糸魚川ロングブログ

爆速ツイッター話題脊髄反射拳

ゲームを楽しむハードル

大きな書き物が終わったので、雑文を書きたい気分です。

今回はがっつりゲームについて。

読んでやってもいいぜって人はお付き合いくださいませ。

 

格闘ゲームは楽しむハードルが高いから衰退した」

 

みたいな、数年に一度はぶりかえす話題がまたぶりかえしていました。

本当にハードルが高いままなのか?

本当に衰退したのか?

スマブラポッ拳はその話題内での格闘ゲームに含まれるのか?

いろいろと気になるところはありますが、長らくゲーセンに通っているものの格闘ゲームへの食指は動かなかった身としては、少しだけ「新たにチャレンジするのは、(時間とコイン的な意味で)勇気がいるな」という実感も持ってはいます。

 

家用の格ゲーなら10年ぐらい前まではけっこうやってまして、ダブルサマソー、瞬獄殺、ジャンプしないでザンギエフの2回転投げ、DIOのザ・ワールドまで思ったタイミングでほいっと出せるぐらいの格ゲー嗜みティはあります。家用のストⅤでベガの人と延々と連戦して、50連敗したけど。付き合ってくれた名も知らぬベガの人、ありがとう。

 

……

やっべえええ

もう結論出ちゃったじゃん……

「斜め後タメ斜め前斜め後ろ斜め上BA」を思ったタイミングで出せても、「それ↑が2回含まれてるけどどうしてコマンド中にジャンプしないの?」とつっこまれたら上手く説明できない「2回転投げ」が任意のタイミングで出せても、50連敗するわけです。

みてみて、今、昇竜拳が出せたよ、やったー!なんて程度では500連敗はするでしょう。

 

でも

 

ストリートファイター系は

 

まだ優しい

 

瞬発力や判断力に加えて、距離ゲー間合いゲーだからです

 

封殺されるのは楽しくないですが、相手の攻め手や間合い調整が自分よりも全然上手いんだなーっていうのは理解できる。

「強いやつっていうのは、自分の拳が届く距離・届かない距離を実に正確に把握しているもんだ。自分を大きいぞと錯覚してもいないし、自分を小さいぞと過小評価してもいない。今の自分にできること・できないことが正確に見えてるやつが、強いやつの条件だ」

みたいな話は……本で読んだ記憶も誰かから聞いた記憶もないな。私が勝手に作り出した創作上の格闘家の言葉でしょう。仕事してるとそう思うことが多いし。

できるぞできるぞー言ってできない人とか、できるのにできないできない言ってチャレンジしない人っていうのは、ゴルゴみたいな客観性の鬼に仕事取られちゃいますよね。

とにかく、ストリートファイター系って実に格闘家らしいゲームだと思います。格闘技やったこと全然ないけど。

 

コンボゲー系だと、もっとハードルが高いと思うんです。

私が始めてコンボに触れたのは「ストリートファイター ZERO」のゼロコンボでしたが、要は「初撃が入ったあと、タイミング良く押せば(正解を入力すれば)ここまでは確実に繋がるよ」という設計です。格闘ゲームの中にビートマニアのような超ミクロな音ゲーを入れて、さらに深みを増やした感じ。

カプコンvsマーブル」の頃には、エリアルレイヴっていう上にあげてビシドシバシドシドカッっていう長いコンボを出せてなんぼの世界になっていました。

 

コンボゲーが楽しい人はコンボゲーをすればいいと全然思うし、ただ格闘ゲームがコンボ化したことによる「演出面でのハードルの高さ」はあまり語られていないと思ったので、それについて書いてみたい。

 

1、格闘ゲームに触れる動機

 

格闘ゲームがしたくて格闘ゲームを始める新規さんって、あまりいないと思うんです。

何かのきっかけで見たキャラクターを「いいな」と思って、そのキャラを自分の分身のように自由自在に操作して、かっこよく活躍させて、スカッとしたい。

そういうのが「その格闘ゲームに触れてみた」動機ではないだろうか。

いきなり「ねえ、このゲームで強者になりたいから、扱いやすくて伸びしろのある、大抵のキャラにダイヤ有利な強キャラ教えてよ」って言って始める人、どれぐらいいる?

私の兄が『闘神伝』を買ってきたのはデモプレイのエリスを見て自分も「うっきゃー」したかったかららしいし、私がストEX+αで迷うことなくホクトを選んで小賢しい攻めを続けていたのはホクトが美しかったからだ。ホクトみたいな美しいキャラがいなかったらストEX+α触ってないと思う……対戦ゲームは他にもいろいろあるのだし……

 

とにかく、キャラに惹かれて「自在に動かしてみたい」「かっこよく活躍させたい」という感じでレバーや十字キーを握るのが、その格闘ゲームとのファーストコンタクトなのではないかと思う。スポーティーな競技的対戦まで覚悟してやってきた人は、言葉通り「覚悟完了」している小数の適性者だろう。

 

で、コンボゲーって、綺麗にコンボつなげる(=自在に動かしてる感を得る)までにけっこう練習が必要だ。コンボは「コンボ『ミス』」で語られるように、できるのが中級者以上の最低条件、失敗すればミスという減点法で見られる。「追撃の機会を操作ミスで逃した」文脈にあり厳しい。

それだけならいいのだけど、コンボをつなげて地上空中でビシビシやっている時間も長ければ、ビシビシやられている時間も長い

単純にダメージの総量で言えば、全コンボを入れてもストリートファイター系のしゃがみ強パンチ→昇竜より全然ダメージがなかったりするんだけど、とにかくダメージをやりとりするまでに壁や地面にドッジボールやゴム毬のように叩きつけられたりビシビシビシと殴られ蹴られ切られ続けている時間が長い。

「1試合中に 自他キャラが 苦悶の表情を浮かべている時間が長い」のだ。当然だけど北斗の拳やひがんかくはネタとして理解しています

 

これ、上に書いた「新規の動機面」と相性が良くない、齟齬があるような気がするのだ

 

私が名も知らぬベガ兄貴に50数連敗したとき、「はぁーこの人なんでこんなに上手いの……完封されるんだけど……」と思いつつも、悪あがきはずっとさせてもらえた。当たると思ったわたしの攻撃をすんでのところでかわし、矢のようにベガの長い足で立ち中キックを入れてくるのだ。ビシッ。いてえ!

だったら、これならどうだ……ひょいっ ビシッ いてえ!

それなら、これなら……ひょいっ ビシッ ちきしょう~~~!!!

 

これがもし「体力の五分の1を持っていく長いコンボ」の猛攻でいてこまされていたら、どうなるだろう。

ビシッ→ビシビシビシドスドスドスドバババ、バ

ビシッ→ビシビシビシドスドスドスドバババ、バ

ビシッ→ビシビシビシドスドスドスドバババ、バ

ビシッ→ビシビシビシドスドスドスドバババ、バ 

ビシッ→ビシビシビシドスドスドスドバババ、バ

K.O.

 

『ビシビシビシドスドスドスドバババ、バ』の間は私は操作不能で、ゴム毬のようにベコベコにされる「自在に動かしたかった」「かっこよく活躍させたかった」マイキャラの無残な姿を見続けるしかない。

こ、こんなはずじゃ、なかった……というか、マイキャラに対してなんか申し訳なくすら思えてくる。うーん……俺が触らない方が、このキャラの凜々しい姿を目にする機会が多いのではないか? ファンとして応援はするし上手い人のプレイ動画は観るけど、自分自身でプレイするのはやめよっかな……みたいな。ひがんかくは笑えるからそのままでいいです

 

スマブラ格闘ゲームかというのは議論があるけど(高機動・短射程・低パワータイプのキャラたちはアイテムの出現率設定で評価が大きく変わるよね)、とりあえずあれは「誰もが、すぐに思った通りに動かしやすい」「スマッシュ攻撃で死ぬときはギャグ漫画のように吹っ飛び一瞬」という明解さがある。マリオのドゥルルルルとPKファイア連打は反省してください

 

「初心者用にコンボ練習モードを作りました!」

 

気持ちはわかる。実際打てる手ではそれだと思う。

だがそもそもコンボによって発生するビジュアル面自体が、「ゲームをすぐにそこそこ楽しみたい」ライトプレイヤーの動機と相反するハードル要素だったら?

もしそうなら、格闘ゲームはハードルが高いと言えるだろう。

極論私たちは、立ち絵で表情がちょっと変わるだけのゲームを、同人誌描きまくるほどにどっぷり愛せる脳か心の回路を持っているのだ。本家格ゲー「デッドオアアライブ」は全く触ってないけどそのセクシーゲー「ヴィーナス バケーション」にハマってる知り合いは普通にいる

 

 

もうひとつ。

 

2、勝てないから楽しくない、の本当の意味

 

もし初心者をゲームに根付かせたくないならば簡単で「わけもわからんままに敗北させるを延々と繰り返す」だけでいい。

ぷよぷよのガチ初心者、挟み込みや階段などの「こうすれば連鎖ができるよ」という型すら知らない人を、中級者以上が最速の6連鎖で延々と倒し続ける。

型を知って考えながら「こう……でいいかな?」「こう……かな?」という段階の人に、最速の6連鎖を浴びせて練習できないまま倒す。

10回も繰り返せば「ねえ、別のゲームしない?」と言ってくるだろう。

相当タフで性格までいい人でも20回も繰り返せば「……俺、このゲームは向いてないっぽいわ」と怒りや不満を抑え込みながら言ってくるはず。

初心者相手にそんなことしちゃダメだぞ、ゲームは楽しい時間を共有するためにあるんだから。

 

命題

「わけもわからんまま自分が負け続ける→初心者は根付かない」……真

 

対偶

「初心者が根付くには→わけがわかる中で相手に勝ち続ける」

 

命題と待遇の真偽は一致するから、これも真だ! ヤッター! 数学的勝利ッ

 

ただこれは、わけがわからん大混乱が常な対戦だと「勝ったか」「負けたか」が自分の「上手く操作できたか」「自己実現できたか」の指標になりやすいってだけだと思うんですよ。

実際は、「上手く操作できた実感」「達成感」がグッとあれば、負け続けてもそれほど嫌な気分にはならないと思うんですよね。

 

私はぷよぷよシリーズが大好きで、開発がセガになりキャラが一新され「死ね」とまで言われた「ぷよぷよフィーバー」時代も休むこと無く遊んでいたユーザーであります。自称お嬢様であるラフィーナの「ふん、へそで茶が沸かせますわっ!」は名言。ぷよeのアイコン眺めてて、ホホウドリの存在が抹消されたのも気づいてしまうレベル。

 

ぷよぷよで初心者をハマらせる方法はけっこう簡単で、

 

1、まず基本的な連鎖の組み方(特に3連鎖まで)を、絵を書いて教える

2、それが完成するまで待つ

3、その1つ上の連鎖を撃って私が勝つ

 

4、慣れてきたら「4連鎖にするにはどうしたらいいでしょう?」と聞く

5、大抵答える

6、じゃあやってみようと対戦開始

7、完成するまで待つ

8、その1つ上の連鎖を撃って私が勝つ

 

9、「5連鎖いってみよう。5連鎖できたら町内会3位レベル」とやや大げさに勧める

10、待ってあげて、5連鎖を撃たせる

11、5連鎖で相殺するか5連鎖の一つ上の連鎖を撃って私が勝つ

12、延々と5連鎖の練習に付き合う

13、5連鎖でCPUをボコらせる

14、実際慣れてくるので「組むの速くなったね」などと褒める

15、6連鎖を勧める

……

の繰り返し。

ここで重要なポイントは、「べつに、わざと負けてあげる必要はない」ことです。

無理だと思ってた5連鎖が組めた!

5連鎖までならかなり早く組めるようになった!

今までは5連鎖までだったのに、6連鎖が組めるようになった!

7連鎖が意識的に組めた、自分、すごいのでは?

8連鎖出た! もう中級者以上なのでは? これ、友達に見せたら尊敬されちゃうのでは?

そういう「事実」だけで、勝手に自分とぷよを一体化させていく。

初めて意識的に8連鎖が組めた時に、先輩から9連鎖で倒されても、勝敗なんて頭の外です。興奮して、「はやく、もういっかい早く!」と再戦をせがんでいるでしょう。気持ちは「この感じなら9連鎖も、いけるかも」です。

 

やろうと思ってたことが、やってみたら、意識的にできた。

大げさな言い方をすれば「なりたい自分に、なれた(変われた)。手応えあり!」なわけです。

これ、めっちゃ嬉しいですよね。

そういうなりたい自分への変革を続けていける希望があるなら、いつか先輩ともガチ勝負で張り合えるだろう……

その希望の前には、30連敗とかどうでもいいんです。

「へへ、先輩……下キー封印して付き合ってもらって悪いっすね。この3時間で成長したのは……正直、先輩より圧倒的にオレっすよね?」

「うるせー そういうのは一回でもオレに勝ってから言え。……でもまあ、そうかもな……」

 

イイハナシダナー(AA略)

 

前述の通り、突き放す方法も簡単で。

最速6連鎖で何もさせてあげないのももちろん、考えながら組んでる人に3連鎖で意地悪するだけでクソデカため息、うんざり、他のゲームしよーってなります。

もし本当にぷよぷよeスポーツしたいのなら、相手からの3連鎖への対処法は身に付けないといけないのですが、そんなのはうんと後でいいんです。大事なのは学ぶ内容ではなくて順番。

「オレは、自由にさせてもらえれば10連鎖だって撃てるんだぜ!」という自信が構築されていれば、それを活かすために対3連鎖……「相手の画面を見ながら自分のぷよを積む」「本線とは別に副線を延ばす」なんて人外魔境の修羅道にも耐えられるはずです。やべーよeスポーツ

 

 

 

3、ちょっと整理

 

Aパート

・わけもわからんで負けたーは最低

・わけはわかるけど得るものの少ないまま負け続けるーは悪手

・やりたいことができずに負けるのも悪手

・やりたいことができて負けたは別にいい

・僕は今ッ 成長しているッ って思えると続きやすい

・CPUでもいいから、倒せる相手が増えていくと続きやすい

---

ここまで来ると、あとは実力伯仲の相手とマッチングさせれば、沼へいらっしゃい。

Bパート開始。

 

 

 

……大変だなぁ、対戦ゲーム(対戦競技)を好きになってもらうのって。

Aパートでは成果が実感しやすい効果的な練習メニューを提示してくれる軍師、さらに根気よく弟子の成長を見守ってくれる精神的アニキが必要。

 

そしてBパートでは同じぐらいの実力の対戦相手が必要。

 

どっちも、幸運や自他の努力がないと手に入らなくて普通の存在。

テニススクールとか週1で通うとお金かかるけど、それは「普通は手に入らない、AパートとBパートの人材を集めて貸してくれているから」なんですね。ハマらせてくれるコーチや対戦相手というのは、古来、お金を払って求めて当然のものであった……

 

なんでこんなことを言うかというと、先日始まったぷよぷよeスポーツはレートバトルのマッチング幅が広すぎて、Bパートが残念な仕上がりになっているからです。

私は全世界順位7000位ぐらいなのですが、全世界順位500より上、地域順位1~3位クラスとどんどこ当たります。実戦でホイホイと10連鎖出せる私で40勝140敗ぐらい。勝利のほとんどは、開始時レートが高いためにマッチしてしまったかわいそうな初級者~中級者たちです。実力伯仲の相手と当たれた記憶が180戦で10回ぐらいしかない。

私のぷよeプレイを見ていた兄が言ったことは

「……こんな感じだからさ、ぷよぷよは上手すぎる人しか残らないんだよ。オレ、お前すら負け続けて心折れかかってるの見て、絶対やろうって気にならないもん。はやく変わってボーダーブレイクやらせろ」

です。うん、そう思う。

 

ぷよeのマッチング(Bパート)は完全にマッチング幅調整の甘さだと思いますが(マッチしない~過疎ってる~と評判が立つのを恐れすぎたのでしょう)、オンライン対戦をするゲームは家庭用であれアーケードゲームであれ「よいB環境の提供」には10年以上苦労されて続けているのを見てきています。

狭いレート幅でマッチングを行うことが大正義なのはその通りなのですが、そのためには潤沢なユーザー数が必要です。

そのために、この過当競争の時代において「面白いゲームを作り」さらに「魅力的なアピールを成功させる」ことは針の穴を通す超絶技巧です。

それができて狭いレート幅でのマッチが可能になったと思ったら、今度は「サブカ」や「初心者狩り」という超しょうもないお客さんに対処、それらが入り込まない・居座らないシステム作りを頑張るしかない。

先ほどのテニススクールの例で例えるなら「未経験者専用テニス対戦交流会」に「気持ちよくなりたいから」という理由で10年来のテニスプレイヤーが混ざって、対面していないのをいいことに「ヒャハハハ、雑魚雑魚-!」って台無しにして気持ちよくなってる感じです。「あんまりだ」と指摘されても「未経験者かどうか審査する仕組みを用意してなかった主催側が悪いんでーす!」って言いながらやるケースがほとんど。魂がしょうもない。

 

なんかまとまりがなくなったけど、満足したからここまで。

とりあえず、もしゲームが流行る可能性を上げたいのなら、前述の

 

Aパート

・わけもわからんで負けたーは最低

・わけはわかるけど得るものの少ないまま負け続けるーは悪手

・やりたいことができずに負けるのも悪手

・やりたいことができて負けたは別にいい

・僕は今ッ 成長しているッ って思えると続きやすい

・CPUでもいいから、倒せる相手が増えていくと続きやすい

(補足)

前段階として、

わけもわからん、やりたいことも見えてこん、みたいな複雑性はネガティブ要素。

---

Bパート

・実力が同じぐらいの相手と対戦できる

・そのためには膨大なユーザーが必要

・そのためにはキャッチーな要素と広告が必要

 

そもそもけっこう大変だな

っていう感じ。

 

あなたが全く新しい運動スポーツを考えついて、

その教室を開いて、

ブーム作って大会開く並に大変。

その競技自体の駆け引きが面白いのはもちろん、コーチが示し方上手・待ち上手・褒め上手であるのはもちろん、さらにコーチが美人やイケメンであるとか、学校の人気者がハマってるとか、なんかもう「新規が居着く条件」は本当に大変。

 

格闘ゲームは衰退したんじゃなくて、90年代にゲーセンや家庭用格闘ゲームにそれらが揃っていたという奇跡があったのではないだろうか。

60年代や70年代に、みんながボウリングしているボウリングがブームであったらしいけど、今さすがに「プロボウラー」って聞かないよなってぐらいに。

 

とにかく、漫然ととりあえず作ってみるのでは無く、狙いと試みと時間をもって作らないと、触れる情報も多く選択肢も多い現代、ハマってくれる物づくりというのは大変だろうなぁって思いました。

「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない」

進化論における“赤の女王仮説”って言うらしいのですが、なんかかっこいいですよね。

レッドクィーンには一生ルームランナー走らせたい。

オンライン時代となり、ゲームも「開発」だけでなくリリース後の「運営」の比重が増えた今にますます刺さる言葉に思います。

 

 

 

ぷよeは、本気で流行らせたかったらはよマッチング幅改善して☆

中級者がなんとかして勝つために大連鎖狙わないで3連鎖即撃ちみたいなのでレート維持しちゃってるよ。楽しさと未来切り売りな癖つけちゃってるよ。初心者はいない。

 

よしなに。 

子供に本を読ませる方法

エクストラステージ

「そんなこと言っても、本を読む子供に育ってほしい」

 

 

ええんか?

