら第三者に「このおっさんの言ってること、よくわからないんだけど、教えてくれる?」とリアル対話なら大変失礼にあたることまで可能なのです。また、それでもわからなかったり興味を引かれなかったら「おっさん、あんたの話、難しいし、いまいちノらないから、途中やけどサヨナラやわ。また大人になったら会いに来るかも」という、リアル対話なら大変失礼な(略)

……とまあ、読書というのは児童書であれラノベであれ一般文芸であれ「ガチ大人のマジな作り話を聞いている」の側面があるのです。

極論、「200冊の小説読んできた子供」というのは「200人の専門家と4~6時間ぐらいのガチ会話をした経験を持つ子供」みたいなものです。

歴史小説を読む」ということは、「歴史マニアのおじさん、何か面白いお話して」「てやんでい、耳かっぽじってよく聞けよ。そうだな……昔江戸の町外れに武士の三男坊が立てた剣術道場があってだな……」「三男? なんかそれ大事なの?」「おうよ。武士は長男しか大事にしてもらえねえんだ。三男ともなると暮らしは農民と同じぐらいのもんよ。技能がねえぶん農民より宙ぶらりんかもしれねえ。ちなみにこの時代は、8人兄弟ぐらいまで当たり前だったんでい」「へー」ということであり、

「警察小説を読む」ということは、「警察マニアのおじさん、何か面白い話をして」「いいだろう。東京と神奈川の県境で殺人事件が起きた。これはどっちのシマの事件かということで一悶着あり、合同捜査本部の設立まで三日もかかってしまった……」「仲良く捜査しないの?」「警察は地方公務員だからね。できないんだよ」「は、はあ……」「初動捜査の失敗は大きな痛手となる。事件は早くも迷宮入りに……」「迷宮入りになると何かまずいの?」「危険を放置しているし、沽券に関わるってやつだ」「沽券に関わるとどうなるの?」「辛くなる。奥さんとの仲は冷え切ってて、仕事一筋を言い訳に家庭から逃げてた男が、仕事でデクノボー扱いされるわけだ」「しんどそう」「しんどいぞ」

という感じ。

教育界で使われる謎用語に「地頭がいい」というのがあります。これは「なんかよくわからんことをたくさん知っていやがる」「なんか論理的に筋道立てて物事を考えやがる」ぐらいの意味ですが、これは「地頭がいいから本が読める」ではなくて「本を読んできた(専門家とたっぷり時間をかけて対話してきた)から、その知識や論理構成を吸収して地頭がいい感じになってる」が真だと思います。

 

3、規制の緩さ

小説は、宇宙で一番規制が緩い娯楽メディア媒体です。エロゲーはやってはいけないことがいろいろありますが、小説では大人と中学生の生々しい本番ラブシーンぐらい当たり前に描かれます。エロ小説でない普通のSF小説でも。「映像描写が、ない」というのが1周回って弱点どころか媒体の強みになっているのです。どんなセクシーな表現も、残虐な表現も、複雑な表現も、リミッター解除でなんでもござれ。倫理的な線引きや映像予算・作画工数的な制限はどこにもない。

そしていかに「落ち着いている知的な大人」でも、少年少女に直接話すには憚られる内容があります。おじさんと一対一の部屋で、おじさんがいきなりセックスについて解説を始めたら少女は恐怖して逃げ出すでしょうが、おじさんが書物に生々しい濡れ場を書いていても「フワーオ、こういうものなんだ」とこっそり繰り返し読んで印象づけるだけでしょう。

私が少年に対して「思いついた完全犯罪」を解説すれば警察を呼ばれるかもしれませんが、小説の中でその「完全犯罪」を披露すれば「すげー」って思われるし、伝わるのです。そしてその「書いていいこと」の領域が他媒体に比べてあまりにもゆるい、ゆるいこそ宝の一極集中となっているのが小説です。

少年漫画のラブコメを読んでいても、「どーせラッキースケベとキスまでだろ」って感じですよね。セックスするにしても、そのシーンは間接描写に留まるのがわかっているというか。

小説だと、そういう目的の本でなくてもわりとがっつり書かれたりします。がっつり書かなくても、漫画のように「エロ本番シーンだけ密度が落ちる」ことがないので、もう大興奮です。私の親は松本清張のファンで「社会派ミステリー小説として」松本清張の本一式を貸してくれたのですが、普通にドキドキする大人なシーンはあってウヒョーッ!?って感じでした。

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わるいやつら」とか。東野圭吾先生の本はハズレ率の低さでプロ中のプロだなと思いますが、陵辱シーンはけっこうあります。そもそも「中学生からハマれる」京極堂シリーズも……魍魎は……凶骨は……グロ方面にもセクシー方面にも凄かった。キスで「うえー!?」とか言っていられてた昨日が、一日にして二度と戻ってこない過去になったことが実感できてしまうほど。

 

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以上、なんで本を読むと子供は知的になる(?)か三つ。

1、他媒体に比べて、納得ラインの高さ

2、大人(内容と語りの専門家)との対話

3、他媒体に比べて、規制が緩い

この福次効果が異様に高い。当然、内容が興味を引く物であったり語りが上手ければ、そのお話を聞く(読む)のは「面白いこと」です。ノーマルですが、ついついゲイのみなさんの語りが面白くてゲイバーに通ってしまうように。人は、面白い話が聞ける(読める)のはお金を払ってでも得たい体験なのです。

「楽しい、ハマる」「地頭(謎用語)が勝手に耕される」、これが読書というものの真実ではないでしょうか。「勉強しよう、読書はつまらないけど勉強のために読書しなくちゃ……!」みたいに頑張って地頭を耕せている人は、見たことないなぁ。あまりにも、無理しているというか……

 

ゾーニング???