ほんまに、ええんか?

 

息抜きに、10歳で、15歳で、20歳で、こういうブログの長文を何時間もかけてドバーッて書くような感じの子供になってもええんか?

もしそうなった時に

「理解できない」「気味が悪い」「どうしてこうなった」

なんて思わないで、

「やるなあ」

って笑顔で頷いてられる親でいられるんか?

その覚悟はあるんか……!!!?

 

以前ツイッターで見かけたけど、フィギュアスケートだったかな。テレビで大きな大会が取り上げられるたびに、それを子供に習わせたいという親御さんはけっこういるそうや。自分の子が羽生君になってくれたら最高やからな。で、コーチに相談に来るらしい。

「うちの子供にフィギュアスケートを習わせてみたいが、果たして続くだろうか……?」と。

でもコーチは

続かなかったらどうしよう、は心配しなくていいです。別の趣味や特技を見つければいいだけですから。でも、お子さんが、予想以上にハマりすぎた時のことを最初に心配してください。才能もあり人一倍努力もでき、五輪を目指せるというのが見えてきてしまったときに、その専門的なトレーニングを子供が『どうしても受けたい』と言った時にどうするか見当をつけてから、門を叩いてください」

みたいにお返事するのだと。

よくわかる。

マイナーで険しい道の習い事や、学問分野っていうのはそっちの方……「できすぎるようになったから、うちの子供が遠く理解できなくなってしまった」「子供が自分に理解できない言葉で喋る」「なんか、かわいくなくなった」「相手にして疲れる」「こんなはずじゃなかったのに」という方での軋轢をよく見てきたなぁ。

つまり「子は親を超えられない、この子は自分がいないと生きて行けない」っていう、弱者に頼られるのが好きというか(教員には堂々と「頼られるのが好き」を志望動機に言う人がたくさんいるぞ)、子供を愛玩動物的に望んだというか、そういう一方的な理想像でスタートした親子関係は「お望み通り、子供が強くなると」軋み出すんやな。

 

「うちの子を、なんとか本読みにしてください!」

「やってみせましょう。契約完了です」

 

で、子供が学力偏差値75ぐらいの「普通じゃない」逸脱者になると

 

「うちの子、気味が悪い……こんなはずじゃなかった」

「お望み通り、お子さんを本読みにしましたよ? クックック……ではこれにて失礼」

 

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天使というのは「何も心配しなくていいのですよ。何も考えなくていいのですよ。神の無限の慈悲は全てをお救いになる……」って「考えなくていいよ」と迫ってくるのですが、決まって悪魔は知恵者という設定なわけです。そして常識を超えた強大な力を授けると同時に、ありがた迷惑で不幸を呼び込む実行者である。これがムラ社会における「悪魔との契約」の本質なのではないか……って、私の妄想ですけど。

 

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子供がスーパー本読みになって、10代前半で親よりもぜんぜん利発になって、ちょっと理解できない遠い存在になってしまっても全然喜べるという方のみ、以下の内容を読むといいぞ!

 

 

  

1、読み聞かせをする

面倒くさいかもしれませんが、まず入り口としてこれの効果は絶大です。

子供は、勝手に字が読めるようにはなりません。勝手に読書が楽しめるようにはなりません。読書を面白いと思う心の基本ソフトは、他者からダウンロードするのが早くて確実です。

小学1年生は算数よりも国語の授業の方がコマ数が遙かに多いのですが、2学期の半ばまで「ひらがな・カタカナ」をずっとやっていたりします。2学期の後半からやっと漢字に入ります。

「あれ? 自分、幼稚園年長でひらがなは読めたぞ?」と思ったあなた、それは親御さんによる何か個人的な手ほどきがあったのでしょう。読み聞かせとか、字の練習とか。一緒に文字が表示されるゲームで遊んでたとか。そういう体験が無かった家庭の子というのは、小1の二学期まで当然にひらがな・カタカナが書けない、読むのもバキバキに肩が凝って大変だというものなのです。

小1入学時点で「先生の音読に合わせて、教科書の文字列が終える子」と「そうでない子」というのは、授業(ほぼイコールで学校)の楽しさ・理解度という面でけっこう差がついてしまいます。

お疲れのところ大変しんどいと思いますが、豪華声優さんになったつもりで、恥を捨てて、ヤケクソで、何度も何度も、読み聞かせには応じてやりましょう。小1~小2は音読の宿題もよく出ますが、それは「楽しい宿題」として「お母さんならこう読むな」「お父さんならこう読むぞ」と付き合ってあげましょう。ここで頑張るだけで、生涯の教育費が数百万円浮くかもしれませんよ。

「ママ、かちかち山読んで~」

「昨日も読んだじゃない」

「読んで読んで読んでええええええええ読んでええええええ」

「……そうね。じゃあママ、普通に読むの飽きちゃったから、今回はボトムズの次回予告(cv銀河万丈)風に読むね。圧倒的、圧倒的火力に、たぬきの背中が燃える

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「ママ、そんなこと書いてないよ……」

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「来週も、たぬきと地獄に付き合ってもらう」

読み聞かせを「教育的に、やらないといけない作業」にするのはもったいない。子供よりも親(自分)が楽しむつもりで、一人劇場をやりましょう。元気にノリノリで発声することはストレス解消にもなりますし、何気に高カロリー技なのでダイエットにもなります。たぶん。

「今日は綺麗な能登麻美子さん風にチャレンジ」

「今日はダークな能登麻美子さん風にチャレンジ」

「今日は美森すずこさん風にチャレンジ。ひどいよぉ~~シルちゃん~~」

「今日は小林ゆうさんのおばあちゃん&コメ粒坊や風にチャレンジ」

「今日は輝夜月ちゃん風にチャレンジ。おやすみおきてえええええ」

七色ボイスで家の中に物語があふれるようにしましょう。テレビでベッ〇ーの不倫反省会見(なぜ人前で反省する必要があるんだ)を口開けながら見てる場合じゃないですよ。「ありがとう」の1セリフで100通りのキャラを演じ分けられるようになったら、あなたはもう子供から慕われるいい親です。「ママー! 綺麗な櫻井さんで『ありがとう』やってー!」「ありがとう」「……今のは実は綺麗じゃない櫻井さんでしょ」

小2の終わりまではとにかく読み聞かせ。

子供は楽しそうにしている大人の真似が大好きなので、そのうち勝手に「読んで遊ぶ」「キャラの声真似して遊ぶ」ようになります。

こう……「小説を読んでいると、キャラの声が自動的に理想の声で再生される人」がいる……というか、私と兄はそうで、みんなそういうものだと思っていたのですが(だから小説の初のアニメ化のときに「原作と声が違う」みたいなことを言う私らオタクがいるのです)、聞こえない人もいるそうです。案外「文字に当たり前に音が付随する」読み聞かせが行われたかどうかが関係あるのかもしれません。黙読時に脳内で音が聞こえている……たとえばお兄さんの声が石田彰さん的な声で再生されているとすれば、それは逆説的に「信用できないお兄さんキャラ」と無意識下で察知しているわけで、ほぼ読解できているのです。国語の勉強は何もしないでも6割は取れる(漢字以外)ってタイプの中高生は、音が聞こえてる勢なのかも。

私は思い返すと、かなり母が音読してくれていました。「こんな子いるかな」シリーズ、「かちかち山」、機関車ピッポーとおばけの山……私の母は怖いシーンを本当に怖く読むのが上手くて「ひぃ!」となっていたものです。

 

2、本を物理的に近くに置く

小3~小4ぐらいとなると、さすがに読み聞かせという歳でもなくなります。

ここが勝負です。

家に本……絵本や小説が全くない状態で、子供がいきなり「ぼく、本読みたい!」と言い出すなんてことは有り得ません。それはジャンヌ・ダルクが村外れで神の声を聞くぐらい奇跡的な出来事です。

だから

「手を伸ばせば届く距離に本があった。だから開いてみた」

という体験を作る、そういう環境を作ることが大事です。孟母三遷は真です。

 

学校も読書には協力的なので、朝読書や読書週間、夏休みの読書課題などが提示されたら、それをきっかけにして「面白そうな本(小説)」を数冊仕入れましょう。一緒に選びに行くのが手っ取り早いですが、そういうきっかけがこない場合は親側から積極的に動く必要があります。

 

まず本は、「今の子供が興味を持ちそうな小説」であること。

俗っぽくていい。系列で言えば「学校の怪談」系とかでいい。

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本はよくわからないから、名作と呼ばれるものを買ってきた……というのは、だいたい空振りに終わります。十五少年漂流記」とか「トム・ソーヤの冒険」とか「ロビン・フッドの冒険」とかは、刺激にあふれた現代の子供にとって、(場所・時代が違うことから)わかりにくく、地味で退屈な内容に映ってしまいます。トム・ソーヤは子供ながらに大冒険をした少年ですが、今の子は日曜朝の仮面ライダーを見て育ってきた子なのです。それらは今や、毎話出てくる怪人をライダーキックで倒すというような一本調子ではありません。高度にSF的な物語のプロットを、たくらみもあり裏切りもありつつバリバリのCGを駆使して戦っている……そういうフィクションで育っているのです。今の子らは。

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だから詳しそうな書店員さんに子供の年齢、性格傾向、学力状況を伝えて、ジャンル違いで3パターンぐらい見繕ってもらうというのがベストでしょう。「~という感じのうちの子を本好きにしたいのだが、おすすめの本を数冊見繕っていただけないだろうか。俗っぽいのでも全然構わないから」と素直に言えば、協力しない本屋さんは絶対にいません。私たち地底人……じゃなくて、本屋の歴戦の店員さんは全ての人類を本好き沼に引き込みたいと考えています。

この段階では、小説にこだわらず世界の偉人漫画とか歴史漫画とかでも十分です。ただそれらは、「親が子に買って与えた、教材」ではいけない。親が子より先駆けて楽しそうに読むことが何よりも大事です。それ系の漫画は、傍でちょっとした解説をする人がいた方がずっと楽しめる。遠い場所・違う時代のお話が内容網羅的(=山場に対するノイズ多め)に漫画化されているわけですから、児童書や少年誌少女誌の漫画よりはキャッチーさで負けるのは当然なのです。子供はすでに漫画経験等があり、心中で比較できる年頃になっているので、偉人漫画や歴史漫画を買って与えた「だけ」では「親が、ツマンナイ漫画買ってきた……センス無い……」と思われるだけ。傍で遠い場所・違う時代に実際に生きた人のお話で「へえー、8人兄弟! 今の日本と違うわねえ」「アメリカの一軒家は大農場がセットなのねえ」とか言いながら「こう見ると面白い」というのを解説してあげましょう。親が子供の心に戻って率先して楽しむのがコツ。

あと、それ系の漫画は肝心なところがササッと大急ぎで感覚的に流される傾向があります。子供達との家庭内不和とか、不倫とか。子供は「なんで結婚してるのに、他の人を好きになっちゃったの?」と、めちゃくちゃ気になっています。そういう疑問に答えるのは偉人伝でも学校の先生でもなくて、傍にいる親の役割です。はぐらかすのはいいことではないですよ。早めに、どの人間にも起こりうる事象として「そういうこともあるのよね~人間って」って教えておいた方がいい。「好き合って結婚してもね、ママもパパも一人の人間だからね、お互い努力しないと恋が冷めちゃったりするのね。恋って努力が大事なのよ。で、人って孤独だから、寂しいと結婚してても他の人に惹かれていくものなの。逆に、好き合っていても結婚しないって関係だってあるのよ……」みたいに。「子供だから知らなくていい」みたいなのは、何の訳にも立ちません。有害な知識? それじゃあ「キュリー夫人」一つ読めませんぜ。と、悪魔は囁いておく。

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荒木飛呂彦先生のアシスタントさんたちが書いた「変人偏屈列伝」より エジソンとテスラ)

子供に賢くなってほしいという願いは、子供をかわいいかわいいペットのような状態から抜け出させ、社会を見つめられる一人の独立した人格にするという覚悟を要します。

 

買って家に置いておく本は、1冊だけというのはやめましょう。

ジャンルが違う本で3冊ぐらい置いて、自分で黙々と読み、子供が手を伸ばすのを待ちましょう。

クリエイティブなお仕事も3案提示して1案選んでもらう、というのがお互い安心できるところです。1案だけだと、話はなかなか前に進みません。

ただ、本を家に持ち帰ったときに「誘導の仕方」はあります。

 「古本屋で安かったから、あんたのために買ってきた。ほら、読みなさい」

なんて絶対に言っちゃダメ。

子供は強制されるのがとにかく嫌いです。

「古本屋で安かったから、買っちゃった。うふふ、私、前から読みたかったのよねえ」

みたいなのが強い。

あんたのために買ったわけじゃない、って明言するのです。

私が私の楽しみのために買ったと言って、目につく所に置いておくのです。

10歳以下の子供というのは自分がプリンスorプリンセスというのを疑っていません。一人っ子なら、家の中では自分が絶対の中心だと確信しているレベルです。

親なんて自分の補助装置・召使いぐらいに思っています。なんだかんだ、泣いて騒げば言うことを聞いてくれる。ちょろい。どれだけ悪いことをしても、最後の最後には絶対に自分の味方になってくれる。なんだかんだ親は僕・私に嫌われたくないのだ……なんせ僕・私は親が辛い現実を生き続ける「生きがい」なのだから……そう確信しています。大人はクレヨンしんちゃんの劇場版を見て「家族っていいなぁ」と思うのですが、子供は冷静に「ひろしもみさえも、結局はしんちゃんを心から愛しているんだ」の部分をこそ学び取とり、自分に当てはめているのです。 

なので

お、おかあさんが……

ぼ、ぼくのことを放っておいて……

「自分のために買ってきた」「本を」「楽しそうに読んでる」んだけど!?

というこの光景は、ショックです。ガツーンと来ます。

長男や長女が弟や妹ができたときに「愛が奪われる」危機を感じて下の子に意地悪をするように、「や、やべえ」って思います。そして本は「なんなんだ、あれは……本というのは……」という興味の対象になります。

しかもそれが江戸川乱歩の「青銅の魔人」だったらどうでしょう。

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完全にヤバそうな、だけどどこか笑いが込み上げてくる表紙です。ひりつくアート。

子供が男児なら、興味を持つなという方が難しい!!

 

買ってきた本に子供が興味がないふりをしても、実際に興味がなくても、全然OKです。

小学生の子供は夜中じゅう家の中を走り回っている猫のようなものなので、そのうち本にぶつかって、本に手を伸ばします。

ぱらぱらとめくっていたら「釣り針に獲物がかかった」って感じで放っておいてください。「あらぁ、本なんてよんで〇〇くんは良い子ね!」なんて言っちゃダメ。子供は褒められたいとは思っていますが、べつに良い子にはなりたくないのです。ウルトラマンでも、怪獣の方を応援するでしょ。仮面ライダーでも癖のあるライバルや敵幹部の怪人を応援したり。だから自分でしばらく読ませた後に

「へえ……あんた、あれ読めるんだ。……思ってたより、やるわね」

って、本気で驚き感心している顔をしてボソッと言う。

はい勝利。もう、脇目も振らず読みまくりますよ。で、勝手にはまっていきます。

……たまに現場のプロにもいてしまうのが悩みの種ですが「あらぁボクぅ、良い子ね~」という褒め方は子供をキレさせる全ての要素が入っています。「子供扱い」と、「良い子」ですね。例えば注射で泣かなかった男児に「あらぁボクぅ良い子ね~」と言うか「あら、強い。あんた、大したものね」と言うか、それだけで子供からの気に入られ方は天と地です。

もし買ってきた本について「……これさ、何が面白いの?」なんて子供が聞いて来たら、それはそれでよし。

それがどうして、いかにおもしろいか、楽しみ方や面白みを解説してやりましょう。

冒険者たち(ガンバの冒険)」だったら「イカサマがかっこすぎるでしょ……イカサマはお母さんの初恋の人なのよ……(初めて描いた同人誌はイカサマ中心オールキャラ本だったわ……)」

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イカサマ……? ネズミじゃん!?」

「わかってないわね。ネズミだけど、誰よりも男気があるわ」

「そうかな……僕はイタチのノロイの方が好きだな。強いし」

ノロイも敵ながらかっこいいわよねえ。でもその圧倒的“暴”をガンバたちが知恵と勇気で克服していくところにロマンがあるわよねえ。オイボレが実は凄いキャラだったっていうのも……」

 

親と、本の話題だったら、仲良くできる

 

ゲームはやりすぎると怒られるけど

本はどれだけ読んでも嫌な顔をされない

むしろ話題的に盛り上がっていく

 

そういう「読書という娯楽」に対する「安心感」を絶対のものとしましょう。

だから「あんた、本ばっかり読んで……ちょっとは外で遊んだら?」とか、ダメ。

なんだ、結局ゲームと同じで、親によって限度が設けられてて、それを超えるとお小言を言われる娯楽なんだ、と思われたら台無しに近いです。

本屋に連れて行って「これ読みたい」と言ったものを、恩着せがましくなくスッと買ってあげましょう。角川つばさ文庫とか。青い鳥文庫とか。若おかみは小学生。最近は小学生も大変だな。しかし子供は飽きっぽいので、表紙に引かれて買ったものの途中で放り出すことがよくあります。その時「お前はどうせ最後まで読まないから、次のは買ってやらん!」なんてしちゃダメ。道理的にはそう言いたくなるものですが、「前のはまだちょっと難しかったか……ま、じゃあ次のに行こう。でも来年また読んでみるといいぞ。お父さんはあれ面白かったからな。たぶん〇年生になったら面白く感じるだろう」って感じに。

とにかく、読書を「課題」や「罰」にしてはいけません。

今のを読み終えない限り、次のは買ってやらん!」と言ったが最後、へそを曲げて「じゃあもう、次のもいらない」と食いついてこないのが子供です。とにかくいっぱい触れさせて、その中からお気に入りシリーズが一つ出てきたならOKという心構えでいきましょう。お気に入りシリーズは「こわいもの係」かもしれないし「若おかみは小学生!」かもしれないし「逆転裁判」かもしれない。「シートン動物記」かもしれないし「少年探偵団」か「ハリー・ポッター」かもしれない。

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1シリーズにでもはまれば、もう本が疎遠となるルートは無くなります。いったん離れても、必ず人生のどこかで帰ってこられます。

ほいほい本を買ってあげるというのは、行うべき投資です。それを許すか許さないかで、生涯の学費や塾代が数百万円以上変わると思えば、全然安いでしょう。

 

3、親が読んでいる姿を見せる

子供というのは、「口だけの大人」が大嫌いです。

もし子供に嫌われたいという親がいるのなら、その方法は簡単。

・自分にはできないことを、子供に子供の義務としてやらせる、やれて当然だ、なぜできないのだと叱る

これで一発で嫌われることができます。

上司が部下に嫌われるのも大体このパターンですよね。

 さらに子供に見限られるレベルまで行く方法もあって

・自分にはできないことを、子供に子供の義務としてやらせる、やれて当然だ、なぜできないのだと叱る。自分はできるとバレバレの嘘をつく。自分は若い頃はできたとバレバレの嘘をつく

これでもう、すっごい冷めた目で見られるようになります。惨めだもの。

……

「中学生は反抗期」なんて言葉がありますが、あれって、だいたい「全知全能と認識させてきた親像が、勉強が難しくなるにつれて崩壊し、そのフォローを嘘をついたり苦しい言い訳をしたりしてミスって見限られ始めた」っていうだけだったり。

「中学生の定期テストは甘くないんだから! 勉強しなさい!」

「仕方ない、するかぁ……。ねえ、この数学の文章題教えてよ」

「あ、こ、これね~。これはまあ、簡単ね……え、えーと、えーと……」

「(……あれ? その前段階もわかってない?)」

「あーいけない、ど忘れしちゃった。あんたももう中学生なんだから一人で教科書読んでやりなさい! 私は中学時代、90点以下なんて取ったことないんだからね! 県トップ高にも余裕で行けたんだけど、家から近い高校に行っただけなんだから!」

「……(うちの親、寒ぃ)」

 

反 抗 期 突 入

 

まあ、叱り飛ばしてくる上司が、自分未満の能力しかない、それをバレバレの嘘ついて隠したまま叱り飛ばしてくるっていう構造に、苛立ちややるせなさを感じない部下の方が少ないでしょう。そして中学では親が取り繕えないキラーコンテンツ「英語」の本格登場により、この問題は表面化していくのです……

いや、最初から「あたし昔から勉強苦手だったからねー。もう無理。あんたよくついていけるねえ、すごいわー」ぐらいフランクな関係だったら大丈夫なのですけど。

「反抗期」なんていう子供側に瑕疵があるかのような命名より、 「子にとって無敵のヒーローでありたかった親の、理想と現実の危機」みたいな名前をつけたいですね。

 

前置きが長くなった。

何にでも言えることですが

「本を読めと親は言う。だが親が本を読んでいる姿を見たことがない。俺が居間で宿題をしているその時、ベッ〇ーの不倫謝罪会見を口を開けながら観てた」

 という状況では、子供にとって読書も勉強も「なんで私だけ……」です。

子供を本読みにしたかったら、親が黙々と、しっとりと、本を読んでいる背中を見せるのが必要不可欠です。

これはタブーに触れるかもしれないけど……

中学生以上の子供になぜ個室を与えるか、ですよね。個室問題。

プライバシーが~とかはもちろんなのですが、ぶっちゃけ、大抵の家が、「中学となると通知表も大事だから、子供には勉強して欲しい。だけど私はテレビを観たい」。

その本音と建て前に「プライバシーが~」と言っているだけで、「私はテレビを観たいから、子供には個室で集中して勉強してもらう」という構図を譲れないで、子供を個室に押し込め勉強しろと言い、子供は個室で延々とネット動画・LINE・モン〇ト・パズ〇ラをやっていて崩壊していくという……

我が子をどれだけ信じたって、隙があるなら人は簡単に不正に染まります。チョロイって程度に思われてます。

個室は与えてもいいのですが、「勉強するときは居間で。スマホは預けて」の約束はあった方がいいです。塾に100万円以上ぶっぱなしたくないなら中1の最初にそういうルールを作りましょう。

で、子が居間で宿題なりテスト勉強してるなりの時は、親もテレビは我慢して、静かに子の視界の隅に背中が映るように本を読みましょう。子供の勉強見てあげる必要なんてないです。そんなの過保護だし、難しいから普通の親は見てもわかりません。でも「あたしもテレビを我慢して、頑張って本を読むから」なんて言っちゃダメ。そんなの恩着せがましいし、まるで読書を苦行のように言っている。あくまで能動的に黙々と静かに本を読んで癒されている姿を見せるのが大事です。「う゛、う゛えええぇぇあたし本読むの苦手だよ~楽しんで読むなんて無理だよぉ~」という親御さんには、まずは故さくらももこ先生のエッセイをオススメします。めちゃくちゃ面白いですよ。

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子が勉強しているときは親も仕事のテキストを開いて勉強しておく……というも効果はあるのですが、「うちの親、たしかにしっとり楽しそうに本を読んでるな」という印象づけの方が優先的に思います。勉強が終わったら、子供は個室に引っ込んじゃう可能性高いですからね。もちろん、小学生の頃から「居間で、子は勉強、親は静かに読書」というのは効果的ですよ。一つの同じ宇宙船に乗っている仕事人的な信頼関係が生まれます。

 

4、どんな本を読ませればいい?

まず親は、読書に高尚や低俗という考え方があることを捨てて下さい。

本人が楽しく文字の羅列を読んでいる、それだけで内容がなんであろうと喜びましょう。ライトノベルなんか読んでるから心配だ、もっと世界の名作文学や日本の文豪の作品を読んで欲しい……というのは大人のエゴ100%です。

世界の名作文学が書かれた時代にはスマートフォンもユーチューブもなく、バーチャルユーチューバー輝夜月も月ノ美兎もいません。昔の時代の子供と今の時代の子供が興味を持つ内容が違うのは、環境的に言って必然です。

 

・子供が小2~4

小学校はさすがにスマホ持ち込みOKではありません。すぐ盗難が起きるので。つまり、未だに電子書籍=漫画類持ち込み不可な聖域なのです。

だからこそ「学校に持って行ける漫画的なもの」としての小説に、子供は魅力を感じます。

この現状をわかりきった上で特化させてる恐ろしいレーベルが、角川つばさ文庫です。特に女子に人気です。「なんやこれ、漫画やん!? こんなんいい効果あるんかいな……」と思った親御さんは、中を読んでみてください。普通に、中高生向けのライトノベルより使用されている語彙(ことわざとか故事成語とか比喩とか)は広く、行間も読まされます……ふりがなは打ってあるけど、さりげないエリート教育ですよこれは……

男子向けの読み物が不足してるのがちょっと残念な現状。アニメ化されている作品の原作や、漫画のノベライズなどがおすすめしやすいでしょう。ただ、男の子は「(かっこいいと思ったものなら)テンプレ以外のものにもハマる」傾向があるので、「シートン動物記」のやたらと無慈悲でクールな世界観や、「少年探偵団」ぐらいの怪奇&推理小説とかがいいのかもしれません。

 

・子供が小5後半~中1

子供側から、いかにも子供っぽい表紙のものは避けるようになる可能性があります。楽しく角川つばさを読み続ける子もいるけど。読んでいいんですよ。大学生以上向けのビブリアとかがレーベル内にあるぐらいですから。本人の気持ちの問題です。

で、もし子供が「次」を望むのなら……

女子ならメディアワークス文庫、新潮NEX、冨士見L辺りの沼にズボォッっとハマる可能性が高いです。近隣領域として角川文庫(角川スニーカー文庫ではない)も強い。アニメ化もされましたが「古典部シリーズ」「ハルチカシリーズ」は角川文庫ですし(原作はアニメよりもやや硬派です)、この前映画になった「ペンギン・ハイウェイ」だって角川文庫です(角川つばさ文庫でも出ています)。角川文庫の「万能鑑定士Q」シリーズもハマる子は大変多い。安牌というか当たり牌です。すごい子は京極堂シリーズにハマる。

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男子ならエロいものに対する嫌悪と興味がつりあってくる頃なので、「君の名は。」のスピンオフ小説とかを渡しましょう。本心ではJKが主人公の話を読みたがっている小~中学生男子は星の数ほどいます。

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このスピンオフ小説では、三葉の体になった瀧くんが、自分についてるおっぱいを揉んだときの「……これは……意外と……」からの素直な戸惑いと驚きの感想が、詳細に語られています。もう勝ちです。以後なんだかんだ理由をつけて小説を買ってほしいとせがむようになるでしょう(ぶん投げ)

 

男女ともにあまりおすすめしないのは、重松清先生の小説です(塾の先生はすすめる人が多いのですが)。重松先生の小説は中学入試の小説問題に延々と出続ける鉄板ですが、あれは「大人が見たい、子供の理想の姿」「大人が子供に読ませたいと思う、子供の話」に特化した小説で、生身の子供が読んで面白いと思う可能性は低いです。むしろ、自分たちが俯瞰されつつ未熟さをヨシヨシと愛でられているような、「本ってなんか、微妙だなぁ」「こんな小学生いねー」という感じになるでしょう。重松先生の本は、大人が読むととても楽しいのだけど。それよりは、小学生というのは中学生以上が主人公の、一つ上の思考を摂取したがっているものです。

 

・子供が中学~高校

小学生のときに本読み的な嗜好になっている子なら、放っておいてかまいません。勝手に、学校の図書室や本屋で興味を広げて行きます。

そうでなく「中学から本読みにさせたい」場合は、中学生にとって興味のある本をトスする必要があります。「お前は読書癖が無いんだから、小学生が読むものから読め!」みたいなのは間違い、絶対にダメ。それは多感な年頃の子に屈辱ですし面倒です。

 

女子の場合……若干オタク的なフィクション許容力があるのなら、前述のメディアワークス文庫・新潮NEX・冨士見L・角川文庫辺りの沼にズボォッとハマれる可能性があります。そうでなく実に健全に育ってきているのなら、住野よる先生の「君の膵臓を食べたい」「また、同じ夢を見ていた」など「泣ける!」……綺麗な涙を出させるために全力特化した本たちが強いです。メディアワークス文庫の「君僕系」と呼ばれるタイプの本もこの系譜です(タイトルに超高確率で「君」と「僕」が入ってることから、君僕系という俗称でカテゴライズされるようになりました)。ドラマチックで、運命的な、少しの苦さと澄み切った綺麗な涙が出る話に自身を投影してハマれます。

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男子の場合……ド健全な男子なら住野よる先生の作品でもいいのですが、大抵の男子はド健全ではないので、「デスゲームもの」や「異能力バトル・ロボットバトル」や「ちょいエロいやつ」の引力に真っ逆さまに落ちていきます。上3つを全て満たしている作品も、ライトノベルにはいっぱいありますね。今の子は運動部だろうと深夜アニメの話題に通じているのが普通なので、アニメとして話題になっているライトノベルは、グッズ感覚でもいいから買ってあげるとよいでしょう。けっこう最終防衛ライン、勝負どころです。スマホと個室を手にした子供は、暇のつぶし方を「部屋の中にある物の中から考える」ようになります。スマホで無料ゲームをダウンロードし続けたり、面白い動画を検索したりです。エロいものだってネットで無限に手に入るので、「エロ動画やゲームより、本を読む方が楽しいや」と上回らせる、小学生の頃よりも高いハードルを超えなければなりません。

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5、新書はどうなの?

でも小説なんて架空のお話でしょ? うちはもっと実用的な……大人も読んでいる新書を読ませるわ! そうすれば2倍3倍賢くなるはず!

「決断力」「鈍感力」「捨てる勇気」「バカの壁」「サラリーマンは年収300万で家を買え」「捨てる勇気」「PDCAサイクル」!

うぐ、うぐぐぐ……

あれらは、かなり玉石混淆です。

もちろん面白い内容のものはありますが、中には感情論フルバースト、ちゃんとした論のお手本としてしまったら後遺症を残すようなものもあります。案外、ネットで普通に言われている程度のことが超もったいぶった文体やインモラルな例でどや、どや!と書かれているだけのものすらあります。

だから子供が読みたいと言ったら全然読ませていいと思うのですが、それを「小説以上の進んだもの」として読ませて、妙なプライドをつけさせてしまうことはおすすめしません。不思議な感じですが、架空の物語にすぎない小説の方こそいろいろな物を抽出できる超高密度の物体かなとは思います。

例えばサラリーマン道を熱く語った新書よりは、「壬生義士伝」の上下巻にのめり込んだ方が、「サラリーマンの人生」ってものが実感としてわかると思う。あれは新撰組のお話ですが、その実サラリーマンお父さん小説の大傑作です。だからあくまで新書は子供に希望があれば導入するぐらいのオプションで、親が小説を排してまで率先して渡す物のようには思いません。

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 壬生義士伝マジ最高。「お金にこだわるのが最もみっともない時代に、方言丸出しでお金にこだわる、『脱藩者』にして新撰組吉村貫一郎。普段は穏やか、だがあまりにもみっともない彼の姿は、他の血の気の多い新撰組隊員を激怒させる。が、穏やかで田舎者のその技の冴えは……そして彼がみっともなく銭にこだわる理由とは……」最の高。

 

 

そんなところ。以上、まとめますと

1、読み聞かせをする

2、本を物理的に近くに置く

3、親が本を読んでいる姿を見せる

4、本に低俗も高尚もない。年相応に読みたいといったものを与える

5、新書は小説の“上”とは限らない

 という感じでした。

 

一つ前の記事にも書きましたが、とにかく絶対忘れちゃいけないのは

「子どもを本好きにしたいのなら、子どもが本嫌いになる可能性がある行為をとことん避ける」

という点です。攻めの姿勢よりも守りの姿勢が大事。

本は、元よりフリークがたくさんいるほどに「そもそも面白いもの」なのです。

こっちだって、面白く読んでもらえるようにって、工夫して頑張って書いてるし。

だから年齢経過と共にどこかのタイミングで「自然と好きになる」可能性は常にあります。

今回の記事は「そのきっかけを、少し誘導してみよう」みたいなものです。

本人がさっぱり興味を持っていないもの、レベルにあっていないもの、そもそも親がその本を楽しいと思えていないもの、そういうのを強制して与えるようでは、確実に「本嫌い」になります。「その本を読み終えない限りはゲームを買ってあげないぞ」とか、「お前は本を読まないからダメなんだ」とか「お前は本さえ読めばなあ」みたいなお小言もNG。本に対する敵愾心しか生まれません。

子どもが学校の授業で、図書室で本を借りてきたとしたら「へえ……私もそれ、読んでいい?」ぐらい言う。で、実際読んでしまう。そして子どもが読み終わったら感想を言い合う。子どもが月に3冊も読んだら「すごいねえ。大人でもそんな読まないもんよ」と褒めて自信をつけさせる。そんな風に、上から下に与える「啓蒙行為」ではなく、家の中に当然に存在する娯楽の1つとして本を扱うと、本好きな子どもは増えるのではないでしょうか。本に限ったことでもないかもしれない。

 

以上です。

悪魔はクールに去るぜ

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画像はロード・オブ・ヴァーミリオンⅢの悪魔、バフォメットだぜ

 

お わ り

小説とゾーニング3

小説とゾーニング最終章。

今回は小説という娯楽そのものがメイン。

 

「人前で小説を読むなんて、嫌味なやつだ」

 

と言われたことがある。

社会人になってからのことで、当然業務時間中に読んでいたわけではなく、昼休みに読んでいた。

それも食堂で昼食と歓談を済ませた後、仮眠室扱いになっていた空き会議室で読んでいた。

だから厳密には人前じゃないんだけどな……

「人が入ってくる可能性がある場所で小説を読んでいるなんて、嫌味なやつだ」ということだったらしい。

私が読んでいたのは、たぶん東野圭吾先生の「容疑者Xの献身」あたりだったか。

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探偵ガリレオシリーズ初長編、映画化もされた面白いやつだ。主人公湯川の認める友人である犯人が、ある目的のために驚天動地のトリックをしかける推理小説だ。

 

先輩の言は、どういう意味だったかわかるだろうか。

なぜ、人の目につく可能性があるところで小説を読むと、嫌味なやつになるのだろう?

この先輩は脳筋(脳味噌筋肉)で、中高と超きついスポーツをしてきて、大学はそのスポーツの推薦で入り、この会社にもそのスポーツ部のOBの口利きで入って来たという、根っからのマッスルな人だった。私が入ったその会社はそういうタイプの営業の人を「兵隊」と呼んでいた。「だっておまえらは……頭いいタイプじゃなくて、兵隊だろ?」という言葉が普通に飲み会や研修の席で言われる会社だった。私のような見るからに軟弱なのは「うまくいけば参謀」なのだろうか。どのみち私はすぐに辞めてしまったけど。

 

その、脳味噌まで筋肉で固めたまったく勉強というものに触れてこなかった先輩からすると「読書=勉強」だったらしい。つまり「昼休み、人の入ってくる可能性のある場所で勉強するな。みんなが焦るだろうが。もっと人の気持ちを考えられる人間になれ」という話だったそうだ。

い、いや~……「容疑者Xの献身」なんだけどな……もし翌日だったら銀河帝国弘法も筆の誤り」だったかもしれないし、翌々日ならFate/zeroだったかもしれない。勉強では……ないけどなぁ……漫画読んでるのと同じ感覚というか……

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先輩、どこまでコンプ持ちなんだよ!?