ここでゾーニングの話に戻すのですが、上の1、2、3の「強さ」を見て、ゾーニングの教育的効果を考えてみてほしいのです。

「子育てガチ勢」な親御さんは、子供の偏差値を上げるために「有害図書は遠ざける」「だがいい本をたくさん読ませたい」という矛盾を含んだ主張をされます。ついでに言うと、そういう矛盾に気づいていない親御さんっていうのは自身に小説の読書経験がかなり乏しい。教育煽り系週刊誌に偏ってるとか。読書家の親はそういうモノが無いことを知っているので、そういうことは言いません。

 

 

第一、まず「いい本」というものの定義が不明です。

「良い本とは?」

大人が読んでいるような本を読んでくれたらいいですねえ」

「いい大人が一番買ってる作家さんって、東野圭吾先生だと思いますが。『容疑者Xの献身』とか……?」

「そうそう、そういうのです!」

うーん

東野圭吾先生は……

かなり控え目に見ても10作中4作ぐらいはレイプシーンがあるんだけどなぁ……

白夜行」とか、スーパーマリオのカセットの偽造販売とか銀行の磁気カードの不正読み取りとかする話だぞ……幼女売春もあるし……エグすぎて、面白いけど……

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そういうエグいのが無い「いい本」といったら、児童文学を読めということか。

でも児童文学でも「それはガンダムではなくてボトムズなんだけどな……」とかお父さんのセリフが出てくる時代だぞ。「さっ太の黒い子馬」なんて、さっ太自身は児童文学だけど、数年後の続き的な同作者「豊久の女」シリーズまで行ったらベルセルクの蝕が起きたみたいなことになるし……

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いや、さっき「大人が読んでいるような本を読んでくれたら」って言ったぞ。

え、えーと……

 

穏やかな知的な大人が読んでいる

 

エロやグロが少しもない面白い小説

 

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関羽出てきちゃった。関羽が言ってるんだから間違いない。

「ビブリア古書堂」ですら、1巻は主人公が栞子さんを性的な目で見るシーンがちょいちょいあるぞ。レーベル創刊時は男女問わず大人向けの小説だっただから当然。そして今やビブリアはふりがなを撃たれて角川つばさ文庫から出ているのである。MW文庫版には無かった挿絵つきヤッター!

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穏やかな知的な大人が読んでいる

エロやグロが少しもない面白い小説

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 ジョジョ4部からトニオさんまで来た

つまり此度のゾーニング騒動の件、「過激な『絵』が目につかないようにする」は一理ありと思うけど、「過激な内容の本を子供に読ませるな」では楽しみを大きく制限するし・教育効果(?)も相当制限されると思います。本末転倒級に。それよりも、何でも読ませて「こういうのはここがおもしろいよな。でも、フィクションの中だから楽しいんだ。現実にやっちゃ絶対にダメ。わかるよな?」って言っておく方がうんとお手軽だし、みんなも笑顔じゃないでしょうか。

もし地の果てまで「やさしいだけ理想的な本」本を探し求めるなら、宗教が無料で配ってる、ふわふわした精神論・布教本しかないと思う。

 

 

 

余談。

あれもダメこれもダメで無いものを探して頑張ってしまったのか、

昔、美談として「近所の〇〇さんの家の娘さんは、泣きながらも夏目漱石『我が輩は猫である』を最後まで読まされて、その頑張りで名門中学に受かった。素晴らしいですよね」という話を聞かされたことがある。

よくもそんなことをしてくれたな、である。

この世に読書嫌いの、読書にトラウマを持つ、読書なんてこんなに苦しくてつまらなくてやらされるものなのだと思う若人が一人生まれただけだ。(「我が輩は猫である」がつまらないのではない。本人のレベルにあっていない・今は興味を持てないものを無理矢理『勉強として』読み通させたのが最悪の数え役満なのだ)

正直、子育てという観点を入れたとしても、読書好きにする「必要」はないと思う。

そして、わざわざ「読書は大嫌い」にする必要は、その100倍は無い。

そして親・大人側の悲しき誤解から「隣の子は福沢諭吉の本をばんばん読んでるらしいのに、うちの子はまだ夏目漱石も読もうとしなくて……(あたしはどっちも読んだことないけど)」みたいな読書の楽しみとかけ離れたお節介で「読書嫌い」を積極生産しているお家があることも事実。

駄目な私学は夏休みの推薦課題図書で、そこらへんをズラーッって並べるからね。先生たちの読書コンプがすごい。絶対先生方、読んでないっす。職員室の見栄の張り合いすげえ。

 

読書好きがちょっと勉強向きな脳の土壌を得ていることは、否定しない。

では読書が大嫌いになってしまった子は、勉強苦手な土壌を得たも同然。

「大嫌い」は「とくに興味がない」よりもずっとひどい。

もし

「子供が、50%の確立で読書好きになり、50%の確立で読書嫌いになるスイッチ」があったとしたら、私は絶対に押さない。

子を本の虫にしようとするあまり子に本アレルギーが発症してしまうケース多々。そんな大きな不幸を呼び込むぐらいなら、まずは「本は特別興味があるわけではないけど、嫌いでもない」「暇なときに手を伸ばせば届くところにあったら、読むかな」を目標にしてみては。

 

小説とゾーニングの話は今回でおしまい。

次回は番外編として「でも、子供に本を好きになってもらいたい」という親御さん向けのアイデアを書こうと思います。

 

では、読んでいただきありがとうございました。

楽しく、健全とは言い切れない素敵な読書ライフを。