 

 

 

ただ、けっこう世の中には、読書という娯楽をそういう風に「勉強」「大人のたしなみ」みたいに捉えていて、「自分はそれができていないから、その話題になると頭が痛い……」みたいにコンプレックスを感じている人がいる、というのも、あれから10年ほど経ってわかってきた。

あの先輩は本当にスポーツ一本で進路を得てきた人だったので、勉強という行為をしたことがなかったらしい。新入社員なら最初に取らされる国家資格をけっこう落としてしまっていて「営業マン入社なのに営業が許されない」という立場に苦しんでいた。一番泣きたいのは「まさか、あれに落ちるとは……」と想定を大きく下回られた会社の方だったろうけど。「スポーツ専攻を人生のギャンブルにしてはいけない」とは超一流アスリートが発信した言葉だが、正直そう思う。

他にも、私は電車通勤の暇に対するお薬として鞄の中に入れているのだが、あるとき鞄の中をチラ見したお客さんから「まあ! 糸魚川さん、そんなぶ厚い本を! いつも勉強されていて……さすがですわあ……」みたいに驚嘆されたことがある。うむ、う……その本は350ページほどだから特別厚いというわけでもなく、カバーをかけていてばれなかっただけで、中身は「りゅうおうのおしごと!6巻」だった。女子小学生ロリコンハーレムの要素も少しは持つエンターテイメント小説である。なんだか真面目であるかのように、驚嘆されてしまった。勉強……?

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数年前、「電車内で本を読んでいるふりができるスマホケース」というものが、ツイッターで話題になった。数ヶ月前に出たギャグっぽいやつではなく、その時のは本当に「電車内で、他人から本を読んでいる人に見られたい」人用のガチな製品・広告だった。それほどまでに「本を読んでいないこと」にプレッシャーを感じ、「本を読んでいる人に見られたい」願望を持つ人がいるということだろう。当然だが、そのカバーをつけても1文字も本を読んでいることにはならないのだが……

それでもいいという人がいるのだろう……

少なくとも企画を通した人はそう思っていたのだろう……

売れたのかな、あれ……

この世はわけがわからない、不思議なことばかり……

 

「この世には、不思議なことなどないのだよ、糸魚川くん――」

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京極堂――――!?」

 

「舞台は整いました。さあ、憑物落としを始めましょう――

現代の怪異……

読書=勉強という憑物を祓いましょう」

 

 

 

・読書は勉強?

これは、「食事は栄養補給?」という問いに似ていると思います。

あなたがおすすめのお店にパートナーをお食事に連れて行ったとして、そこでパートナーに「どう? このお店素敵じゃない?」と尋ねたとする。

するとパートナーは満足な笑顔を見せて「うん、栄養バランスが最高で、栄養バランスが素晴らしくて、栄養バランスが特に良くて最高だね」と言ったとする。

(なんか、変だ……)ゾクッ

と思いませんか。

「ちょっとパートナーくん(さん)、あなたは何のために食事をするの?

そりゃ栄養補給だよ。食事は栄養補給のためにするものだろう?」

ゾクゾクッ

え、いや、まあ……

生理的に言うとそうかもしれないけど……

でもこの飽食の時代、デートなら「おいしいものを食べたい」が最初に来ない……?

おいしい体験をするついでに、お腹も満たされる」が第一義であって

「栄養補給のために食事をする」が優先度トップだと、ちょっと怖いというか。

味自慢のレストランに行ってそういう「栄養になったからいい体験だった」が感想の主軸だと、なんか、その、間違いすぎてない? パートナー、ゴルゴ13?

この「栄養補給」を「勉強」に、「食事」を「読書」に置き換えて読み直してくれると、私の言いたいことがわかると思います。

 

×栄養があるからいい料理 ついでにおいしい

〇おいしいからいい料理 空腹も満たされる

 

×勉強になったからいい小説 ついでに楽しい

〇楽しかったからいい小説 雑学も増えた気がする

 

美食家にとっての食事が、美味しさ一番で栄養バランスは些事であるように、本読みにとっての読書は楽しむことが一番で勉強と思ってやっていることではないというか……

もちろん、グルメ料理だろうと食事をすれば食品の栄養は体内に吸収されます。

読書も、おいしくいただいてさえしまえば体内に知識やら世界観やらは吸収されます。頭がいろんな水を吸い込む柔らかスポンジになる、ぎゅっと絞ればドバッと混ざり物の泡が立つスポンジになる、そういう側面はあります。

グルメ料理が贅沢品なように、読書は(自分のレベルにあったものを選ぶ限りは)お楽しみです。娯楽です。ゲームや漫画や映画や演劇と同じ、刺激的な娯楽。大枠で言うならエロゲーやアダルトビデオと同じとも言えます。ストーリー性のあるAVと、濡れ場が執拗な一般小説は一体何が違うのでしょう? 雑食で浴びるように読んできた私は、よくわからない。

だから「読書=勉強のためが第一、娯楽は第二」の構図を固持し続けようとする人・親は、「君、このエロゲー未プレイなの? ダメだね……このエロゲーで人生を勉強しておいで。絶対勉強になるから」というような、大学の文化部にいがちな先輩と同じ事をしていると思います。

ゲームは楽しむためにやるものでしょう。楽しんだ上で、他いろいろも印象深く残るっていうだけで。グルメも然り。読書も然り。楽しんだ上で、楽しい以外のいろいろが体内に残る。

 

・読書という反則

ただ、読書に「楽しい」以外のメリットがある、ありすぎてしまうことは否定しません。

神様がこの世界の設計で、これだけはバランス調整ミスったなというのが読書です。

もし「世界一おいしくて、一生飽きなくて、世界一栄養がある料理」が格安で売られていたら、どうしますか。世界一美味ですよ。しかも飽きない。安い。「もう、それだけ食べていればいいじゃないか」ですよね。その通り。読書っていうのはハマれば「楽しい上に、汎用的な経験値も高め」というチート趣味なのです。引きこもって読書三昧などというのは毒な気もしますが、普通に外出て仕事しながら読書趣味ってのは相当強い生活構築に思います。

普通、人間って、生死と関わらない「現実(仕事や学校等)とは無関係・無意味なことをすると癒される」ようにプログラムされていると思うのですが、読書は「別世界体験(逃避)であり」「近隣世界(実用)の知識を得られる」という調整ミス、バグがあるのです。戦国時代の冒険譚は私らにとっては異世界ですが、日本の過去という意味では近隣世界ですね。仕事中、どこかで人に面白がられる話のネタになったり。

別に小説に限ったことではなく、漫画だって読書です。

最近ハマっている漫画に「解体屋ゲン」というお仕事漫画があるのですが、これもまた読書。

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解体工事の世界の小さくも明るい工務店の切り盛りの話なのですが、私にとって「工事現場やゼネコン」というのは異世界であり、しかし「フリーランスの下請け・孫請け」という意味では近隣世界でもあります。私はゲンさんを読んでいる間、実生活からはかけ離れた工事現場やゼネコンの世界に浸って癒されながら、しかし下請け業者であるゲンさんや他の職人たちが時に見せる技や矜持に「ああ~~わかるわ~~」「やっぱそうだよなぁ」「どこもこんな感じかあ」「なるほど、こうすればいいのか」と共感したり驚嘆したり、時に学んでいます。

小説に限らず、映画や漫画だって浴びるように雑食して楽しめば、気がつけばいろんな栄養をもらっていると思います。映画観まくるタイプの絵描きさんは、漫画のストーリーというよりも、演出(1つのコマの見せ方)が上手いんですよね。明らかに。小説読みまくるタイプの絵描きさんって会ったことないや(絵描きさん、これは頭一つ二つ抜きんでるチャンスだぞ)

というわけで、はっきり言って読書は趣味としては「割のいい趣味」ではあると思う。

楽しい、だからズブズブ沼にはまるように楽しめる、電車の移動時間一時間ぐらいならあっという間に時間が経ってる、そしてなんだか頭も柔らかスポンジ的な?

幕末が舞台の小説を読めば江戸時代の空気が、

戦後が舞台の博徒の小説を読めば戦後の空気が、

冷戦時代のスパイ小説を読めば冷戦時代の空気が、

80年代なら80年代の空気が、

90年代なら90年代の空気が……

激しいナワバリ争いの警察小説を読めば警察のイメージ(?)が、

医局ミステリーを読めば病院内部のイメージ(?)が、

人事を握って倍返しなサラリーマン小説を読めばサラリーマンのイメージが。

それらの舞台が現実で話題に持ち上がったときに「なんとなく、あのお話の感じだ」とぼんやりイメージが浮かぶ。

それができるだけでその人は「打てばすぐに音が鳴る楽器」になっているのです。

各ジャンル1冊ずつだと何がフィクションで何がリアルなのかわかりませんが、各3作者ずつ読んでみたりすると「共通すること」が出てきているわけで、「ああ、警察って県警と所轄でやっぱちょっと力関係があるんだな」みたいなリアルっぽいことも見えてきます。あくまでぽい、ですが。でもその可能性が考えつくことが有用というか。

人間、ドノーマルの初期状態では「知らないステージの話」は何も思い浮かびません。子供の方が(初期状態で)想像力があるなんてのは、ひでえ嘘っぱち。蜜柑の絵を気分で青色に塗るようなことはしますが、ドノーマルの未入力状態では小学生は中学校生活のことを全く思い浮かべられないし、中学生は高校を、高校生は社会や大学を全く思い浮かべられません。小説や漫画や映画やゲームでそれらを舞台にしたものに触れていれば、なんとなく雰囲気はわかりますよね。ペルソナ4か5をやっている中学生と、やっていない中学生とでは、後の高校生活に対する解像度がずいぶん違うでしょう。

 

そんなこんなで、「頭に浮かぶイメージが多い」というのは、それを土台に様々な知識を吸収する土台となります。映画「300」を観ていれば古代ギリシャのスパルタが、「グラディエータ-」「ベン・ハー」「テルマエ・ロマエ」を観ていれば古代ローマが、授業で習ったときに「あ、なんな服装と街並と世界観の頃のお話だ」とスッと入り込めます。海外ドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」を観ていれば中世ヨーロッパの世界観がなんとなくつかめるでしょう(モンスター的なのも出てきますが)。

観ていなかったら……?

なかなか大変です。

私たちの世代はドラクエナイトガンダムがあったために「剣と魔法のファンタジー」(中世ヨーロッパ)の雰囲気がとても身近でした。王様がいて、教会があって、森には妖精が住んでいて……

完全に注入ゼロの小学生というのは、海外も日本と同じ街並が広がっていると思っているし、300年前も今と同じ街並が広がっていると思っています。以前、「2000年頃ってどんな生活だったと思う?」って小学生に尋ねたら「……白黒テレビ?」と言われたことがありました。携帯電話はまだ無かったんだぞーって言うつもりの問いだったんだけど、さすがにショックだった。でも知らないって、そういうことです。

話を世界史に戻すと、前述の娯楽(それに近いもの)を観ていなかったら、

「古代のローマでは、市民は『パンと見世物』が求め、コロッセウムで剣闘士が戦わされることを楽しみとする衆愚政治へと陥っていた」

という教科書の一文が、完全に「謎の文字の羅列」として立ちはだかります。もう何のイメージも沸かない。図説を見て、検索して、ついてこられるならいいのですが……心折れる子供の方が多いでしょう。「過去のことなんて今と関係ないし。勉強するなんて無意味!」って言いたくなる、そりゃ。

しかし「グラディエータ-」と「テルマエ・ロマエ」をどこかで観た子はパッと頭に映像が浮かび、すぐに「暴君ネロ」が教科書に登場すると「FGO」で遊んできた子は目を輝かせるのである……みたいな。

 

・なぜか小説を読むと、気づけば知的になって(?)いる?

そんな風に、たくさんの雑多な娯楽に触れていると知識が染みこむみずみずしい土壌が形成されるわけですが、特に小説というのは土壌形成が進みやすいようです。

それについて、 三つの要員を考えています。

 

1、納得ラインの高さ

映画は映像の強さがありますが、小説は地の文という強さがあります。

地の文とは「心の声」であり「設定の声」だったりもします。

小説原作の映画化のときに、心の声がナーレションで入ることは少ないです。

小説なら「僕は怒りに震えていたが、拳を握りしめこらえるしかなかった」と書かれている場面が、映像化すると「震えている顔」と「拳を握るシーン」で表現されることになります。つまり「怒りに」と「こらえる」が抜け落ちている。役者さんの演技が下手で撮り直す時間もなければ、「恐怖で震えているのか?」「拳を握るも、怖じ気づいて殴れなかったのか?」というような不明瞭なシーンのまま流れてしまうことがあります。

また、映画というのは映画館で見る限りは「映画のスピードに、自分が合わせる」ことになります。パッ、パッとスピーディに場面が切り替わるような場面では、観客にとって「全ての情報が拾えないのは当たり前」「提示されたものの、よくわからないまま次のシーンに行くのは当たり前」の文化です。なんかよくわからんけど、わからんまま付き合うというのが映像の文化。そういえば、知り合いの女子高生と友人3人が「君の名は。」を見に行ったものの、その友人3人はさっぱりあの話がわからなかったと言っていたなあ。私はめっちゃ楽しめたけど。対して小説というのは、読むスピードは自分に委ねられています。よくわからなかったところはすぐに2回3回読んでいいし、一瞬の剣撃で勝負が決まるページなんかは「ああ、もう、一瞬で……!」と5分間余韻に浸ってもいい。つまり「納得しながら追いかけていく」感が映像娯楽よりは強めなのでしょう。納得感(追体験感?)が高いぶん、体内に残りやすいというか。

また、子供にとって大人は未知の怪物です。まともに話したことがある大人なんて両親だけ、あとはちょっとだけ学校の先生と習い事の先生……というのが、小中高の大多数の子供たちです(高校生でバイトでもしていない限りは)。だから、大人なんて何考えてるかわからん。何に喜ぶのかも、何に悲しむのかもわからん。夏休みが3日で大丈夫って同じ人間やないやろ。ぼくら40日でも少ない思うてるのに。本当に、自分らと同じ生き物なのかと疑いたくなる……忙しくしている父や母も、そんなもんです。毎日カイシャでシゴトしてるらしいけど、シゴトってなんなんやろ……って。そんな子供にとって「大人の心の声」がキャラクターとして描かれている小説は、もんのっっっっっっすごい栄養です。世界の根幹の仕組みに十年以上抜け駆けして触れていると言ってもいい。そりゃ、「ちょっと感じが違う子」になっていくものです。

 

2、大人との対話

前述の理由から、子供を賢くしたいなら簡単で、落ち着いている知的な大人に友達になってもらえばいい……っていう真理があります。子供は味のある大人と定期的に雑談しているだけで、どんどん抜きんでていきます。両親がそういうことができるなら、してあげるといいです。できなくても恥じることはない、普通は能力的にも余裕的にも無理です。

しかし落ち着いてる知的な大人を呼んで何時間相手させるなんて無理だろ。何そのハードルの高さ。落ち着いている知的な大人が、子供一人のために何時間もかけて雑談する訳に着くことは非現実的です。おっさんもおばさんも、自分のお仕事でひっぱりだこなのだ。

そこで本という強力なブツの出番です。

本……小説というのは、当然ながら大の大人が渾身の力で書ききっているものです。もちろん物語は架空のものですが、それでも大人が全身全霊をかけて完結させた話であり、そこに本人のエッセンスが宿っていないわけがありません。だいたい、プロット(本筋)や設定よりも、作者が枝葉末節で語らずにはいられなかったことに本人が出ていますね。このブログもそんな気がします。

小説っていうのは「大人が真剣に語っている物語」なのです。しかもよくわからない箇所は、何度繰り返し尋ねて(読み返して)もいい。繰り返し読んでもわからなかったら第三者に「このおっさんの言ってること、よくわからないんだけど、教えてくれる?」とリアル対話なら大変失礼にあたることまで可能なのです。また、それでもわからなかったり興味を引かれなかったら「おっさん、あんたの話、難しいし、いまいちノらないから、途中やけどサヨナラやわ。また大人になったら会いに来るかも」という、リアル対話なら大変失礼な(略)

……とまあ、読書というのは児童書であれラノベであれ一般文芸であれ「ガチ大人のマジな作り話を聞いている」の側面があるのです。

極論、「200冊の小説読んできた子供」というのは「200人の専門家と4~6時間ぐらいのガチ会話をした経験を持つ子供」みたいなものです。

歴史小説を読む」ということは、「歴史マニアのおじさん、何か面白いお話して」「てやんでい、耳かっぽじってよく聞けよ。そうだな……昔江戸の町外れに武士の三男坊が立てた剣術道場があってだな……」「三男? なんかそれ大事なの?」「おうよ。武士は長男しか大事にしてもらえねえんだ。三男ともなると暮らしは農民と同じぐらいのもんよ。技能がねえぶん農民より宙ぶらりんかもしれねえ。ちなみにこの時代は、8人兄弟ぐらいまで当たり前だったんでい」「へー」ということであり、

「警察小説を読む」ということは、「警察マニアのおじさん、何か面白い話をして」「いいだろう。東京と神奈川の県境で殺人事件が起きた。これはどっちのシマの事件かということで一悶着あり、合同捜査本部の設立まで三日もかかってしまった……」「仲良く捜査しないの?」「警察は地方公務員だからね。できないんだよ」「は、はあ……」「初動捜査の失敗は大きな痛手となる。事件は早くも迷宮入りに……」「迷宮入りになると何かまずいの?」「危険を放置しているし、沽券に関わるってやつだ」「沽券に関わるとどうなるの?」「辛くなる。奥さんとの仲は冷え切ってて、仕事一筋を言い訳に家庭から逃げてた男が、仕事でデクノボー扱いされるわけだ」「しんどそう」「しんどいぞ」

という感じ。

教育界で使われる謎用語に「地頭がいい」というのがあります。これは「なんかよくわからんことをたくさん知っていやがる」「なんか論理的に筋道立てて物事を考えやがる」ぐらいの意味ですが、これは「地頭がいいから本が読める」ではなくて「本を読んできた(専門家とたっぷり時間をかけて対話してきた)から、その知識や論理構成を吸収して地頭がいい感じになってる」が真だと思います。

 

3、規制の緩さ

小説は、宇宙で一番規制が緩い娯楽メディア媒体です。エロゲーはやってはいけないことがいろいろありますが、小説では大人と中学生の生々しい本番ラブシーンぐらい当たり前に描かれます。エロ小説でない普通のSF小説でも。「映像描写が、ない」というのが1周回って弱点どころか媒体の強みになっているのです。どんなセクシーな表現も、残虐な表現も、複雑な表現も、リミッター解除でなんでもござれ。倫理的な線引きや映像予算・作画工数的な制限はどこにもない。

そしていかに「落ち着いている知的な大人」でも、少年少女に直接話すには憚られる内容があります。おじさんと一対一の部屋で、おじさんがいきなりセックスについて解説を始めたら少女は恐怖して逃げ出すでしょうが、おじさんが書物に生々しい濡れ場を書いていても「フワーオ、こういうものなんだ」とこっそり繰り返し読んで印象づけるだけでしょう。

私が少年に対して「思いついた完全犯罪」を解説すれば警察を呼ばれるかもしれませんが、小説の中でその「完全犯罪」を披露すれば「すげー」って思われるし、伝わるのです。そしてその「書いていいこと」の領域が他媒体に比べてあまりにもゆるい、ゆるいこそ宝の一極集中となっているのが小説です。

少年漫画のラブコメを読んでいても、「どーせラッキースケベとキスまでだろ」って感じですよね。セックスするにしても、そのシーンは間接描写に留まるのがわかっているというか。

小説だと、そういう目的の本でなくてもわりとがっつり書かれたりします。がっつり書かなくても、漫画のように「エロ本番シーンだけ密度が落ちる」ことがないので、もう大興奮です。私の親は松本清張のファンで「社会派ミステリー小説として」松本清張の本一式を貸してくれたのですが、普通にドキドキする大人なシーンはあってウヒョーッ!?って感じでした。

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わるいやつら」とか。東野圭吾先生の本はハズレ率の低さでプロ中のプロだなと思いますが、陵辱シーンはけっこうあります。そもそも「中学生からハマれる」京極堂シリーズも……魍魎は……凶骨は……グロ方面にもセクシー方面にも凄かった。キスで「うえー!?」とか言っていられてた昨日が、一日にして二度と戻ってこない過去になったことが実感できてしまうほど。

 

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以上、なんで本を読むと子供は知的になる(?)か三つ。

1、他媒体に比べて、納得ラインの高さ

2、大人(内容と語りの専門家)との対話

3、他媒体に比べて、規制が緩い

この福次効果が異様に高い。当然、内容が興味を引く物であったり語りが上手ければ、そのお話を聞く(読む)のは「面白いこと」です。ノーマルですが、ついついゲイのみなさんの語りが面白くてゲイバーに通ってしまうように。人は、面白い話が聞ける(読める)のはお金を払ってでも得たい体験なのです。

「楽しい、ハマる」「地頭(謎用語)が勝手に耕される」、これが読書というものの真実ではないでしょうか。「勉強しよう、読書はつまらないけど勉強のために読書しなくちゃ……!」みたいに頑張って地頭を耕せている人は、見たことないなぁ。あまりにも、無理しているというか……

 

ゾーニング???

ここでゾーニングの話に戻すのですが、上の1、2、3の「強さ」を見て、ゾーニングの教育的効果を考えてみてほしいのです。

「子育てガチ勢」な親御さんは、子供の偏差値を上げるために「有害図書は遠ざける」「だがいい本をたくさん読ませたい」という矛盾を含んだ主張をされます。ついでに言うと、そういう矛盾に気づいていない親御さんっていうのは自身に小説の読書経験がかなり乏しい。教育煽り系週刊誌に偏ってるとか。読書家の親はそういうモノが無いことを知っているので、そういうことは言いません。

 

 

第一、まず「いい本」というものの定義が不明です。

「良い本とは?」

大人が読んでいるような本を読んでくれたらいいですねえ」

「いい大人が一番買ってる作家さんって、東野圭吾先生だと思いますが。『容疑者Xの献身』とか……?」

「そうそう、そういうのです!」

うーん

東野圭吾先生は……

かなり控え目に見ても10作中4作ぐらいはレイプシーンがあるんだけどなぁ……

白夜行」とか、スーパーマリオのカセットの偽造販売とか銀行の磁気カードの不正読み取りとかする話だぞ……幼女売春もあるし……エグすぎて、面白いけど……

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そういうエグいのが無い「いい本」といったら、児童文学を読めということか。

でも児童文学でも「それはガンダムではなくてボトムズなんだけどな……」とかお父さんのセリフが出てくる時代だぞ。「さっ太の黒い子馬」なんて、さっ太自身は児童文学だけど、数年後の続き的な同作者「豊久の女」シリーズまで行ったらベルセルクの蝕が起きたみたいなことになるし……

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いや、さっき「大人が読んでいるような本を読んでくれたら」って言ったぞ。

え、えーと……

 

穏やかな知的な大人が読んでいる

 

エロやグロが少しもない面白い小説

 

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関羽出てきちゃった。関羽が言ってるんだから間違いない。

「ビブリア古書堂」ですら、1巻は主人公が栞子さんを性的な目で見るシーンがちょいちょいあるぞ。レーベル創刊時は男女問わず大人向けの小説だっただから当然。そして今やビブリアはふりがなを撃たれて角川つばさ文庫から出ているのである。MW文庫版には無かった挿絵つきヤッター!

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穏やかな知的な大人が読んでいる

エロやグロが少しもない面白い小説

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 ジョジョ4部からトニオさんまで来た

つまり此度のゾーニング騒動の件、「過激な『絵』が目につかないようにする」は一理ありと思うけど、「過激な内容の本を子供に読ませるな」では楽しみを大きく制限するし・教育効果(?)も相当制限されると思います。本末転倒級に。それよりも、何でも読ませて「こういうのはここがおもしろいよな。でも、フィクションの中だから楽しいんだ。現実にやっちゃ絶対にダメ。わかるよな?」って言っておく方がうんとお手軽だし、みんなも笑顔じゃないでしょうか。

もし地の果てまで「やさしいだけ理想的な本」本を探し求めるなら、宗教が無料で配ってる、ふわふわした精神論・布教本しかないと思う。

 

 

 

余談。

あれもダメこれもダメで無いものを探して頑張ってしまったのか、

昔、美談として「近所の〇〇さんの家の娘さんは、泣きながらも夏目漱石『我が輩は猫である』を最後まで読まされて、その頑張りで名門中学に受かった。素晴らしいですよね」という話を聞かされたことがある。

よくもそんなことをしてくれたな、である。

この世に読書嫌いの、読書にトラウマを持つ、読書なんてこんなに苦しくてつまらなくてやらされるものなのだと思う若人が一人生まれただけだ。(「我が輩は猫である」がつまらないのではない。本人のレベルにあっていない・今は興味を持てないものを無理矢理『勉強として』読み通させたのが最悪の数え役満なのだ)

正直、子育てという観点を入れたとしても、読書好きにする「必要」はないと思う。

そして、わざわざ「読書は大嫌い」にする必要は、その100倍は無い。

そして親・大人側の悲しき誤解から「隣の子は福沢諭吉の本をばんばん読んでるらしいのに、うちの子はまだ夏目漱石も読もうとしなくて……(あたしはどっちも読んだことないけど)」みたいな読書の楽しみとかけ離れたお節介で「読書嫌い」を積極生産しているお家があることも事実。

駄目な私学は夏休みの推薦課題図書で、そこらへんをズラーッって並べるからね。先生たちの読書コンプがすごい。絶対先生方、読んでないっす。職員室の見栄の張り合いすげえ。

 

読書好きがちょっと勉強向きな脳の土壌を得ていることは、否定しない。

では読書が大嫌いになってしまった子は、勉強苦手な土壌を得たも同然。

「大嫌い」は「とくに興味がない」よりもずっとひどい。

もし

「子供が、50%の確立で読書好きになり、50%の確立で読書嫌いになるスイッチ」があったとしたら、私は絶対に押さない。

子を本の虫にしようとするあまり子に本アレルギーが発症してしまうケース多々。そんな大きな不幸を呼び込むぐらいなら、まずは「本は特別興味があるわけではないけど、嫌いでもない」「暇なときに手を伸ばせば届くところにあったら、読むかな」を目標にしてみては。

 

小説とゾーニングの話は今回でおしまい。

次回は番外編として「でも、子供に本を好きになってもらいたい」という親御さん向けのアイデアを書こうと思います。

 

では、読んでいただきありがとうございました。

楽しく、健全とは言い切れない素敵な読書ライフを。

小説とゾーニング2

前回からの続き。

 

1、ゾーニングは可能か不可能か?

2、そもそも、ゾーニングはメリットが多いのか?

 

1、ゾーニングは果たして可能か不可能か?

ゾーニングというゾーン+ingの新語も定義が曖昧で、今回の話で言えば「本屋さんで、置く場所を考えよう」から「有害図書を青少年から遠ざけろ」まで、小なり大なり様々な感覚で使われていると思う。だから①と②の2段階に分けて考えて見る。

 

①「本屋さんで、置く場所を考えよう」的なゾーニング

これぐらいの意味でのゾーニングは当然可能だし、アリなのかなと思う。

要は「人によっては見たくない可能性の高いものが、目につきすぎないようにする程度の配慮」だ。

私のツイッターのプロモーションでも、なぜか残虐系・悲惨系の漫画広告ばかりが出てきて辟易しているのだが「めっちゃ目につくところに、見たくないものがズラッと並んでいる」というのはそういった気分なのだろう。

ただこれは「その本屋にはそもそも行かない」という自衛手段があるし、本屋もそういう足の遠ざかり方のプラスマイナスを秤にかけてやってる点もあるだろうし、つまりは「本屋さん側の善意で」そういうことが起きるかもね、ぐらいの期待度だ。何をしようと何をしなかろうとその損得は全て、本屋さん側に依存する。だからお客さん側が強制するようなことはあってはならない。もし「強制したい」のなら、住民運動でも起こしてその地域の条例なりを定めてもらうしかない。

そこまで本気というのなら、頑張ればいいと思う。私は絶対に荷担しないけど。その理由はこの記事の以下でつらつらと書いておく。

 

②「有害図書を青少年から遠ざけろ」的なゾーニング

その意義はさておき、これは現実的に不可能だと思う。

今や少年少女の手元には無限のエロやグロへのアクセスキー、スマートフォンが収まっているからだ。アンリミテッド・エロイゾ・ワークス。ゲート・オブ・エロエロン。

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※親のいないところで子供がちょいエロやドエロを検索するときのイメージ

学校では授業時間に電源オフを条件に持ち込みを認めているところも増えていて、そうでなくてもスマホは表向き禁止・だが暗黙の了解になっている中学・高校はもはや標準だ。先生は昼休みにだらーっと廊下を流すだけで何十ものスマホを摘発できるのだが、そんなことはしない。「常に子供に嫌われたくない」タイプの保護者からクレーム来る。だからまるで二次創作同人文化のように「私は見ていない、だからそんな事実は知らない、だから摘発もしない」という線引きを用いているのだ。

すごい時代になったものだ。

スマホの中にはゲームも電子書籍も入っているし、そういう現物を保有していなくても、検索すればすぐにエロい画像へと飛んでいける。完全なエロ画像でなくても、今最も人気な「微妙にエロい絵(パンツは見せないけどふとももの裏まではばっちり見せる、ぐらいの絵)」だったらフィルターの対象にもならない。乳首は見せないけど水着の絵、ぐらいでも同様。そもそも私服が下着みたいな露出のキャラもいっぱいいるし。

そういう絵は業者も作ればファンがイラストとして描いているもの溢れており、管理統制などできるわけもなく、「全年齢対象のセクシー絵」は無限に生まれ続けている。「うちの子は、任〇堂のゲームしかさせてないから大丈夫!」と親が妙な力み方で頑張っていても「ポ〇モン ミ〇キ イラスト」「ポ〇モン ス〇レン イラスト」で無限のセクシーな地平へと旅立てる。

というわけで、今や学校は事実上のスマホ持ち込み可=「ゲーム持ち込み可、エロ漫画・エロ動画の持ち込み可」まで行っているわけだ。本当にすごい時代になったな。

あなたのお子さんがそういうものとは無縁(?)でも、昼休みにスマホを持ち寄って話すグループの誰か一人が「へへへ……」と持ち込めば、あなたの「有害図書から守りきる!」試みは密かに、だがあっさりと崩れているのだ。当然、そういう密かな楽しみの話を親にはしない。したら逆に怖い。

 

そんなわけで、今回の件で「肌色壁面で有害なラノベコーナーを青少年から遠ざけろ!」みたいな意味でゾーニング賛成!って言っているケースには、私は賛成しない。意義を考えた時に、徹底は限りなく不可能、つまり書店がどうこうしようと無意味だから。解除キーなる言霊「ポ〇モン リー〇エ イラスト」を打ち込むだけで、王の財宝は開かれるのだ。そしてそういう言霊は、親の見ていないところで、学校で、友達の家で、習い事の帰り道で、コミュニティか独自にか子供は学習してくるのである。もちろん、覚えたことを言うわけもなく。ばっちり履歴を消しているかもしれないし、もっと完璧に友達のスマホを借りて閲覧しているかもしれない。保護するつもりで問いただしても無駄だ。保護されたくないのだから。夜、塾の帰りに15分だけ青年マンガ誌を立ち読みしてるとして、親は気づくだろうか。

 

子供にスマホを持たせない! ぐらいの最終決戦スタイルの親なら擬似的な徹底もできるのかもしれないが……それも諸刃の剣。

第一、私は「LINEをやってないと、クラスや部活で孤立する」「スマホが使えないから自分だけ原始人に見られてる」と親にスマホをせがむ子供に、親が要求をつっぱねたケースを見たことがない。「スマホを買ってくれたら、金輪際ゲームはいらない」とまで言えばイチコロだ。それらに打ち勝てた親だけ「有害図書を子供から遠ざける!」意義について議論できると思う。

 

 2、そもそも、ゾーニングはメリットの方が多いのか?

ここで言うゾーニングは、「エロやグロの有害図書を青少年から遠ざけろ」系。

メリットが高いと思っているから、そういうことをしよう、しろ、そういう主張になっているのだろうが……

 

そもそも、そういう「有害図書を青少年から遠ざけろ」系の主張をする大人は、親は、「子育てガチ勢」みたいな感じの人たちに多いように思う。私が会ってきた限りは。

で、この「子育てガチ勢」は、「自分は今までだらしなかったが、子供を得て目が覚めた。自分は半端者だったが、親としては100%いい親になり、自分の子供は絶対に幸せにする。自分は親としては一流になる」という『覚醒』を経て、その信念化した衝動に突き動かされている人が多い用に思う。いわゆる反動形成が見えるのだ。

つまり「半端物である自分」という、抱かなくてもいいコンプレックスを過度に自覚し「自分は、漫画やエロ本ばかり読んでいたからこうなった」「自分は、遊んでばかりいたからこうなった」「子供は自分のような半端物にはさせない」「漫画やエロ本に、子供は近寄らせない」そういう所に辿り着いている。

まあ、確かに……「嘘ついて、ずるして、面倒ごとは押しつけて逃げてばかりだったから、誰からも相手にされず、結果半端物になった」みたいな件があるならその通りだったりするが……それはそれであって、漫画やエロ本まで「半端物になった」一因に見えてしまうのは巻き込み事故だ。

 あと魔界を覗くなら「半端物であった自分が、子育ては成功させ(子育ての成功というのは謎だが。子育ては採点競技か?)、半端物でなかった親類や友人を見返したい」みたいなのも、人によってはめちゃくちゃ感じる。本当、この世は魔界よね。

 

つまり「青少年から有害な図書を遠ざけろ」的な主張が好きな親・大人は、上のような経緯を持つ「子育てガチ勢」であることが多いということ。

そしてこういう「親としては満点でありたい」「子供は自分よりも絶対に幸せになってほしい」という思想に妙な方向で染まり方をした親たちは、「子供の学歴」が大好きである。学歴で幸せになれる時代もとうの昔に終わっていると思うのだが……それはさておいて。

雑なまとめだが

「青少年から有害な図書を遠ざけろ親」=「我が子は偏差値高い学校に行ってほしい親」

という一つの図を作った上で、ゾーニングの無意味さどころかデメリットを強調したい。

そ、そんな親おるんか!?

みたいに半信半疑になっているかもしれないから助け船を出すと、私が教育関係でお仕事をしてきた感じ、都内の「子育てガチ勢」の4件に1件(叩かれないようにだいぶ控え目に言ってる)は、「うちは大丈夫です! 漫画はドラ〇もんとワン〇ースしか読ませてません!」って目を輝かせて言ってくる。「学ぶに準備万端」のアピールとして。

 

デメリットはずばり、

「有害な図書(?)を遠ざけられた青少年は、勉強がだんだんできなくなる」点に尽きる。

勉強というものに対して、反応が他の子比でどんどん鈍くなる。

へ、へ……ほ、ほあああああ!?

ってなってくれた「子育てガチ勢」の親がいるなら嬉しい。

勉強って「良い子になるための訓練」みたいなのは小学生までで、中学高校と進むほどに、ただのこの世にある事物(当然、光の面も闇の面も)への認知と、そこからの抽出だから。心の器が光も闇も置けるようにできてないと、勉強って全然できなくなるのよ。

 

例えば……

私がおすすめする超ウルトラ有害図書「高校の世界史の教科書」「高校の日本史の教科書」っていうのがある。もちろん冗談と皮肉を込めて言っているけど。

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もうね、めくれどめくれど、大なり小なり闘争しか載ってない。吹き荒れる殺戮の嵐。

せせこましい権力闘争、人を人と思わぬ(マジで思ってない)実力行使、延々と繰り返される侵略、略奪、支配専横……うそん、人間ってここまで残酷になれるの……? いや、状況さえ揃うとなるのか……だからこそ理性と秩序が大事なんやな……っていう暗澹たるダークネス・カオス・人間のやってきた全部実話シリーズ。淡泊な筆致だが、内容自体はやばすぎて、R18になってないのが不思議なぐらい。完全にアップルストアの全年齢基準値は超えてる。AndroidiOSで同時リリースできない

そしてその残虐が基本の中に、先見の明があって「戦わない方が、自分たちにとって得だ」と光明を得たごく一部の人たちが、努力して、システムに乗せて、奇跡的に共鳴者たちを得て、今の色々な秩序に繋がってることがちょっとはある……っていうのが、今を映す鏡、歴史の教科書。

「人間は、(状況さえ揃えば)他者を踏みにじってでも自分の利益を最大化しようとする生き物」っていう大前提がわかっているかどうかで、歴史学習=お勉強の吸収率は全然違ってくる。狼と羊のパズルがわかってるかどうか。

例えば

「11世紀になると、教会の腐敗が進み……」

っていう世界史の教科書の一文があったとする。

この一文……

闇金ウシジマくん」とかよくないゆえに素晴らしい漫画を読んできた生徒は、スッと頭に入ってくる。「ま、そうなるわな」だ。鍵盤を叩いた瞬間にポロン♪と音が鳴る楽器みたいな。

だが「ドラ〇もんとワ〇ピだけ許されてきた」生徒は、「??????」である。頑張って理解しようとするが、教会……聖職者が……腐敗……? 悪いことしたってこと……? 聖職者なのに……? え、しかもそれ、堂々と教科書に載ってるけど……え……? と、どうしても文が意味の像を結ぶまでに時間がかかる。鍵盤を叩いても、7秒後ぐらいにやっとポーン?と自信なさげな音が鳴る楽器。

勉強なんて小説家志望でも無い限りは得意でなくてもいいとは思うのだけど、もし勉強やら学問で高いステージに行きたい・子供を行かせたいと思ってるなら、この「教科書を読んでも、意味がわからない(他の勉強ガチ勢でもない普通の子たちはわかってるのに)」という困難は危機的だ。「もっと勉強する」という努力によってカバーしたいところだろうが、「頭に絵が浮かぶかどうか」「理屈として納得できるか」で、その努力の吸収力が違いすぎるのだ。そして残酷なる人類史の根本原理は、“有害図書”の中でこそ、多く語られている。

 

社会科だけではない。

国語の教科書も読めなくなる。

 

私が過去相談された「国語の教科書がムリ」なケースは……

1、小3「モチモチの木」(光村図書)が怖い。絵がムリ。あんなのグロじゃん。だから授業中、ずっと耳を塞いでいた。

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↑この絵が暖かく見えるようになる、それがサルからヒトへの階段や

 

2、中1「少年の日の思い出」(光村図書)がムリ。最後、蝶の標本を手で潰すとか……ムリ! グロじゃん。だから最後らへん、真面目に読んでない。定期テスト近いけど、読み返せない。というかあんなの蛾じゃん。

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↑ヘッセは「車輪の下」で、自身の少年期の同性愛的な目覚めについて書いているぞ

 

3、中3「高瀬舟」(光村図書)。なんであんなの載せるんですか? く、喉にカミソリ刺さってて、血がぴゅーぴゅー声がひゅうひゅうで、上手く死にきれなくて、それをグイッって押してやるって……ああもうマジ無理! クラスの半分ぐらい、耳塞いで机に突っ伏してましたよ。なんであんなグロいの、学校の授業でやるんですか? 間違ってませんか?

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カリカリしがちな受験生への助け船となるはずが

 

 

 

光村図書ォ(いいぞもっとやれ)

 

 

 

無菌室育生ゆえの表現への嫌悪が勝って、本質までたどり着けないでドロップしているらしい。方や「闇金ウシジマくん」とか親の「雑誌 近代麻雀竹書房)」とかを愛読している「子育てガチ勢の親を持たない生徒」は、グロい表現をツマミに「で、言いたいことは……なるほどな~」とか楽しく読んで、テーマと対話していたりする。

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「少年の日の思い出」は「主人公だろうと、誠心誠意で謝ろうと、許してもらえないやらかしってある。そしてそれは一生尾を引く(だから跳ぶ前によく見よう?)」

高瀬舟」は「貧乏人だが心が満たされている人と、お金はそこそこあるが毎日カリカリして気を揉まずにはいられない立場の人、どっちが幸せなんだろう?」

ぐらいだろう。カミソリをグイッでの自殺幇助はサブテーマで、本質ではない。そんな表層で忌避感を抱いてしまっていては、定期テストでいい点取る? 通知表でいい評定を取る? 夢のまた夢。 もし入試でこういう小説が出たら机に突っ伏すのか? センター試験では、雀聖・浅田哲也氏の書いた小説が出たこともあるぞ。麻雀放浪記を読もう。

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↑この表紙は「子供に見せたくない?」

そんなこんなで「子育てガチ勢だから、子供が勉強に集中できるよう過度なゾーニングを施した結果、どんどん勉強が苦手になっていった結末」は至る所にある。

そういう意味で、過度なゾーニングは過度なゾーニングをしたい人たちにとって特に望まない結果に結びついているのだから「やる意味はない」と思う。

……ん。

過度なゾーニングを唱えて常識化して、「他のみんなをお馬鹿にして」、自分の子供だけは闇金ウシジマくんとか銀と金とかベルセルクとか嘘喰いとか僕の妹は漢字が読めるとかを与えて相対的優位を作るみたいなのは……そういう狙いだったら、上手いな! そういう戦略なら大したものだ。それは「子育て修羅勢」かもしれない。あなたのお子さんを持たない私としては、社会全体の沈下はただの迷惑なので、やめていただきたいけど。

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↑普通に文化人類学的な名著です

 

長くなってきたので今回はここまで。

次回はラスト。

「マンガなんて読むな! 大人も読んでるちゃんとした小説を読め!」

「え、それはいいの!? 大人も読んでるちゃんとした小説(?)は大抵エロいぞ!?」

という辺りを突いて、この話題を終えます。

小説とゾーニング1

雪見大福とお酒チョコ「ラミー」が美味しい季節となって参りました。

 

本屋に立ち寄った時、元気いっぱいにセクシー表紙が並んでいたライトノベルコーナーを、娘が「気持ち悪い」と言った――

そんな呟きからネット様々な方向に飛び火し、なんだかんだ燃え続けてるお話。

この娘は実在しない、嘘松だ、卑怯者だ、という意見から、

昔からこうだったとか、

表現の自由の危機だとか、

ゾーニングすれば問題ないとか、

ゾーニングしても無意味だとか、

なんかもうネオエクスデスみたいなぐちゃぐちゃ感になってるこの話題。

私なりの観点で、感想を述べてみる。

 

・「気持ち悪い」と言った娘は実在するかしないか?

正直どうでもいいから詳しく調べていないのだが、私としては「するかもな」と思う。

ツイッターで論客をしている人のどれぐらいが、ここ数年間にライトノベルの平積みコーナー、壁面平積みコーナーで実際に足を止めたことがあるだろうか。

もし実際にその壁を見ていないで「嘘松」と言っているのなら、ちょっと隙がある。明日にでもそういうコーナーに行ってみるといい。「あれ、これは……ひとまず、嘘松認定を撤回した方がいいな……」ぐらいに判断する人は、そこそこいると思う。

それぐらい、今のライトノベルコーナーというのはセクシーで肌色でばいーんでむちーんで色っぽいもので「壁面」が作られている。肉のカーテン。

ラノベ業界で恐らく№2につけているMFJの新人賞募集ページ貼っておくから、今のラノベがどういう感じなのか、1クリックで参考にどうぞ

bc.mediafactory.jp

セクシー売りの強さはレーベルというよりも作者さんによって強弱があれど、例えばホビージャパン文庫さんとかはこのMFJよりも全体的にもっとセクシーだ。最近リリースされたゲーム「ボンバーガール」のメ……女の子たちが表紙を飾れそうな文庫って認識がある。『インテリぶる推理少女とハメたいせんせい』とか、タイトルからして突っ走っている。

まあ、小学生や中学生の娘さんがその「壁面」を見れば、そしてそれが自分と同世代の少年向けの棚であることを合わせて知れば、本音的な意味での男児の欲望丸出しな光景について「気持ち悪い(怖い)」と思うのは普通かなって思う。小5女子を100人そこにつれていけば、70人ぐらいは「気持ち悪い」って思う、時には感想を漏らす、のではないだろうか。この数値はテキトーだけど、なんとなく。

 

・そもそも娘をそんな棚に連れて行くのがお門違い、か?

 

アッ! 地底人(文芸ファン)の地雷を踏みやがった!

 

偏った思想のお父さんがあえて娘さんをそこに連れて行ったのなら、それはかなり悪意のあることに思う。悪意が動機なら話を聞く必要なし。

ただ、「少女が立ち寄る場所じゃない」「普通なら少女が通りかかる場所じゃない」みたいな批判がリプで多く見られたのは、私はけっこうショックだった。

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というのも、ライトノベルの棚というのは「少年&少女、両方向け」であった歴史の方が長いからだ

来歴から考えると、書店のライトノベルの本棚は「少年少女、どちらもが立ち寄りやすいコーナー」の一角として置かれているのが普通であり、実際そういうものだ。

書店に頻繁に足を運ぶ人ならわかってもらえると思うが、「学参・コミック・ライトノベル」は並んでいることが多い。

今や「文房具・学参・コミック・ライトノベル」のグラデーションは基本と言ってもいいだろう。その一帯を指して「学生向けコーナー」という書店の認識がある。

コミックを見に来た子に学参を買ってもらったり、学参を見に来た子にコミックを買ってもらったりは商売の基本中の基本。アニメ化と親和性の高いライトノベルも当然添えて。というわけで、ライトノベルコーナーは「少年も、少女も、普通に立ち寄るコーナー」だ。「そんな所に立ち寄った・そんな所に通りがかった娘が異常、そんな娘は存在しない」は、かなり的はずれであってしまうと思う。

……今18歳未満の人、ラノベがセクシー路線の大号令をかけた時期以降に物心ついた人の中には「え!? ラノベってちょいエロ本コーナーだろ!?」みたいに思う人もいるかもしれない。というか、私の回りのティーン数名にヒアリングしたら、そういう認識の子がけっこういた。尋ねた数自体は多くないが、ちょいエロ本コーナーと思っていた率で言うなら50%を全然超えている。「深夜アニメでやってる」というニュアンスも、相乗効果的にイメージを固めてしまっているのだろうなあ。

ざっくりとラノベの歴史を1990~2018年の28年間で考えたら、萌えとか妹とか一気に増えたなぁと感じたのが2008年の「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」のヒット以降に思うので、ラノベ=ハーレムセクシーイエエエイの歴史はまだ10年ぐらいに思う。

涼宮ハルヒの刊行は2004年、アニメ化からのブーム化は2007年だが、あれはそういう側面では過渡期的な作品だろう。今の徹底されたラノベのお作法ならば、小泉という雰囲気たっぷりの男キャラは登場しない方が普通だ。前後するように2006年にはザ・ハーレムの名手たる化物語が刊行され、2009年にはアニメ化している。前述のように俺妹は2008年だが、あれはアニメ化する前の書籍時点で120万部級ブームを形成していたので、たぶん2009年辺りがその後の「セクシーなライトノベル」10年を決定づけた年だろう。

ハルヒがまいた種を 化物語が耕し 俺妹が完成させた」みたいに、フランス革命~ナポレオンぽく言ってみる。短期間で大変動が起きたということからもぴったり。

 

というわけで、かなり手前味噌なまとめだが、ラノベ28年の歴史、後半10年が今の「少年向けセクシー棚」だというのなら、前半18年は「少年少女向け棚」であった

例えば「フリーター、家を買う」「三匹のおっさん」「図書館戦争」などで一般向け、特に女性読者からの支持を得ている有川浩先生は、デビューは電撃文庫である。デビュー作は「塩の街」。今では右(スマホ表示なら下)の表紙になり、角川文庫から出てるけど。

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塩の街は少年の時分に私も読んだが、やっぱりこの頃から女性向けだったと思う。

 

他にも、小説界で紛う事なき最強の賞「直木賞」の作家である桜庭一樹先生もデビューはライトノベルだ。えげつない青春文学の金字塔「砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない」も、最初は冨士見ミステリー文庫というライトノベル作品だった。今では表紙も変わり、角川文庫から出てるけど。

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この傑作は「鳥取県の、家庭に問題がある少女同士の、みっともないけどだからこそ友情(恋愛ではない)」というお話で、今なお10代少女に響きまくるだろうなあという内容。架空世界で百合期待!!みたいな男子には何一つヒットしないお話かも。

 

小野不由美先生の「十二国記」が少女こそ夢中になる冒険譚であったなど、語るまでもあるまい。「スレイヤーズ!」だって、女性ファンがいないなどと言ったら詠唱からの竜破斬で吹っ飛ばされる勢いである。ハーレム決め打ち退路遮断する前の18年間のライトノベル棚は、単純に「ヤングアダルト小説の棚」であり、そこは少年向けも少女向けも両者向けも混在する棚であったのだ。ヤングアダルトとは「仲間」の文芸。一緒に目標や価値観を共有し、共通の目標のために頼り頼られで困難を越えていく文芸。エロもハーレムも、オプションの一つに過ぎなかった。

 

2009年から冨士見ファンタジア文庫で3冊出た「花守の竜の叙情詩」はNL好きな女性に特化した内容だったと思う。でも男の私も楽しめました。

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2013年から3冊出たガガガ文庫の「鳥葬」シリーズも、男性女性全然問わない……もっとなんか幅広い意味での若者向け文芸だった。非常に好きです。

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長々とやっているが、つまりはラノベのコーナーに少女が立ち寄るのが不自然」とか「ラノベのコーナーに立ち寄る少女が悪い」とかいう主張は、長く業界に接してきて「ごく短期間の大変動に戸惑っている身」としては、正直わからないのだ。ラノベの棚は、少年だけでなく少女だって当然に立ち寄る棚であろう、と。

 

ただ、ただである。

自分で言っておいて隙があるなぁと思うのは、私がいくらラノベの過去の定義にこだわろうと、すでに業界はゾーニング的な選択と集中を進めている、という事実である。

 

大大大出版不況の大魔界時代に、ラノベが「男性向けに、セクシーでぶっちぎって、生き残りをかける!」と『王者の決断』をしたその時に、「少女向け小説は別レーベル……ライトノベルとは物理的な距離を置ける棚『一般文芸』で用意する」という決断も下されているのだ。画像は王者の決断のイメージで、特に関係ないです。

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例えば、「メディアワークス文庫」「新潮文庫NEX」「冨士見L文庫」などがその少女~女性向け路線のレーベルそれである。このレーベルたちは「表紙は漫画っぽいですが、ライトノベルではありません」と営業さんたちが言っていて、ライトノベルではないのだから、ライトノベルの棚には置かないでください。一般文芸の棚に、できたら新文芸という専用の棚を作ってそこに、とにかく現ライトノベルの棚とは物理的に距離を置いてつかぁーさい!」と、かなり無茶なお願いをしているのである。で、大体の書店では実際にそうなっている。

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「ビブリア古書堂」で名高いメディアワークス文庫は、母体が電撃文庫と同じで(だから新人賞も同一募集なのだ)、元々は電撃文庫を読んでいた少年少女へ」という、ラノベ読者の成長後の受け皿として発進したものだった。レーベル創刊時の『ケルベロス』とか、今のメディアワークス文庫からは全く想像がつかない純然たるバトル・ダークファンタジーだ。だがまあ「大人になった男は、そもそも小説読まないな。スマホでゲームしてるわ」ぐらいの変えがたい現実に合わせる形で、ずんどこと女性向け・少女向けの棚として完成していった。今や、会社をやめた元OLが山奥の小さな旅館でちょっといい男性オーナーとスローライフに仕事をし始める……みたいなプロットの作品がけっこうあるぞ。あとカバーかけるのがもったいない、見せびらかしたいぐらい澄んで綺麗な表紙の君僕系。私は、メディアワークス文庫なら「零能者ミナト」ぐらいの塩梅が好き。ミナトはかっこいいし沙耶ちゃんはかわいいんだよ、これが。

 

10年代に創刊された「新潮文庫NEX」と「冨士見L文庫」もメディアワークス文庫初期の思想を受け継ぎつつ、だが最初から女性向け・少女向けにターゲットを絞っているように見える。

 

ある意味「元『少年少女向け』」のユニセックスなDNAを大事にしているのは、10年代に創刊された新文芸の中では講談社タイガぐらいじゃないかなぁと。角川のノベルゼロは、「大人になった、男たちへ――」ってもろにHPに書いてあるし。いくつか読んだ感じとしても、男向けに思った。

 

と、まるで男子用女子用と通学路が分けられている男女別学の私学のように(全然実在する)、ラノベは少年用の棚・一部新文芸は少女用の棚とゾーニングが進んでいることは事実としてある。5年ぐらい前から。そうなると「性別問わず、十代向け」はどこに置いてもらえるのだ……どこに応募すればいいのだ……な、無い……死んでる!? みたいなエアポケットが発生してしまってもいるのだが……それはまた別の回に。

案外そういう「少年少女向け」は、今なら「君の膵臓を食べたい」や「よるのばけもの」の住野よる先生、一昔前ならボーカロイド小説、そこらへんが頑張っているか。それとメディアワークス文庫の君僕系。でも、内容的には、それはまた特定傾向への偏りがあるわな。

 

そんなわけで、私のような地底人や書店側にも「ラノベは学参やコミックの端に隣にいて当然ダルルルォ!!」という理があるし、新世代の「ラノベに少女が来るんじゃねーよ!!」というのにも理ができつつある。

私としては、ラノベは男女ともにハマれる緩い文化であったのが好きだったから(遊びに行った同級生宅で、その姉とスレイヤーズの話で盛り上がったのは楽しかったなぁ)悲しくもあるのだが、こっちは男の本能を狙い打ち、あっちは女の本能を狙い打ち、そういう「汎用型1つで幅広く売るのではなく、特化型を二つ用意して生き残る」理論になっていくのは仕方ないのかもしれない。となると「ラノベの棚に少女が来るんじゃねえ!!」も案外正しい……

 

いや、いやいやいや!!

「青年向けエロ本コーナーに少女が来るんじゃねえええええ!!」ではない。

「少年向け小説コーナーに少女が来るじゃねえええええ!!」ではないか。

すげえな少年向け小説コーナー。

もうその若き頃から、男女がそれぞれに性差を弁えていく高度な文化になったというわけか。それって、高度か?

 

では未来、「少年向け小説コーナー」が少女&女性禁制の場所となったその時、そしてそれに合わせる形で「少年向け小説コーナー」が書店内で移動させられ、官能小説コーナーのお隣とか、昔なら「ラブキャラ大全」が置かれていたコミック棚の隣に配置されたとき……

果たして全ては解決されるのだろうか?

 

ここからが本題。

ゾーニングって、効果あるの?

だ。

 

1、スマホが十代の手中にある現代において、ゾーニングって徹底できるの?

2、ゾーニングって、そもそもメリットデメリットを天秤にかけた時にプラスになるの?

 

私の観点からすると

1……無理

2……もっと大事なところで、とんでもないデメリットが発生する

のだけど、その詳細については次回。

嫌われていたいい先生の話

ツイッターで夏休みの自由研究ネタががやがやしていたので、思い出した。

中学の頃に出会ったT先生の話。

 

T先生は社会科の先生で、僕らの入学と同時に中学に赴任してきた先生だった。

初日からダジャレやギャグを飛ばしたそうで、入学早々「当たり」の先生と評判になった。T先生のクラスになっていた小学からの友人たちはみんな喜んでいた。僕の中学は福岡の普通の公立、近隣2つの小学校から来ていて、生徒の半分は入学時から顔見知りなのだ。情報はすぐに伝播する。

 

1年生の頃、僕はT先生と特に接点はなかった。担任の先生でもないし、社会の授業も別の先生に教わっていた。だからT先生は噂でしか聞くことはなく、へー面白い先生らしいなあ、いいなあって感じ。

 

それが、一年生が終わる頃にはT先生の評判は一変して「最悪」で固まっていた。

生徒からも保護者からもだ。

 

え、なんで? あんなにみんな喜んでたじゃん、なんで……?

友人らに理由を聞いても、いまいち要領を得ない。

「普通じゃない」「あいつおかしい」そんなことを言うばかり。

「キレるタイミングが変」「女子にも厳しい。性格悪い」

そんなことを言っていたような。

友人たちの保護者らも「言いがかりをつけて怒る、変な先生」「常識がない」などとさんざんに言っていた。うちの親までどこから伝え聞いたのか「T先生って変な先生らしいね」と僕に言う始末。

僕も中1のクソガキだったので、へえ、T先生って最悪なんだ、2年生の担任は絶対にT先生以外がいいなあ……と思っていた。

 

2年生になり、案の定僕はT先生のクラスになった。

あのクラスは問題児が多かったように思う。たぶん僕もその一人と黙され、指導力のあるT先生のもとに配属されたような。

というのも、学校で禁止されていた福岡天神のカードゲームショップ・イエローサブマリンに通っていたからだ。天神の中でも、あそこらへんは大名とかと比べれば大いに治安のいい方なんだけど(だって左隣には駿台予備校、右隣にはアニメイトがあるのだ。文化的なのだ)、親不孝通りという名前が印象にグッと語りかけてくる。今では親富孝通りと名前が変わっているけど、当時はもろに親不孝通りという名前だった。修羅の国の親不孝通り、それだけで物語が一本書けそうな逞しさだ(福岡でも福岡市なんてあまっちょろくて、北九州や筑豊の方が3倍は修羅の国なのは、両方の名誉のために言っておく)。

そんなこんなで僕は「最悪」と噂されるT先生のクラスになったのだが……

……

……

……

あれ……?

いい先生じゃないか……?

 

友達にはとても言えなかったけど、僕はとくにT先生に悪い印象を持たなかった。

実際に関わるT先生は、たまにダジャレは言うもののシーンとする感じで、無愛想

たしかに「何を考えているかわからない」と思うところが最初の数ヶ月あった。

だけど今ならはっきりわかる。

T先生は現実主義で、結果主義で、そしてとにかく公平だったのだ。

その点で他の先生たちとは真逆で、異質で……

だからこそ、大半の生徒や保護者から嫌われていた。

 

どういうことか具体的に見ていこう。

まず、T先生の授業。

T先生の授業では、生徒たちはノートを使わない。T先生は学校配布のワークの語句問題を「わかる人?」と聞きながら、一つ一つ解説しながら進めていく。授業の初めに、前回の復習(ワークの問題そのまま)をダーッと当てていく、答えられなかったらしばらく立ったまま授業でちょっと恥ずかしい、そんなこともしていた。

だがとにかく、

「ノートはメモを取りたいなら取ってもいいですけど……いや、こういう言い方すると、君たちはノートをとるべきだと『誤解』するんですよね。じゃあ『ノートは取らなくていいです』。別に怒ってるわけじゃないです。必要ないからです。だってワークに必要なことは全部書いてありますから。ワークの問題文を見て答えを言える、答えを見てワークの問題文のような解説ができる、まずはそれが大事です。……私も、黒板はメモ程度に使います。ノートの提出は絶対にありません」

そいうことを言う先生だった。

そして実際、定期テストはワークの問題がズラーッとほぼそのまま出て『めちゃくちゃ簡単なテスト』と言われた。語句を覚えている限りは。つまり、僕らのほとんどは頑張れば確実に点が取れるとわかっている定期テストのために、語句をしっかり覚えていた。シリコンアイランド、ウォーターフロントメガロポリス……そんな言葉の意味を結局はしっかり覚えていた。勉強してもテストの点がどうなるか見当もつかない英語や国語のテスト勉強をするよりは、ワークの通り出るとわかっている社会のワークをまず何周もした。学年の平均点が80点前後になり、通知表の「5」をもらうためには中間・期末の両方で98点を超えなければいけないと言われたほどだ。それぐらい、社会はみんなしっかり勉強したのだ。無勉ならば30点を切るようなテストであることは、変わりないのだから。

「眠たいなら寝ててもいいですよ。たぶん、損するだけだから。その損が受け入れられるなら、本当に寝ててもいい。寝るなと言っているわけじゃない。本当に、何をどれだけ取り入れるかは選んでいいと言っているんです。自己責任の上で。ただし、いびきだけはやめてください。いびきは他の人に迷惑をかける。いびきをかいてしまう生徒には、寝ることは許しません」

こういうことを言う先生だった。

だから人気がなかった。

 

どういうことかというと、上の二つがどんな風に保護者に伝わるかというと

「ノートも黒板も使わない、手抜き授業をしている」

「寝ている生徒がいても起こさない、手抜き授業をしている」

となるわけだ。

私も高校で気づき始めたが、ぶっちゃけノートを取ること自体は勉強ではない。

頭の中にモヤモヤーと浮かんでいることを「自分の言葉で見やすくまとめる」、その際に紙に書くのは記憶の整理・定着、知識の理解として効果があるが、知識の入力段階でノートに書くことはほぼ効果がない。

自分用の解説書を作っている……いやいや、テスト前に急いで説いて丸暗記するのはどうせ問題集なのだ。私はテストの前に自分のノートをほぼ見返したことのない生徒だったが、成績は悪い方ではなかった。

ノートを何時間も睨んで結局問題集を触らない・1周ぐらいしか解かない生徒がテストでは点が取れない、これは昔も今も全然変わらないことに思う。T先生のノート未使用・ワーク至上主義は、「楽に成果を追い求めた」結果なのだ。そしてそれは成功しており、フクト(福岡県の模試業者)が実施する郊外模試でも、僕の中学は社会科の平均点だけは全国平均を大幅に上回っていた。

 

「ノートを使わない」そのこと自体にキレて保護者たちにT先生の悪評をばらまいていたのは、どんな生徒だったか。

それは「平常点ブースト」で成績を保っていた生徒たちだ。

社会科以外の教科では、当時の福岡という大変時代錯誤な文化風土もあり、「発言ポイント」「質問ポイント」「ノート提出ポイント」「ワーク提出ポイント」そのような、テスト外の加点が当たり前に導入されていた。授業運営に秩序を作るためには、有効な策ではあるが……

テストの点は冴えなくても、たくさん発言し、たくさん質問し、ノートを色ペンで超カラフルにまとめ、ワークもきれいに解いて提出しておけば、良い子ポイントのおかげで本当は通知表の「3」がつくところで「4」になっている、そういう生徒たちがいるのだ。これはけっこうでかい。9教科がオール3になるテストの点の子でも、全科それを頑張ればオール4、完全別人のような成績になるのだから。なので、これらは多くの教師や保護者から「人の生きる道」として、まるで道徳のように子供に授けられているケースも多かったようだ。つまり「能力は高まっていないけど、頑張ったから評価してもらえる」という、まるで美談に聞こえるシステムが歓迎されていた。

なぜ「まるで美談に聞こえる」などという 言い方をするかというと、過程は大事だが、結果と切り離されて完全独立した過程自体を評価することは無意味だからだ。結果を得るために効果的な過程を選ぶことが大事だ。そして効果的な過程を選んだが運の要素などで結果が得られなかったとき、全てが間違っていたとせずにその過程をやりきった自分をちゃんと評価しよう、というものなのだ。

・テストの点を上げるために、テスト3週間前から工夫して勉強した

・テストの点を上げるために、テスト3週間前から暇さえあれば神仏に祈り続けた

どっちも、確かに頑張っている。

だが後者を「頑張ったから」と評価してはいけない。

そしてノートをカラフルな色ペンでまとめるようなことは、後者に近いのだ。

 

そんなわけで、T先生の評価システムは(夏休みの宿題を除けば)テスト一発勝負。

勉強以外で勉強の点を稼ぎたい疑似優等生たちには、大不評だった。

そして当然これは過大解釈される。

「T先生は努力を見ないで、生まれ持った頭の良さだけで成績をつけるひどい先生だ」

「T先生は結果が全ての人で、過程をまったく見てくれない」

いやいやいや、加持祈祷に時間割くぐらいなら問題を1問でも多く解こう、って言ってるだけなのに。

盤外でのポイント稼ぎこそが凡人の生きる道、 道徳であり必勝法と信奉してきた生徒や保護者には、T先生は悪魔のように映っていたのだ。

 

たとえば、実際にこんなことがあった。

「今日はここまで。何か質問がある人」

「はい!」

「〇〇さん、どうぞ」

シリコンバレーと、サンベルトは、何が違うんですか~?」

「ふむ……開いているワークの図を見てもわかりませんか?」

「あ……え……」

「どうしてもわからないなら、解説しますが。……わかると思うけどなあ……」

「……」

「……どうですか?」

「わかります……」

「うん。質問する前に、質問が必要かは考えてください」

 

他にもこんなこと

「では今日の授業、日直さんにまとめてもらいましょうか」

「はい。~で~で、~三毛作まで行われているのはすごいと思いました」

「……」

「(あれ……?)」

「今日の私の授業のまとめ、をお願いしたのですが」

「え……いや、今日の範囲、です、けど……」

「授業とワークでは、どんな天才だろうと三毛作が実施されていることまで読み取れる文脈ではありません。たぶん、塾で言えっていわれたのかな?」

「……(図星)」

「確かに三毛作は行われているのですが……知識が多いことはいいとして、今あなたは、私を人間扱いしなかった。そこが大変いけない。私はセンセイマシーンじゃありませんよ」

「い、いや、その……」

「質問や依頼には、まず真正面から答えましょう。それができないと、知識があっても相手を不快にさせて失敗します。何でもスゴイ言葉を盛ればいいというわけではありません。はい、気をつけて」

 

……という感じ。

前者の生徒は何でもいいから質問すれば褒められると思っていて(そして授業を熱心に受けていなくて)、後者の生徒は「すごい!三毛作までよく知っていますね!」と褒められると思っていたのだろう。どっちもT先生からするとアウト。

 

こういうのは雑な言葉で言えば「他の先生とはノリが違う」。もっと雑な言葉で言えば「あの先生は変」「あの先生はおかしい」と表現されていく。

なんで質問したのに減点されるの?

他の先生は絶対に平常点プラスしてくれるのに。

なんで塾で言えと言われたことを言ったら減点されるの?

他の先生は頭が良いって目で見てくれるのに。

これが「T先生は、キレるタイミングがわからない」の正体だ。

 

別に、T先生のキレるタイミングが変なのではないのだ。

むしろお説教のタイミングが丁寧なだけ。

就職活動の企業説明会に来た大学4年生が「質問すれば絶対に加点になる」という謎のマニュアル本を鵜呑みにして、最後の質問タイムで「無断欠勤したときのペナルティはどんなものですか!?」と真顔・ドヤ顔でキリッと言わないために指導しているだけなのだ。そんな質問、悪い意味でしか名前を覚えてもらえない。しない方が絶対マシ。

 

たぶん……というか間違いなく、T先生の悪評を積極的に広めたのは一部の女子だと思う。

前述の疑似優等生~本物の優等生の女子たち。

というのも、T先生は優等生キャラだろうと駄目な時はちゃんと叱ったからだ。

なんというか……「先生が絶対に叱れない女子」っているじゃん?

とても不思議な存在なんだけど……

優等生タイプだったり、元気っ子タイプだったり……

例えば、品行方正で努力家で学業成績もたぶん悪くないであろう島村卯月が、学校掃除の時間にちょっとホウキを動かさず立ち話をしていたとする。

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このときに「コルァッ! 何をやっているかァ!」と、サボっているヤンキー男子たちを叱る時と同じテンションで卯月を叱れる先生は、男女問わずほぼいないだろう。でも、T先生はそれをした。

レベルを上げて卯月ではなく森久保乃々にしてみよう。品行方正で努力家で学業成績もたぶん悪くないであろう森久保乃々が、学校掃除の時間にちょっとホウキを動かさず立ち話をしていたとする。

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このときに「コルァッ! 何をやっているかァ!」と、サボっているヤンキー男子たちを叱る時と同じテンションで乃々を叱れる先生は、魔神の域だ。でも、T先生ならたぶんやる。

もちろん、指導は常に画一的にすればいいというものではない。時に、ヤンキーと優等生に叱りの色をつけることは当然だ。ただ「優等生だから全て許されるだろう」みたいな勘違い男子女子は一定数おり(卯月や乃々がそういうキャラというわけではない)、そして実際「優等生だから全て許してしまう」駄目な先生もいる。T先生は「優等生でも駄目なことは駄目としっかり言うことがある」先生だった。これは、特権的に見逃されることが多かった優等生たちからすると「あえりない」「厳しい」、もしかしたら「理不尽だ」とすら映ったのだろう。実際、卯月や乃々タイプの女子が僕らと同列に叱られているのを見て、僕はかなり驚いた。女子はOK男子はクソ、優等生はOK劣等生はクソ、そういう他の先生なら当たり前の「文脈」をT先生は用いなかったのだ。

こはちょっと難しい。

掃除をさぼって雑談しているヤンキーと、掃除をさぼって雑談してる女子の優等生。

これは色をつけるべきなのか?

ヤンキーに「お前、世の中なめとんのか? お前以外が掃除して、綺麗になった教室をお前は王子さまのように使う……自分だけはそれが許される……そう思っとんのか?」と言う一方、優等生女子には「ちゃんと掃除もしないと駄目だよ」「先生ごめんなさーい☆」とフレンドリーなやりとりをする……するべきなのか?

それを見ていたヤンキーはますますねじ曲がっていくのではないのか? だったら、ヤンキーも優等生もまとめて「君たち、この点は揃ってろくでもないぞ」と叱るのが筋なのでは? 優等生なんてのは「ろくでもない」の一言で十分傷つく。というか、先生にお小言を言われたという体験自体に傷つく。優等生というのは取り扱いは簡単だが中身は爆薬なのだ。だから爆発し、T先生の悪評は喧伝されたのだと思う。

 

T先生はあるとき、授業で珍しく自分のことを話したことがある。進路希望調査みたいな「進路学習」の学活コマだったか。

 

「僕はね、大学生のころ、競輪選手になりたかったんですよ。なんでだと思います? めちゃくちゃお給料がいいからです。お金が欲しかった。自転車に乗るのは好きだったし、大学生のころは新聞配達で鍛えてましたから。そう、新聞配達してたんです。〇〇〇〇マンションの下に、プラモデル屋さんがあるでしょう? あ、もう潰れた? あの側に花屋さんありますよね。あそこの隣が昔は配達所で、毎朝3時から配ってたんです」

 

T先生はたぶん、苦学生だったのだ。そして朝の3時にあそこに行けるとしたら、たぶん通ってた大学は九大か西南か。近さ的には六本松が目の前だから九大っぽい。

T先生の「未来のないポイント稼ぎを嫌う」現実主義・結果主義は、そういう「お金を稼ぐとは」という現実から形成されていた気がする。

ノートを綺麗にとって「許してもらおう」と思うな、さっさと強くなれ。

言葉で偽って「勘違いしてもらおう」と狙うな、さっさと強くなれ。

「頑張ってるのにうまくできないね、かわいそうだね」と同情を目指して歩くな。さっさと現実的に強くなれ。

きっと、T先生がずっと言っていたことは、たぶんそんな感じだと思う。

 

 

3年生になると、T先生とはまた別のクラスになってしまった。

僕は癇癪もちのおばあさん先生が担任になり、この狂気に憑かれた先生とは本当にいろいろあったのだが……それは置いておいて。今回はT先生の話だ。とにかく、僕はやばすぎる老婆に担任になられたことで、T先生がどれほど「弁えていた」先生だったかを知るのだった。T先生のエピソードはあと3つだけ紹介して終わろうと思う。

 

 

一つ目は、6月ごろ。

体育祭のとあるブロックの応援団長をしていた友人のI君(このイニシャルばれるんじゃないだろうか)が、MTGマジック・ザ・ギャザリング)のプロツアー本戦で応援団の練習を三日間休まなければならなくなった。I君の担任の先生はT先生だった。I君はT先生に呼び出され、応援団員たちが「どうなるんだ……」と職員室の外で待機する中、二人のお話し合いが行われた。

 

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帰還したI君……不良というわけではないが先生たちからはまともにも見られてなかったI君に僕が尋ねると「いや、真剣に考えてくれたよ」とあっさり。

I君はかなり特殊なキャラで、勉強はしないが頭の回転は明らかに速く、体格もいいし喧嘩も強い。基本的にひょうきんだが勝負時はとにかく落ち着いている……男子の中ではカリスマだった。なによりMTGの青白パーミッション青茶ビッグブルーという「ひたすら我慢」が必要なデッキを黙々と使いこなす中学生離れした精神力を持っていて、トレードも抜群に上手かった。彼は必ず微妙に得するトレードしかせず、イエサブに来る大人(というか主に大学生)相手にも圧倒的なわらしべ長者力を発揮して、簡単に1枚2000円を超えるカードを揃えていた。800円ぐらいの肉占いが1000円ぐらいの欲深きドラゴンと交換され、欲深きドラゴンが1200円ぐらいのファイレクシアの疫病王と交換され、ファイレクシアの疫病王が1500円の火薬樽と交換され……という風に。大学生たちからも一目置かれていて、よく家や下宿に呼ばれていた(そして泊まりで遊んでいた)。とにかく、普通の教師からすると「測れない」キャラだ。

 

でもT先生にとっては「ただの生徒」だったらしい。普通の福岡テンションの先生なら、「応援団長なのに学校行事の練習をほったからしてカードゲームの大会とか、最低の最低! お前のような人間が生きとることが恥ずかしいわ!」と根性矯正が普通だし、そのブロックのチアガールたちはそういう非難をI君に浴びせていたが、T先生はあろうことか中立に見せて……実はI君寄りについたのだ。

「わかる範囲で調べさせてもらったけど、今はこういうのがあるんだね。これで一生食って行けそうなら、学校行事の練習なんて休んで絶対行った方がいいと私は思う」

「いやー……上手く行けば賞金はあることはありますけど、職業にできるってものでは……」

「そうか。そういうのがわかってるんだ。でもね……例えば、そのプロツアーっていう凄い大会に出てることで、後々関連の仕事に就きやすくなるとかだったら、それはとても意味があることだ」

「カードゲームショップの店員さんとか?」

「そう。そうじゃなくても、そういう雑誌があるだろう。ホビー雑誌」

「あります。ゲームぎゃざとか、デュエリストジャパンとか」

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「そういうところ↑で仕事したくなったときに、中3でプロツアー経験者です、って嘘でなく言えることは、たぶんとても大きい。君はつかみ所がないけど落ち着いてるし、採用率に関わってくる。今はその気でなくても、使いたくなったときにそれがあるってことは大事なんだ」

「なるほど……」

「中学校の体育祭の練習は、中学校の体育祭の練習にすぎないよ。何も君の人生を保証してやれない。三日ぐらい、副団長に任せればいい。そのために副団長がいるんだから。副団長にもいい経験になる。行ってきなさい」

 

I君は背中を押されて、三日間、カードゲームの大会に堂々と行った。

これで、学校での(女子からの)T先生の評判は最悪中の最悪となったのだけど。

 

 

 

次のエピソードは夏休み。

やっとこさ自由研究の話だ。

前述の通り、T先生のテストは勉強すれば確実に点が取れるテストで、通知表「5」を得るためには中間98点期末98点ぐらいが必要だった。そして他のポイント稼ぎは不可。ミスが許されるのは計2問まで。

ただ、T先生は夏休みの自由研究に対してだけは「20点、15点、10点、5点、0点の5段階評価で、テストの点と同等に扱います」と言い切った。これには生徒も激震。

中3の夏、二学期の内申点はそのまま受験高校に送られる。喉から手が出るほど5が欲しい。そしてこの「5点きざみ」は余りにも大きい。15点をゲットしてしまった時点で、5の可能性はほとんどなくなる……(当時は堂々と相対評価だったのだ)。

T先生の提示した資料には

・自分の興味があることを熱心に調べること

・自分の足を使って調べること

が重要と書かれていた。

僕ははなから通知表の5は諦めていたので、好きなことでも調べるか~と取り組んだのだが……

これが、T先生が3人しか選ばなかった最高点20点に入れてもらえたのだ!

 

僕がやった社会科の自由研究は、「コンビニのカラーコピー機の性能比較」

セブンイレブン、ローソン、AMPMミニストップの4店舗について、カラーコピー機の印刷速度・画質・多機能さ・機能による補正・UIなどを比較して、マイ攻略本を作った。

……というのも、僕は中2の冬ぐらいから熱心に萌え絵を書いていて、けっこう上手く描けたKanon名雪コピック着色)をみんなに見てもらいたいな~と思う変態中学生だったのだ。コピー機比較はその興味である。

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↑の青髪の方。僕は中学の近くのセブンとローソン、平和台陸上競技場を降りたところのAMPM(天神の赤坂門の手前)、西新から七隈に向かう途中のミニストップ、4つの店舗をインスタントカメラで撮影し、モンスターファーム2攻略本の煽り記事のように店の強みを書き、印刷秒数は1枚目をストップウォッチで測り、出てきたコピー名雪は店舗名を記入して並べた。

理解しない人には、クソッタレな自由研究である。

うちの親なんかはもうどうにでもなれーって呆れてたし、担任のお婆ちゃん先生は僕を「史上最高の愚物、刑務所に入れなあかん」と本気で思っていたと思う。

ただ、ビジュアル的に派手で奇抜な試みだったけど……正直、よくできていたし、役に立つデータだったと思う。あれを見れば、当時なら大切な作品をセブンイレブン以外でカラーコピーをする気になる人はいないだろう。あと、ミニストップのミニミニコミュニケイションというテーマソングに興味を持つはずだ。

それを、T先生は太鼓判押してくれたのだ。

たとえコピック着彩のカラーコピー名雪が4枚並んでいても、いい研究はいい研究。

これまた、優等生たちはめっちゃブーイングしてた。僕もT先生もヒソヒソと陰口を叩かれた。変だと。普段からオール5近くを取っているエリートたちの自由研究は「図書館まで行って、国際連合の役割について調べてみました」系が多かった。

つまり彼ら彼女らは

・足をつかって調べよう

が、図書館に行く止まりだったのだ。僕はインスタントカメラとストップウォッチを手に、自転車で楽しく福岡の街を駆け回った。

・興味があることについて調べよう

も、けっこう謎。国連とか郷土文化にそんなに興味があった人がいたのだろうか。とりあえず、自分の絵を美しくコピーしたいという僕の興味には勝てなかっただろう。

 

他に20点とったのは、友人NとUの共同研究「近隣の自動販売機配置の法則性」だった。Uはとにかく常に何か食ってる・飲んでる超巨漢で(去年結婚した)、縦にも横にも奥行きでもでかくて、高校で120キロぐらいあったと思う。しかし運動神経はかなりよく「俺はただのデブじゃない。動けるデブ」と自分で笑いを取っていた。そんなUが「自販機に何か……法則性がある気がする……」とか言い出しても納得しかない。

 

彼らは自分たちの家から半径1㎞ほどのゼンリン住宅地図をコピーし、自転車でローラー作戦をしながらそこにコカコーラ、サントリー、キリン、ダイドーなどの自販機を見つけては、会社別にカラーシールで貼りまくっていった。

地図はシールだらけになり、超カラフル。

……そして驚くべきことに、確かにそれには企業秘密クラスの法則性が浮び上がっていたのだ。

圧倒的に多いコカコーラだが、駐車場の近くはサントリーが多い……みたいな。他にもいろいろ。販売されている内容物にも。

UもNもラガーメンだったが、Nは物事を考えることが好きなブレインで、得られた生のデータから法則性を見事に浮き彫りにしていた。Nは以後、東大理科二類に受かってる。先日、Nはいきなり『からかい上手の高木さん』『ふだつきのキョーコちゃん』を全巻予告無しで宅急便で送ってきたのだが、たぶんすごい神算鬼謀あってのことなのだ。たぶん。

NとUの研究もまた「家の周りの自販機を調べる」という、 教育ママが聞いたら憤慨するようなテーマだ。内申点を何だと思っているの!? 福岡中央図書館に行って、国際連合について調べてきなさい!」と言うだろう。あんまりオラつきたくないけど、この卑近だがしっかりした研究をしたNと私は後に東大を受けているし、Nはしっかり受かっている。私は法学部を受けたけど、文学部なら受かってる点数だったよ(コンプ負け惜しみ)。教育ママならちょっと価値観を修正する参考にしてほしい。いい子いい子であることだけに命を賭けていたり、スケールの広大さだけにこだわっている人は、けっこう学問との親和性が低いのだ。私の小説でさんざんやっているテーマだが。……小説でエリートがただの良い子の完成形として書かれてると、「そりゃねえだろ」って私はつっこむ。いきなり高木さんとキョーコちゃん全巻送ってくるぐらい変だ。

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Nと僕に「足を使って、本に載ってない・大人も知らないことを先に見つける楽しさ」を教えたのがT先生なんて言えばさすがに言い過ぎだと思うが、それでも後押しされたのは確実だ。もしあの研究らが「テーマが矮小。不真面目である」と0点や5点が 押されていたなら、Nはともかく僕なんかはへそを曲げていたであろう。はーっくっだらねえ大人って全員マジでクソって。今こうやって文章を書いていることも絶対にない。

 

僕とT先生の最後のお話。

中3の秋ごろだった。

 

僕は中2~中3の秋まで図書委員長なるものをやっていて、図書室に林原めぐみさんのエッセイ「なんとかなるなる」を入れてはドゥフフと喜んでいるようなやつだった。初のオーディションでミカンを配ったエピソードが強烈だ。『ブギーポップ』と『僕の血を吸わないで』も入れた。ドゥフフ。『ダブルブリッド』と『リングテイル』も入れたぞ。そして大本命『卵王子カイルロッドの苦難』すら若い司書の先生に頼んで入れた。職権濫用……? いや、全ては文化振興のためだ

そして、司書の非常勤の先生とは別に図書室担当の先生が、僕の3年の担任であるおばあちゃん先生だったのだ。

年がら年中癇癪を起こしている、完全に問題のある国語の先生である。

新しいもの全てを邪悪だと信奉する宗教家だ。

「私はコンビニなんか入ったことがない。あんなんごちゃごちゃしてて……邪悪や」

は、中3のクラスを一発で凍らせた極大呪文だ。

カブトガニトリケラトプスすら一目散に逃げ出す要害堅固な保守思想。

私も大概に偏屈の域だが、そこまで行くとガチで生きにくいのでは……?

コンビニ使わない縛りプレイ、それって人生何周目……?

この先生はもう、とにかく……わけがわからない。

そして昼休みの図書室にもわけのわからないルールがあって、導入されたばかりの貸出機のパソコンをつけるのは僕の役目、だが昼休み終了時のそのシャットダウンは老婆先生の仕事と決まっていたのだ。

あの日のことは今でもよく覚えている。

その日は、昼休みの終了時間が来てもなぜか老婆先生が図書室に来なかった。

何かあったのかと急いで職員室に行くと、何事もなかったかのように寛いでいるではないか。

俺、今日なにか老婆先生の気に障ることしたっけ……? いや、思い当たらねえ……

(気に障ることをしていたとしても、こういう反撃の仕方は最悪だが)

僕は職員室の中で老婆先生に「貸出機をシャットダウンしていただけないでしょうか」とお願いした。

老婆先生は「ん」と鼻を鳴らすような返事。反応が薄い。

もうチャイムは鳴っているのだ。10分後には五限目の授業が始まってしまう。

図書室に戻って待つも、老婆先生はいっこうに現われない。

いやいやいやふざけんな、あなたの仕事でしょ……

残り3分となったところで「あの人は来る気がない」と判断して、 僕は貸出機をシャットダウンした。

あのおばあちゃん先生が考えているほど複雑なものではない。そもそも僕は特打ちで鍛えていて、シンディの歌う速度にあわせてブラインドダッチできるほどのパソコン先生だったのだ。はいシャットダウン。ほらシャットダウン。

図書室の鍵を閉めて、急いで教室へ走った。

 

そしてその日の放課後。

僕は図書だよりという「おすすめの本」を紹介する、手書きの印刷物を毎月こしらえていた。これも大変めんどうくさいことに、老婆先生の承認を得ないといけない。内容面で批判されることはなく、いつも「字が曲がってる。心が曲がってる証拠や」と数度書き直しを要求されるだけだ。どんなに綺麗に書いて持っていっても、2度は難癖をつけられる。僕に対してとにかく威張っておきたいのだ、老婆先生は。

原稿が出来上がったので、老婆先生が帰るまでに急いで職員室に行く。

「先生、今月の図書だよりをお持ちしました。チェックをお願いしてよろしいでしょうか」(こういう言葉遣いでないと叱責されるのだ。できました、お願いします、じゃダメ)

「……」

あれ、無視。

「あのー、図書だよりを……」

「お前、消したやろ」

「……?」

「パソコン、勝手に消したやろうが!!」

職員室に響き渡る怒号である。

僕はけっこう跳ねっ返りなので、こういうときに言いたいことは全然言う。たぶんそれが、僕を嫌う大人をますます不快にさせるのだろうけど。

「1時57分まで待ちましたが先生が来られなかったので、仕方なく消しました。手順は普通にシャットダウンをしただけです。いつも見ているからわかります。僕も、授業に遅れるわけにはいかな」

「お前のことはもう知らん!!! お前は全部勝手に自分でやってけ!!!」

「図書だよりは」

「知らんわッ!!!アホ!!!」

「図書だよりも僕の仕事な」

「出てけ!!!」

 

わからん……マジでこのばーさんわからん……

まだ60にもなってないから呆けてはないと思うんだけど……

勝手にせえと言われたから、OK出たってことにしよう。

俺、今回は(だいたいいつもだけど)完全に悪くないもん。

 

「……失礼します」

 

僕は職員室の向かいにある印刷室に直行した。

印刷機の使い方はわかっている。

コピー機とは少し違うが、製版して、あとは紙をセットしてシャーッてするだけだ。

でもこれもまた……

「勝手に印刷したな!!!どこまで違反すれば気がすむんや!!!」とか言って罵倒されるのだろうか。

無限コンボじゃん。

あのばーさんに高校受験の内申点つけられる僕、かわいそすぎない?

悄然と紙をセットしていると、印刷室に早歩きで入って来た先生がいた。

 

なんと、2年生の頃の担任のT先生だった。

先生は俺の前にまっすぐ立って言った。

 

糸魚川くん、キレちゃダメだよ」

 

えっ

 

「あんな人のために、キレなくていい」

 

真顔だった。T先生は真剣な顔でまっすぐに僕を見ていた。

 

あの人はもう終わってるんだ」

 

や、

 

「君が正しくてあの人がおかしいのは、職員室の先生はみんなわかってる。みんな言わないけど。君には未来がある。だから、あんな人をどうにかしようとして君の人生を台無しにしちゃ、絶対にダメだ

 

やっぱりそうなのか!

 

「いいかい。キレちゃダメだよ。あんな人のためにキレちゃダメだ。殴ろうとか殺そうとか、そんなことしちゃダメだよ。あの人がダメで君が正しいのは、みんなよくわかってる。あんな人なんかのために君が損になる行動を取るのだけは絶対にダメだ。キレちゃダメだよ」

 

T先生は何度も念押しした。老婆先生が幼児みたいなのは毎度のことなので、そんなに僕は殺意のオーラをまとっていたつもりはないのだが(印刷後に生徒会室で生徒会役員たちにぶちまけてやろうとは当然思っていたが)、T先生はとにかく「終わってる人間の道連れになるな」と念を押した。

 

僕は呆気にとられていた。老婆先生が職員室の厄介者として君臨しているのはそれとなく感じ取っていたが、まさか「もう終わってる人」とまではっきり言うとは。

老婆先生は、現場の教壇に立つ最高齢の教員であるにもかかわらず「どうしようもない、駄目な例」として呆れられているのだ。ショックというより「やっぱりそうか」という納得しかなかった。大人でも、先生でも、並外れてダメな人はいる。T先生の言葉は天地開闢の一声だった。

 

そして何より、そんなことは僕に明かさないでいい。明かさない方がいい。ああ糸魚川くんカワイソーって他の先生みたいに見ておけばいい。僕を失望させるより、老婆先生を敵に回した方が100%やっかいだからだ。その言わなくてもいいことを、いちいち追いかけて言いに来てくれたのが、あの生徒に無関心、無愛想の塊であるT先生だったのだ。

T先生と特に親しかったわけではない。というか、T先生は誰に対しても親しくしていなかった。良い子ちゃんを贔屓しないことと、子供と親たちにはまだ早すぎる価値観から、大多数の生徒や保護者から嫌われ者のT先生だ。

 

そんなT先生が「熱い行為」を見せてまで僕を止めに来てくれたのが嬉しかった。

なんちかこれ、T先生、ちかっぱ良い先生なんやなかろうか?

僕が何と答えたかは覚えていない。

「はい」だったかもしれないし「ありがとうございます」だったかもしれない。

「大丈夫です」だったかも。

とにかく、僕がしっかり頷いたのを見て、T先生は「うん」と頷いて印刷室を出て行った。

 

その後、僕は老婆先生を適当にあしらい続け、中学校を卒業した。

T先生とはあの印刷室の後、一言も話していない。

 

 

 

エピローグ

 

 

 

中学を出て4年ぐらいが経った頃だろうか。

福岡からスポーツ選手だったか芸能人だったか何かの有名人が出て「中学時代の恩師」というのでなぜかT先生がインタビューされていた。

テレビの中で見るT先生は借りてきた猫のようにおすまししていて、いつもの無愛想な感じがなかった。(え、何言えばいいんですかね?)みたいな緊張した顔をしていた。

中学時代の恩師と言っても担任の先生は数人いるだろう。

部活の先生をあげることもあるかもしれない。

案外その有名人は、T先生を名指ししたんじゃないだろうか。

 

今、お名前で検索したらもろに「僕が最も影響を受けた先生は、中学校の社会科のT先生です。普通の公立の中学校なんですけど」という誰かの2015年のエントリーが出てきた。たぶん僕の知ってるT先生のことだと思う。はは、すげえ。さすがT先生。案外、僕の知らないところで、MTGプロツアーに行ったI君や、自販機調査を評価されたN、印刷室での僕のように、さりげなくも決定的な一撃を加えているのかもしれない。

 

良い先生って何だろう。

高校の頃、若いイケメンで、ガチの八つ当たりをするタイプの気分屋で、正直教え方も下手くそで、でも同棲中の彼女との恋話を授業中によくするから人気者、という先生がいた。あの先生はエロい話をしてくれるからいい先生、みたいな。

才能よりも努力を評価する!と言って、ノートに使われている色ペンの数や、授業を聞いていないだけの的外れな質問をしてもドコスカと加点していくような先生もいた。

案外、ツイッターでよく流れてくるクソッタレな先生が生まれる現状には、クソッタレなシステムを歓迎する生徒や保護者の大軍がいるのかもしれない。

 

僕は間違いなく、T先生を素晴らしきレジェンドの一人に挙げる。

僕のように救われたごく一部の生徒を除き、ほとんどの生徒や保護者からはT先生は理解されずに嫌われていた。

「彼は誤解されやすい性格だから……」なんて安い言葉がここまで似合う先生もおるまい。本当に誤解されやすい先生だ。

 

検索で出てきた記事によると、数年前に退任されたらしい。

お疲れ様でした、そしてありがとうございました、T先生!